今日は遠くには出かけず、帰国も近いので土産を買うためにいくつか店に行きました。枕も買って帰りたいといい購入しました。
体調の急変にビックリ!!!
お温泉に興味を示したので今まで二回連れて行きました。今日は三回目の温泉でした。
私は時計を見て35分後に出てくるように言いましたが、(私の家でシャワーを浴びる時間は思いのほか短かいのです)でも出てきたのは約束時間の更に20分後でした。顔を真っ赤にして相当温まったようでしたが、時間を守らないことを注意しました。このところ「私はほぼ日本人だ」と言うようなことを口にすることが多々あり、日本の生活に慣れてきて、油断があったと思います。友人は喉が渇いたといって冷たいコカコーラを買って車の中で飲みながら「私は日本の女性と比べて3つ自分の体の利点を今日発見したと」笑いながら説明し、お金の掛からない利点があって良かったとご機嫌で話していたのです。家に着いてから私は買い物の漏れがあったので15分ほど家を空け戻ってきたら上さんが、友人が「頭が痛い」と言ってトイレで吐いたようだというのです。二階のベットに行くとある単語を叫びながら両側のこめかみの辺りを押さえ「頭が痛くて、寒気がして、冷や汗を沢山かいている」とうなっていました。辞書で調べると「中毒」と書いてあります。昨日ご馳走になった海老の大きな天ぷらを殆ど一人で平らげてしまいましたから。食中毒なら下痢もする筈と娘も上さんもいうのです。(パラグアイで私は盲腸の有無を尋ね手術済みは確認していました。)二人は多分湯あたりしたというのです。病院に電話して夜間対応可否の確認をしてから、不安な状況で夕食を食べました。その後友人は汗を沢山かいたのでシャワーを浴びたいといって二階から降りてきました。熱はないのですが寒い日だったので風邪をひくといけないし、止めた方が良いと説得しました。二階の階段を登る元気は無くて、私にタオルを取ってきてという状態でした。病院に行くなら早いほうがいいということで連れて行き先生の診察後、点滴(1時間半)をしました。太っている友人の手の血管を捜すのは容易でなく、30分経ってから失敗だったことを告げられ、再度通訳し針を別の場所に刺しました。
友人は点滴の間眠ったようでした。薬も処方してもらい家に帰ったのは夜中の12時でした。帰りの車の中では既に頭痛はなくなっていた様子で私も安心しました。
二週間位の海外旅行は、緊張感が持続しますが30日位だと慣れて緊張も緩みます。
夜間入り口(いずれも友人がベットで一時間半点滴を受けている間に撮影しました。お財布とカメラはパラグアイでも体から離したことはありません)
受付
中央処置室
点滴終了後の友人:既に元気を取り戻していました。(こんなところで写真を撮らないでーー!と叫ぶ元気がありました。)
先生、看護婦さん、皆様お世話になりました。
後日談ですが友人は激しい頭痛に見舞われ頭の血管が破れて死ぬと思ったそうです。家族の顔が浮かんできてパラグアイには絶対に帰れないと思ったとか。ですから、私の注意することや、指示した時間は必ず守るように言いましたが、翌日午後そんなことも忘れて15分散歩するといって出かけたまま2時間帰ってきませんでした。我々の心配をよそに十分楽しんだようです。「日本の良い薬のお陰で私は早く元気になれた」と私の心配をよそに大喜びでした。