週末、同僚からの招待

週末、土曜日にかってのセンタの同僚から招待されました。祖母が「91歳の誕生日」を向かえるので、集まってお祝いパーティをするので是非来てください。ということで、お招きにあずかりました。こちらの皆さんの生活の一端をご紹介させて頂きます。なお、私は招待されるにあたり、何をもって行けば良いか悩んだ挙句、日本から持ってきたお土産用の一品と、手作りチャーハンを持参しました。私のキッチンにはまだ何も無いので、歩いて15分くらいかかる市場に結局3往復して物をそろえました。夕方6時30分には、無事狙い通りの「ねばねばしてない」チャーハンを作ることができました。美味しくする為に分量を4回に分けて作りましたから時間も掛かりました。日本から持ってきた、貴重な醤油を最後の味付けに使いましたからとても美味しかったです。皆さんも美味しいと言ってくださいました。 

 

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             チャーハン
パーティに持参する為に作ったチャーハンです
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           アサード(焼肉)
パラグアイのパーティに欠かせないのが、このアサード(牛肉)です。(日本の和牛肉と異なり筋が多いために、こちらで食事に使うナイフは刃先が金ノコのようにギザギザしています。多分日本のナイフではこのような肉は切れないと思います)。こちらに来て始めてこの肉を口にした日本人は、皆さんがっかりする筈です。この肉が美味しいと思う様になるには、5回以上経験しないと無理でしょう。日本のようにタレなどありません。塩味だけです。あら塩を肉にすり込んでから焼いていますので。肉を焼く時間は2時間半以上でしょうか、炭火で時間を掛けて、肉の中の油を追い出す様にじっくりと焼きます。パーティはたいてい、この肉が焼来上がる間、皆さんコーラを飲んだり、ビールを飲んだりして、お互い話をしながら時を過します。この間は大皿に準備された野菜料理等に手は付けません。日本だと、料理と飲み物はセットですが、こちらの家庭は違います。肉が焼来上がるとパーティも終盤なのです。焼肉は配られません。食べたい人は皿を持って焼いているところに自ら行きます。担当の男性が切り分けて皿に盛ってくれます。こちらの皆さんは食べ方を心得ていますのでこの切り身を全てを食べようとはしません。私は最初残しては失礼かと思って大変な思いをしたことがありますが、今回は心得ていますから、柔らかいところだけ頂いて後は残しました。(火で肉の外側は固くなっていますから、無理はしません。)肉の食感ですが、私はゴムぞりを噛むと表現しています。サラダを食べ、肉を頂くと、バースデイケーキに移ります。歌を歌い、ローソクを消し、ケーキを参加者に切り分けます。皆さんこれを頂いて暫くすると、帰られます。パーティの始めから終わりまで、誰かが挨拶をして、乾杯をして、誰かが終わりの動議を出して、〆てという日本のような流儀は一切見たことがありません。ビールを飲みたければビールと要求し、コーラであればコーラと自分の意思を示さないといけません。日本のように、酔って大きな声をだすとか、からむとかそういうことも見たことがありません。
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             パーティ
今回のパーティには楽団が来て、生演奏。それにあわせて、親兄弟、親戚の皆さんが一斉に踊りました。中庭が今回の会場です。耳元での生演奏ですから、物凄いやら・・。私は途中からダンスに引っ張りだこで、結局お婆さんの娘さん全員と踊りました。皆さん楽しんでおられました。日本の様に近所迷惑なんてことで怒ってくる人はいません。楽団が帰った後は、ステレオでガンガンラテン音楽を流します。パラグアイではパーティに音楽は欠かせません。また、土地柄パーティは机や椅子を準備(レンタル業者)して庭で行われます。家の中では一般的にはスペースがとれません。
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        91歳のおばあさんとダンス
お婆さんは、聞くことも、話すこともしっかりしています。多少足元が・・という状況ですが、ご自身でフォーク、ナイフを使って食事もされていました。
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          パーティ料理
パーティのための家庭料理です。
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     91歳のおばあさんとその子供達6人
お婆さんは9人子供を産みました。一人亡くなり、現在は8名です。(娘6人、息子2人)今日は娘さんと息子さんそれぞれ1名が参加できなかったため、6人に囲まれて写真を撮りました。一番遠くから駆け付けた娘さんは、なんとアルゼンチンのブエノスアイレスから1500km、バスで18時間かけて来たそうです。(飛行機なら2時間よとも話しておられました)お母さんのところに9日間滞在してまた帰る予定だそうです。旅行の仕方も違いますねー。そういえば、前回来たときにブラジルからきていた方が、故郷に帰るにはバスで72時間掛かると話していたことを思い出しました。
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  91歳のお婆さんと、孫、ひこ孫、玄孫の皆様
パーティの最後は皆で歌を歌って、ローソクを消して、といずこも同じです。皆さん私に日本語で歌うとどう歌うんだと聞いてきましたから、英語で歌うと答えても納得されないので、英語で歌ってみせました。皆さんやっと納得されました。
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  91歳のお婆さんと、孫、ひこ孫、玄孫の皆様
私も仲間に入って写真を撮ってもらいました。
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    91歳のお婆さんと男性メンバの皆さん
男性の方はアルコールも入っていたせいか、ケーキのクリームを指でこそいで、お婆さんの鼻や、口の端につけては笑っていました。歌を歌ったり、踊ったり楽しみました。こちらの挨拶は必ず両ほほをお互い交互につけて、「チュ」「チュ」と音を出すのが慣しです。挨拶を始めとして皆さんスキンシップがすごくて、私はどぎまぎしています。(私にはまだこの挨拶が上手く出来ない為)ケーキを頂いた後の皆さんの話題は、日本人の日常生活において、スキンシップが少ないと口を揃えて言っておられました。頭を下げる挨拶だけだというようなゼスチャーをされていました。私は参加者全員(子供さんたちとも)と握手をして、11時30分に帰りました。蚊も沢山飛んでいて、日本人は美味しいから狙われてしまうなんて冗談を言いながら、皆さんと楽しみましたが、まだまだ皆さんの会話の1割程度しか理解できませんから、4時間もいるとかなり疲れます。

センタ建物と式典の模様



 
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 センタ建物 : センタ内の建物から写したものです
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センタ建物 : センタ内の建物から写したものです
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  センタ建物 : センタ内から写したものです
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           大学工学部長挨拶
4月30日は「先生の日」です。今年は日曜日のため繰り上げて、金曜日に講堂で式典が行われました。アスンシオン大学工学部長さんが来られて挨拶し、校長先生、生徒代表、父兄代表がそれぞれ挨拶し、その後は生徒による音楽、感謝文朗読等ありました。歌を歌ったり、ギターを弾いたりみな上手でした。工業高校の生徒数は現在170名。(3学年計6クラス)これは7年前の半数です。原因は月謝が高いこと、セントロから20kmもあるため、通学が大変なことだそうです。体育館等はありませんので、スポーツサークルは何もありません。
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    工業高校長挨拶 : 先生の日の式典
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   生徒によるギター演奏 : 先生の日の式典

線路建設実習(初級)研修風景

 

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        線路建設実習(初級)
センタに隣接されている実習場です。主に線路技術者の研修に使用されています。警察の騎馬がいつも放牧されています
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        線路建設実習(初級)
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          線路建設実習(初級)
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         線路建設実習(初級)
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         線路建設実習(初級)
写真に映っている短い電柱は前回派遣されたときにが私が考案して作った線路です。昼休みにセンタの周りを散歩していて、線路の廃品置場に目がとまりました。そこには交通事故で損傷した鋼管電柱等が散乱していました。電柱中程から上部は傷がありません。物が無い国なので、何とかこれを利用できないものかと考えた末に、初級者研修コースの技術習得に利用する案が浮かびました。丈の短い電柱線路でも、やることは同じで、電柱の穴の深さが浅くなるだけです。測量、設計、位置決め、穴掘りからケーブル架設・弛度調整・引き止め までの一連の作業を、地上に近い位置で習得できます。廃品の鋼管柱を担いで運び、丈を決めグラインダーカッターで自分達で切断しまた。彼らはこれらの設備を大切に使っていました。(当時一緒に教官をしていた、ペソアさん、アマドさんはその後幾度か転勤されたそうですが、この時後輩の育成のために来ておられ、お会いすることが出来ました。)
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         線路建設実習(初級)
実習場の全体です。ヘルメットも無ければ、腰道具も各人に行き渡りません。柱上で作業する人数分しかありません。ニッパ、ペンチ等の工具も日本では全員当たり前に配られますが、ここではそんんなことできません。

アスンシオン、ルケ市の様子と定住のホテル、職場の風景

 写真を撮りましたのでお送りします。

 

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住居に決めたホテルの内山田新館フロント
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ホテル前の道路から内山田ホテルを撮りました。
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   私の職場のセンタの写真です

ルケ市はアスンシオン市の隣にあり、国際空港に隣接
しています。町には大きな建物は無いようです。
(まだ中心街には行っておりません。聞いた話によると)
このセンタには現在25名の方が働いております。また
敷地内には工業高校も併設されています。(3学年)
かっては国営電話事業体の技術者養成訓練センタでした
が、事業体が民営化された後はアスンシオン大学に移管
されたようです。従来から工学部の生徒が学ぶ教室があ
りましたからそのようになったのだと思います。いずこ
も民営化すると、費用の掛かるところは手放す動きです。

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     建物正面近くから撮りました

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センタの正門から道路右手方向です。
セントロから20km離れた「ルケ市」にセンタがある
ため周りは閑静な(牛も馬もいます)ところです。
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センタ正門から左手方向の道路
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アスンシオンの住宅街
主要な道路から1歩入ると全てこの様に道路は映画で
見るような石です。車はガタガタと走ります。
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アスンシオンの住宅街です

アスンシオンのある住宅街です。道路に石を敷き詰めて
あることがおわかり頂けると思います。
この石を敷き詰めないと大変なことになってしまいます。
(硬い粘土質に覆われていますので、雨が降ると車がス
リップしてしまいます。・・・・・雪が降ったところを
ノーマルタイヤで走ることと同じ・・と申し上げた方が
判り易いでしょうか。工事方法はまず路床を平らにした
後、石職工さんが、一つ一つの石を調整しながら、並べ
てゆきます。私はまだアスンシオンで、このような硬い
石を産出している場所を見たことはありません。
どこか他所で産出されているのだと思います。

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アスンシオンの主要道路「マリスカル ロペス」
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アスンシオンの主要道路「マリスカル ロペス」

アベニーダ マリスカル ロペス はアスンシオン郊外
からセントロに至る道路の一つです。
地図にも「アベニーダ」と最初に書かれています。辞書
には「大通り」「並木通り」と説明されています。写真
に並木は映っていませんが、前後の場所には確かに並木
があります。

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ボンネットバス

殆どがメルセデス ベンツ社製で、日本の快適なバスは
見当たりません。ジーゼルエンジン音が剥き出し、排気
ガスが酷い、シートはカバーありません。
乗車してから降口(後部)に移動するのは、日本のバス
に慣れた方はサーカス団ではないかと思うくらいです。
なぜかと言いますと、坂があるうえに、路面が平らでな
い為に揺れが物凄いです。
先ずは「百聞は一見に・・・」で来てみて、乗ってみて
頂きたいと思います。

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ボンネットバス

バスは運転手一人が運賃の受け取りから切符、つり銭ま
でを扱います。クーラはありません。このため前部乗車
口ドアはどのバスも常に開放されています。また窓も開
けっ放しです。派手な色を塗ってある為、最初はビック
リしました。日本のバスを見ると何か変な感じがします。
椅子はアルミか鉄が剥き出しです。

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シニア海外ボランティア
横田 正
Tadashi
 Yokota
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近況の報告(2006.4.23)

近況のご報告です。

 住まいは今まで仮滞在していたホテルにしました。このホテルは長期滞在者用の部屋もあるので、私は新館12階の123号室から、旧館4階 77号室に昨日土曜日午前中に引越しました。冷蔵庫が小型のため、冷凍庫のスペースは僅かです。このためホテルのご主人のご配慮で小型冷凍庫を新たに購入して据え付けて頂きました。
 18日だったでしょうか、不動産屋さんと契約のため、2625ドルを準備して車で迎えに来てもらうのをホテルの部屋で待っていたところ、JICA現地事務所の担当の方から、以前退去時に問題があった情報を入手したので、契約不可の連絡が入り、結局そこは断念しました。(契約書翻訳が5ページに達しました)
 このような状況なので、その後不動産屋さんと既に見た物件で、候補2番手を再度見に行きましたが、私には条件が合わず、止めました。不動産屋さんには21日の夕方正式に「UCHIYAMADA HOTELに住みます」と伝え了解してもらいました。(いろいろ案内していただきましたから)
 こちらは騒音規制条例のようなものがあるかどうかですが、兎に角、路線バスのエンジン音が剥き出し状態で(オーバな表現かも知れませんが)前回それが私には辛かった思い出がありました。
 物件の条件としては、安全、南向き(日本では北向き・・夏暑いため)、騒音、給湯設備、費用、インターネット、職場への通勤(片道20km)、食材の買出し利便(日本人好みの食材購入に便利なところ)等々の条件を加味して決めました。

 経営者ご夫妻は日系の方で、レストラン「SUKIYAKI」も2階で経営されています。このレストランのメニューは「日本食」中心で、すきやき、寿司、ラーメン、カレー等
たいていのメニューは揃っています。ご主人様からは、日本から横田さんをはるばる訪ねて来た方からは、宿泊費等のお金はとりませんとも言っていただいております。

 仕事の方は7月にセミナーを行うということなので、その内容について現在把握しています。

  2006.4.23

NHK-TV ”小さな旅”(2006.4.16)

アスンシオンとのメール

横田さんへ
 今朝、NHK-TV、小さな旅を見ていましたら東京大田区の町工場が放映されていました。式田さん?と言う60歳の方が後継者不足から工場を閉め、パラグアイに移住し技術を伝えたいと紹介されていました。私の家業でした精密加工業で同じ仕事を子供の頃から携わって来ましたもので懐かしく拝見しました。横田さんと同じ頃にそちらに行かれた様子です。ご本業が落ち着かれましたらそちらの文化や日本人の活動をそちらから発信されてはいかがですか。こちらで出来ますことは応援させていただきたいと思います。
   浜

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メールありがとうございました。
 
ご覧になられた、TV番組の件、こちらのホテルでちょうど私も見ていて、ご本人の式田さんもおられ大騒ぎになりました。
式田さんは外で食事を済ませ戻ってきたところで、私は別の方から食事に誘われ出掛けるところでした。どこで食事をしてきましたか?とロビーで式田さんと情報交換をしている最中の出来事でした。私が仮泊しているホテルの経営者は日系の方です。このためNHK BSチャネルが見れます。ホテル室内やロビーでTV番組を見ているときは、日本にいるような感じです。(番組の時間帯は昼夜逆転)

こちらの天気は金曜日の夜から、トルメンタ(雷と暴風雨)が襲来し、いままで暑かったのに一気に過し易くなっております。大陸のせいか、山が無い為なのか、寒冷前線の移動はホテルの窓から眺めていると、手に取るようにわかりました。それは、空一面にシーツを覆い被せ、それを端から引っ張って、徐々に大地を隠してゆくような、雲の動きを見ることができるからです。(南極方向から赤道方向に低気圧が移動してゆきました)大陸の大きさを感じる一瞬です。

結局土日の2日間、TOSYSドリームフェスタ用品のパッキング作業と語学勉強、休養等になります。(やっと時差による影響も無くなってきました)本日はもし時間があれば、歩いて入居予定のアパートを再度見にいってこようかなとも考えています。いろいろアドバイスありがとうございました。

16.4.2006 AM8:35 横田

セマナサンタ(聖週間)

こちらは、12日(火曜日)から、セマナサンタ。(Semana Santa)<宗教>(聖週間)ということで、5日連休に入りました。日本で言えば、ゴールデンウィークに相当すると思って頂けば良いかと思います。

昨日12日はまだ沢山のお店が営業していましたが、今日13日は殆ど閉り、観光客相手の土産店、レストランなどが営業している程度です。バスの本数も極端に減り町は静かです。
観光客が多いセントロ Palma通りに出掛け買物(トーシスドリームフェスタ用)と写真を数枚撮りました。Palma通りでは、聖週間のために臨時にチパ焼きの釜を準備し、観光客に売っていました。

<チパを紹介します>
こちらで日常道路沿いのいたる所で売られ食べられてている食べ物です。様々な形・大きさがあります。材料はトウモロコシの粉、チーズ、豚の油、塩が基本だそうです。あとは牛乳とか、それぞれのものを加えてオリジナリティを出しているそうです。焼きたてを買ってほうばるのが一番美味しさを味わう幸せの一時です。

この国は観光名所が少なく(コロンブス以降500年の歴史しかない)・・日本は2000年近くの歴史がありますので名所数も桁が違います。  鉄道網もありませんので観光客が多いと言っても、人口500万人の国のためか、どこに行っても沢山人がいるという光景はなかなか目にしません。

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           満開の大木の花
私の泊まっているホテルの近くで大きな木が満開の花を咲かせていたので撮りました。
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           チパ焼き釜
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         チパを買う人
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        チパを買い求める人々
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          チパをこねている
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       ガラニー族の土産店(露店)


おばさんはガラニー語、スペイン語も話します。結構ムッツリしていた方が観光客にうけるのか、あまり多くを語らず、ゼスチャーで売ろうとします。
チパ売り場の近くだったので、私は椅子に腰を掛けたままで、「彼女に写真を撮らせて」と許可を求め「どうぞ」ということで、撮らせてもらいました。

写真からは、男性のように見えるかも知れませんが、女性です。写真を撮った後に、土産品を買って頂戴!とういうゼスチャーをしてきました。商品にはそれぞれ値札が付いていません。このためよその商店で相場を把握しておくと交渉がスムースです。商談はまずはおばさんの言い値から始まります。初めて見ると怖そうな顔をしておられますが、皆さん優しい心の方です。今回は時間を掛けて、ゼスチャーとスペイン語で交渉をしましたが、私が値段を言うと、その都度隣の若い方と顔を見合わせ微笑んでいました。
私にはその時の二人の微笑みのあどけなさが何とも言えない親しみを感じました。

土曜日(15日)にはカークペという町に出かけます。こちらでは大きな教会(Iglesia)があり多分この聖週間には多くの方が訪れていると思います。さしずめここにある教会の存在は、日本に置きかえると、身近では善光寺とか、成田山の寺のような存在でしょうか。
その次の日曜日(16日)は今までまだ一度も乗車したことの無い、薪を燃やして動く蒸気機関車に乗る予定です。素敵な写真が撮れたら送ります。


(追)ドリームフェスタ用の品 既に80点程買いましたので来週あたりに発送しようと考えております。
どのようにして送るかが、これからの課題です。

セントロ風景(2006.4.8)

今日は土曜日でセントロに行き写真を数枚撮りましたので掲載します。

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          パンテ
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         パンテ
 パンテは ・・・「パンテオン デ ロス エロエス」
  日本語に直訳すると「複数の英雄の霊廟(れいびょう)」
  (複数の英雄の霊をまつった屋舎)

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           官邸  ・・・大統領官邸
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              ニャンド
  ・・・ニャンドウティという特産の織物の服飾品露店
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                露店
 露店は・・・ガラニー族が作った作品のお土産屋(露店)
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 土産店売子さん・・・お土産コーナの売子さんお願いして
             撮らせていただきました。

夕暮れのアスンシオン ASUNCION

 今日の夕暮れのアスンシオン 

 今朝の現地の写真(2006.4.7)
                       日本時間2006.4.7 08:30
                       現地時間2006.4.6 19:30



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      写真1(この写真のみ4月5日昼現地)
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                写真2
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                写真3
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               写真4
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                写真5
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               写真6