スケッチに絵具を塗ってみました。

スケッチに絵具を塗ってみました。
先日Dia de Jubentudの日にスケッチを厚紙にコピーしそこに水彩絵具を塗ってみました。実物の建物を見た感想は埃などで汚れているという感じで壁はとても綺麗な状態ではありません。その感じを少しは出せたと思います。(水彩絵具を塗ったのは中学校以降では初めてです。本来オリジナルに塗るべきですがあくまでもオリジナルは鉛筆スケッチにこだわり、今回はコピーしたところに塗りました。事務用のA4用紙では紙が薄い為に水彩絵具が乾くと紙がよじれてしまいます。このためコピー可能な厚紙(A4)を購入しコピー機でコピー)
 

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水彩絵具を塗ってみました。

健康診断受診

健康診断受診
こちらで健康診断を受診しました。
急激な食の変化、環境変化がありましたのでチェックすることも大切です。(歳ですので)私の住んでいる近くにSANATORIO ADVENTISAT(私立病院)がありますが、そこで受診するよう指示され行ってきました(919日)。血圧、血液(PSA含む)、尿・大便、胸部レントゲン、エコー等です。結果2つ指摘をうけました。一つは暫く投薬する、一つは再検査です。1点目は数年前からの指摘事項なので食事に気をつけ、運動もするようにしていましたが、こちらに来てから自分で食事を作るのでレパートリーがありません。常に同じ食材を購入し同じものを食べてしまいます。またチーズなども日本で食べる以上にパンにのせピサふうにして沢山食べていました。油をつかったもの、肉類も多く口にするようになっていました。もう一つは日本を出る前の検査では正常値だったのですが今回標準値を越えているというのです。これも高齢になると発症する病気なのですが知識がなかったので早速インターネットで調べました。親がどうだったかという遺伝的な要因の他に、食生活の注意・継続的運動も必要なことがわかりましたから、これからこちらでどうやって運動を続けていくか真剣に考え続ける必要があるります。派遣前研修では主に海外で危険な(強盗、盗難)や性病関係、風土病については教えられますが、日常的な食生活は後回しになりがちです。このため何も注意することなく2年間自由に肉食を続けたら、かなり健康がむしばまれることになってしまいます。私はかって最初の1年間の海外生活ですっかりこの値を高くしてしまい、なかば脅迫めいた強力な言葉で食の改善を迫られました。海外での食生活(特に肉食地域)については奥様同伴でないかぎりは余程注意しないと食生活がもとでかなり値を悪くしてしまいます。食生活や日常生活を考えると奥様と同伴したほうが良いでしょう。(奥様の役割の大切さをあらためて認識させられております)

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SANATORIO
 ADVENTISAT(私立病院)
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MeyarLab
:ここで血液再検査をうけました。ペルー通りから更に1町東側の通りとクルパイティ2アパート前の道路の延長線上交差点角の丸い形の建物。

パラグアイに春が来た

パラグアイに春が来た
Estamos en primavera.
このところ1日の最低気温と最高気温の差が少なくなって、通りすぎる風が心地よく感じます。また徐々に朝の寒さが緩んできてはいますが、今朝(925日)は11℃でしたからまだ油断できません。春がきたといっても日本の春とは異なり、一斉に花が咲き新芽が吹きだし新緑が目にしみる、春はいいなー!というはっきりした認識がもてません。たしかこの木は葉がなかった筈とかこの木は緑鮮やかだが新緑?みたいな感じです。日本のように徐々に紅葉して錦鮮やかな状態を経て落葉するゆっくりした変化が見られません。突然葉が茶色くなったかなと思ったら落葉してしまい風情もありません。ですから気がつき難いです。また常緑樹も沢山ありますので落葉樹が目立たない気もします。気温も夏があったり冬があったり春もあるという、1日のなかにあるいは日毎にいくつもの季節がミックスされている感じです。話は替わりますが、こちらのテレビ局は画面隅に常に現在の気温を表示しています。これは気温の変化が急激であることから、こちらの皆さんが風邪など引かない様外出時等の身支度の参考にするためにサービスしているのだと思います。

ΨΨΨ  春の花  ΨΨΨ
~春は名のみの風の寒さや~」パラグアイにはこのような節回しは似合いませんがこちらの冷たい風は時に辛いものがあります。春の息吹を待って咲いた可憐な花・大木に咲いた花を紹介します。どれも内山田ホテル近く、アスンシオン大学構内、CITEC-FIUNA(職場)、セントロに咲いていたものです。とても「百花繚乱」とはゆきません。
 

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Santa Rita
の見事な枝振り
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アベニーダ マリスカル・ロペス:紫色の花を咲かせるジャヤカランダ(ハカランダ)
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アスンシオン大学キャンパスの大木に咲く淡い色の小さな花
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大統領官邸裏庭に咲く可憐な花
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職場の庭に咲く可憐な花
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職場の庭に咲く可憐な花
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センタのグランドに咲く黄色い花
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センタのグランドに咲く紫色の花
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センタのグランドに咲く白い花
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センタのグランドに咲く濃いピンク色の花
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センタのグランドに群生する黄色い花
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センタのグランドに芽を出した「ヨモギ」みたいな植物
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センタ内の枝を落された木:丸裸にしてしまった経緯はすでに紹介しましたが、枯れることなく芽を出しました。
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歩道に出てきた「Santa Rita」の花
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Santa Rita」の花
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民家の花壇に咲く花
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~卯の花のにおう垣根に~」花も臭いも似ていましたが、枝や葉のつけ方は異なっていました。
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内山田ホテル道向いのIPSビル裏に咲く「ラパチョ」。既にラパチョの花は以前から紹介しておりますが、同じアスンシオン市内にあってもそれぞれ木によって咲く時期が異なっています。
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内山田ホテル道向いIPSビル横に咲く「ラパチョ」。左側建物:内山田ホテル新館ビル(灰色とうす緑色のビル・19階。右手黄色ビル:IPSビル。
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SANATORIO
 ADVENTISAT(私立病院)裏庭(駐車場)に咲く「ラパチョ」。左手:日本の「枝垂れ柳」だと思います。(この病院には日系人医師(森川医師)や事務員が勤務されています)
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ホテル屋上から:東の方角街の春は見えますか?ラパチョの花はあまりありません。
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ホテル屋上から:南の方角ラパチョの花が遠くに咲いています。遠くに見えるパラグアイ川の対岸はアルゼンチン国です。

アスンシオン港風景

アスンシオン港
アスンシオンは何故栄えたか?
アスンシオンのセントロは坂の多い街です。歩いてみると良くわかります。セントロは高台にあって、しかもシャモジの先端のような地形をしていてその周りを川が流れています。ということはこの大きな川の辺にあって大雨で川が氾濫したときでも水害を被ることなく安心して暮らせたし、住まいからの眺めもよかったでしょう。水はけも良かったから雨が降っても乾燥も早かったと思います。一番は本流から脇にそれた静かな入り江があることが港として格好の地だったと思います。アメリカ大陸をコロンブスが発見したのが1492年です。其れから遅れて1537年ファン・デ・サラサールがパラグアイを発見しました。当時スペイン人はアメリカ大陸を発見して以降、金銀を求めて南米大陸を南下しました。当時は船でラプラタ川を遡って奥地に入りこんできたようです。アスンシオンはこの金銀を探し求めて船で奥地に遡ってきた人達の休養と食料や水の補給基地の役割をしたそうです。
その港を紹介します。
~~~ アスンシオン港(Puerto) ~~~
船が数隻停泊していました。私は対岸との連絡船(小船)に乗船しました。船頭は沖合いの中州のクラブ(ヨット他レジャー施設)に行きたいのか、それとも対岸へ行きたいのか私の意向を確認しました。既に私を含め約20人の乗客がいたので何時に出航か船頭に尋ねたら930分と答えがかえってきました。まだ15分程ありました。
 

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停泊する作業船とパラグアイ海軍艦艇(今は戦争博物館)
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港に停泊する貨物船
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停泊する海軍艦艇(今は戦争博物館)
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沖合いから:貨物船とセントロビル群
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沖合いから:遊覧船:機会を見つけて乗船してみます。
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沖合いから:貨物船と港
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沖合いから:港全景
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沖合いから:Rio PARAGUAY下流方向:ラ・プラタ川を経て海へ続く(水深は乗客に聞いたら10m15m
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沖合いから:セントロ ビル群
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沖合いから:セントロ ビル群(ズームアップ)
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仲良くなった乗客の家族:両親とその娘さん(15歳)・船に乗って出航を待つ間の15分間で色々話をして皆さんと仲良しになりました。対岸の親戚のパーティ(誕生会)に出掛けるところだそうです。
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仲良くなった乗客の家族:姉妹(12歳、10歳)と叔父さん。姉妹はの写真の家族です。この他に男の子(14歳)が私の隣に座っていました。この叔父さんが一番積極的に私と話をしました。まわりの娘さん達は最初私と(外国人)話すことをためらっていましたが、目は何か話したいという目をしていました。母親が「話しなさい」とか「答えなさい」と娘さんたちに促していたので、船を降りる頃は家族と親しくなりました。子供の料金は半額か聞きました。(同じ)叔父さんは身体が大きいから2倍の料金かと更に尋ねたら皆で大笑いをしていました。
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対岸の様子:真中で背を向けているのが息子さん(14歳)。小船は川に張り出した中洲を迂回し、本流を横切り対岸に着きました。流れに逆らっての航行ですからスピードはゆっくりでした。川の流れはそんなに速くはないと思います。船頭は出航前に左右の乗客のバランス(重さ)を考慮して客を移動させていました。また救命胴衣も身につけはしませんでしたが備わっていました。
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対岸上陸:約35分かかりました。途中1箇所寄港しましたし、流れに逆らっての航行ですから多少時間がかかったと思います。一番手前の船に乗ってきました。ジーゼルエンジンの音が「カンカン」ということから乗客のおじさんは「カンカン」船というのだと笑いながら教えてくれました。写っている老人は篭に入ったお菓子を船着場で売るようです。
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対岸上陸:知り合った家族を撮りました。長女(Yamile)の分厚いアルバム(15歳誕生パーティ)を見せて頂きました。(パラグアイでは女性は15歳が成人式です)ドレスアップし化粧して盛大なパーティを開いた沢山の写真を見せていただきました。(とても綺麗)皆さんはこれを持参してこれから親戚の家に行くようです。(まだ78km先だそうです。歩いてはとても行けないので車を探していました)私が身分証明書をみせると、そこに私がサインした漢字を見て、Yamile(ジャミレ)という名前を漢字で書いて下さいと母親から頼まれ困り果てました。叔父さんが私に名刺をくださいましたので1ヶ月後にこの写真を会社に届けると告げ、全員と握手して別れました。
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帰り船:船内から船首方向を見て撮りました。・写真の家族と別れ船着場に戻るとと「船がでるぞー」と船頭が声を掛けてきました。船内エンジンは私が実家の野良仕事に使ったトラクタ(ジーゼルエンジン)と全く同じサイズで起動方法も同じでした。1030分出航。救命胴衣が天井からぶら下がっていました。途中2箇所寄港して計10人の客を乗せ約30分で着きました。

雨のアスンシオン(9月23日、秋分の日)

923日(秋分の日)は雨でした。(雨のアスンシオン)
こちらでは921日はDia de Juventud y Primavera entra という日と教えられました。(直訳:若者の日、春の入り)923日、日本は秋分の日ですがこちらでは春が始まる日だそうです。久し振りに夜明けから激しい雨降りでした。時折雷鳴が響き強い雨が降り、植物にとっては「良いお湿り」になったと思います。どの写真をみても真っ青な好天の写真ばかりですので「雨」の写真を敢えて紹介します。朝7時半頃の景色です。
 

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内山田ホテル近くの道路:一気に流れ去る雨水。アスンシオンは道路脇の側溝が完全に整備されていません。このため「にわか雨」が降ると道路上を一気に水が流れます。道路地盤が周りより低い場所では直ぐに路面が冠水してしまいます。余計なことですが、土地を購入するときは雨水がどう流れるかも一つのポイントのような気がします。宅地や庭などに一気に水が集まってくるような地盤高では困りますから。
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内山田ホテル近くの道路:坂の上の方から道路脇を一気に水が流れています。
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内山田ホテル前:周りから道路に流れ出た雨水。レストラン「SUKIYAKI」の看板が見えます。参考ですが、ホテルとしてよりもこの名前を出したほうがタクシー運転手もすぐわかってくれます。(ホテルと書かれた看板は見当たりませんので)

愛犬チェリーの近況写真

愛犬チェリーの近況写真
いまや主人(私)の軽トラ(SUBARUサンバー550cc 超アンティグオ)に乗って出掛けることが全くできなくなってしまい、最初の写真を見る限り「つまらなそうな顔」にみえます。私が日本にいたときは土曜日や日曜日、一緒に職場に行って皆さんにかわいがってもらったこともありましたが今はそれもできません。私が在宅当時、チェリーの最大の関心事は「今日軽トラ(助手席)に乗って外出できるか否か?」だったのです。そのため私がどのような服装をするか確認することが毎朝の日課でした。ネクタイを締めれば「落胆」し、カジュアルウエアを着れば「期待の持てる日」になって玄関で小躍りしていたものです。私がいつまでも新聞を読んでいると我慢できなくて新聞を踏みつけ、私の顔をぺろぺろ舐めては外出を促していましたから。私が発する掛け声の「ヨシ!」とか「サテ!」は出掛ける時の合言葉みないなもので、チェリーは窓辺で寝ていてもこの掛け声を聞くとご機嫌な気分で直ぐに立ちあがって両前足伸ばしの「お出かけモード体操」が始まるのです。そして玄関で「どこに行くの」みたいな眼差しで私の出掛ける準備を待ちます。今はきっと「どこに行ったのやら?」と何もわからず単調な毎日:窓辺で道行く人を眺める日々?を過していることでしょう。リクエストがありましたので、先日家族に「写真を送って」と頼みました。届いた写真にはチェリーのこのところの気持ちそのものが表情に表れているような写真でした。セニョールちょと里心ついちゃったかな!!
 

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送られてきた写真:愛犬チェリー嬢の寂しげな顔(少しおばあさんになったかも!)
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私が持ってきた写真:さみしいような写真だけでは気分が沈みますから、2年前の写真を持ってきていますので紹介します。私が庭で何かするときはチェリー嬢もいつも一緒に玄関先で楽しんでおりました。

カアグアスに行ってきました。 Caaguazú

カアグアスに行ってきました。(Caaguazu
Asunción
からの距離:178km(アスンシオンから東方向)
泊まったホテル:Hotel TAYI(TELFAX:0522-41801) (TAJYとも書かれています)
往路バス会社:San Luis 
往路(16日): 7:40 Asunción  ⇒ 10:00Col. Oviedo 10:10⇒  10:50 Caaguazu
復路バス会社:Rapido Caaguazú 
復路(17日):    7:45 Caaguazú⇒  8:30Col.Oviedo  8:35  ⇒  11:00  Asunción
Caaguazú
Asuncionからシウダ デル エステに向うルータ7号沿いの町で凡そ中間点に位置する場所にあり活気を感じました。(コロネドオビエドまではルータ1号でそれより東はルータ7号と番号が変ります)Caaguazúの旅は距離も短かくバスの乗車時間も3時間だったので私には楽でした。Caaguazuでお世話になったHotel TAYI(タジ)はとてもシンプルでしたが、カーテンやローカの花瓶、タイルなどは私の好みと合い今までにない心地良さを感じました。

*** Caaguazúバスターミナル***
Caaguazú
のバスターミナルはルータ7号から道路一本分脇に沿うように長く作られていて規模は大きくありませんが、エステ方向に向うバスの殆どが立ち寄るため、沢山のバス会社の窓口が設けられていて賑わっていました。

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乗ってきたバス
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右がターミナル建物、左がルータです

*** チパを買いました***
 
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バスの中で売られるチパ。(CHIPERIALETICIAという会社(Casa Central:Minga Guazu km13.5 TEL:064-420-729)が常に上り・下り路線で社内販売しています。なぜか売子さんは全員がミニスカートで、小さな前掛けをし全員がパンストをはいているのが際立った特徴といえます。売子の皆さんの年齢は中年層が多いと思います。(写真撮影は応じていただけません)チパは以前も紹介しましたが、焼き立ては美味で虜になり、二つも食べると汗が吹きだします。(釜揚げウドンを食べた後みたいに

*** Caaguazúターミナル近くの様子***
 
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帽子を売る露店が2軒ありました。色合いがとても面白いので写真におさめました。
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写真をとってもいいですか?と少年にお願いして撮りましたが撮り終わると、帽子に名前を入れるので一つどうかと勧められました。
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グリル焼きの焼肉店「ラ・レバンチャ」の看板 内山田ホテルの運転手さん(アレハンドロ ベニテス Alehandoro Venitez)が7年間バス会社でエステ行き長距離バスの運転手をしていた頃世話になったという店だそうです。「訪ねて行くときはバスターミナルでバスを降りたらあまり動かず、じっと辺りを見まわせよ!」とアドバイスしてくれました。教えていただいたとおり、近くにありました。訪ねた男性はレジで働いていましたがベニテスさんを思い出せないというので、ホテルの電話番号を教えました。
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グリル焼き「ラ・レバンチャ」
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「ラ・レバンチャ」の鳥の丸焼き。薪で焼いていました。鳥を刺した串は火がまんべんなく通るようにモータで回転します。
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「ラ・レバンチャ」の昼食:(バイキング形式)マンジョウカとマカロニを煮たもの、肉を煮た料理や、アサード(焼肉)もありましたがコレステロール値が高いので敬遠。マンジョウカを要求したらこのように沢山盛りつけていただきましたので私は全てたいらげました。盛りつけたウエイターさんもビックリしたかも知れません。
 
***
主要な建物紹介***
 
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Copaco
 Caaguazúの鉄塔アンテナ(高さ126.5m
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Copaco Caaguazú
支店
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Municipalidad de Caaguazú
 
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Iglesia
Inmaculada Concepción(単語毎に直訳すると「汚れの無い」「受胎」となります)辞書による熟語は(《カトリック》[聖母の]無原罪のお宿り)
 
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Iglesia
Inmaculada Concepción左手から。ちょうどミサが行われていました。
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警察署:署のまえに事故車が3台放置同然に置かれていました。
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ラジオ放送局:教会でミサを終えた人達がトラックに乗って帰って行きます。カメラを持っている私に向って口々に何か言っていましたので、写真を撮りました。

*** Hotel TAYIの紹介***
バスターミナルから1kmはあると思います。レストラン 「ラ・レバンチャ」からルータの反対側のPrincipalな道路をルータから遠ざかるようにCopacoのアンテナに向って歩くと判り易いです。ホテルの経営は奥様(Duena:ドウエニャ)、御主人が薬局を営んでいることを知りました。奥様のお兄さんがフロントを切り盛りしているようです。日曜日早朝この兄弟とお兄さんの奥さんの3人がフロント前でテレレをしていました。

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Hotel
 TAYI外観(右側がご主人の薬局、真中が奥様経営のホテル入口)内装はシンプルでしたが使っている材料は品質が良く、カーテンや絵、花瓶などの飾り付けに奥様(女主人様)のセンスを感じました。ウイークデイは多くの客が利用するそうです。(2025人収容、創立25年)
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ホテル玄関付近:Caaguazの人口はフロントにいたおじさん(奥様の兄)の話では10万人と話していました。町を歩いて感じたことは今まで訪れた田舎町では一番活気があるような気がしました。
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フロント前:大きな空間ではありませんがコンパクトにまとまっています。
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バニョ(洗面、シャワー、トイレ):床や壁のタイル素材も大きくて立派なものでした。
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冷蔵庫(客室に置いてあるのを初めて見ましたが、中にドリンクなどはありませんでした)
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号室の部屋:この国で泊まったホテルの中では一番マットレスが硬く私は気に入りました。これも奥様のセンスと感じました。

*** ホテルの印象***
「明日の朝は6時に起こして下さい、朝食は6時半からお願いします」と昨夜お願いしておいたので全てそのとおりにして頂きました。この日は10人の宿泊客がいましたが私が一番早起きだったようです。奥様(女主人様)はベンツの大きな乗用車を所有していて、他に日産のRV車がガレージにありました。子供さんは女の子4人で2人が既に結婚しているそうです。ホテルの他にも学童相手の施設をルータ7号沿いに所有していると次の名前を兄の方がメモしてくださいました。(GRANJA-ESCUELA.TIA.DINA.(CAPITANCUE) RUTA.7 私は次の機会にこの町から70km位先にあるウベティ保護区に行ってみたいのでその行き方を二人に尋ねました。そこにはホテルは無く、ルータ7号沿いのJose D.Ocampos(小さな村)でバスを降りそこからTorin方向に17km位入ったところにあるようです。このような時にはマイカーがあると自由に動けるのですが・・。フロントで兄弟とその奥さんの4人でしばし話をし「8時のバスに乗りたいので出発しないと」と私が言うと、奥様は「車で送らせるから」と言っておじさんに指示していました。途中状況を確認する為にこのおじさんはホテルの雇われ人で夜勤担当の方と私は思っていたので・・おじさんは「私達兄弟家族がホテルなどを切り盛りしているのだ」としきりに話しておられましたことで女主人様の兄がこのおじさんで、もう一人の女性は彼の奥様だということがわかりました。(おじさんはとても腰の低い方でしたので、雇われ人と思っていました)

*** 町の様子***
町の中の特徴あるお店などを紹介します。

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ルータに設けられたロータリー。写真の先がアスンシオンに向います。右側にラ・レバンチャ、左側にある道路を進むとHOTELに向います。
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主要な通り
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ある交差点:ゴムの木ですがこれはまだ小さい方です。道路を塞ぐように繁茂しています。
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PLAZA
 LIBERTAD
 
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このお宅の植木は高野真木に似ています
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食堂
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靴屋
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果物・野菜販売店
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Hotel
 CESAR PALACEの外観
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CABINAS
 TELFONICASはパラグアイ国中にあります。公衆電話が少ないこと、加入電話の充足が行き届いていないことからこのような商売があるようです。
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町のバイク・自転車販売店:日本メーカの名前は看板にありませんでした。
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ホテルの隣の食堂で食べた夕食:散歩の時に6時半に来るからといって予め食べたいものを伝えておきました。Lomitoとサラダとパンです。肉はタマネギを刻んで醤油で味付けしたもの(日本人好みコロニア インデペンデンシアで食べたのと同じ味付け)上に目玉焼きを二つ載せたものです。(私は目玉焼きを一つ取り除いてもらいました)野菜サラダはトマト、レタス、タマネギです。味付けは塩味にして頂きました。

スケッチ紹介

スケッチ紹介
滞在中2年間の余暇利用の目標に「スケッチ10作、版画5作」を掲げ準備をしてきました。(版画用板・彫刻刃・バレン・トレーシングペーパー・カーボン紙・ヤマト糊・筆・絵具(黒))スケッチ5作が完成しましたので紹介します。現地で描くことが良いのですが、自家用車もないために幾度もそこへ足を運ぶことができませんから写真を撮ってきて描きました。版画作成はもう少し時間が必要です。紹介のついでにスケッチブックに描いてある長野県の国宝建築の絵を紹介します。
 

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カアサパの教会(イグレシア)
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教会(イグレシア)「サン ホセ」(アスンシオン)
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パパイア(マモン)
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動物「カルピンチョ」(ビジャリカの公園)食肉用、皮革用に乱獲されてしまいました(ムーミンの原型)
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ビジャリカの大聖堂(カテドラル)

*** 故郷・長野県の国宝紹介(建築物)***
 
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国宝「安楽寺八角三重塔」(上田市近郊 別所温泉 北向き観音 近く):室町初期 三重塔といっても四重にみえます。一つはひさしなのだそうです。たまたま、「北向き観音」に詣で、ついでに足をのばしたのですが、雪が降った翌日の夕方だったこともあって、白と黒のコントラストが素晴らしく息を呑みました。未だに忘れられません。(絵には表れていませんが
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国宝「大宝寺三重塔」(上田市近郊、青木村):鎌倉時代  規模は大きくありません。また「安楽寺八角三重塔」ほど訪れる人も多くないと思います。北側が山のため屏風に囲まれたような環境で、昼頃は日当たりも良く、早春の晴れた日などは暖かく気持ちが良いです。長野県にはこの他に「善光寺」(長野)、「松本城」(松本)、「仁科神明宮」(大町)の国宝があります。合計5つの国宝建築があり全て写真におさめておりますが、今までに版画を作成したのは「松本城」「安楽寺八角三重塔」の2つです。

仲良くなった近所の犬

セニョールはこちらで犬を見つけました紹介します。
ホテルから歩いて10分程の民家です。ご夫妻と息子(アルナルド君小学3年)と奥様のお母さん(お祖母さん)で暮らしていますが、犬が3匹います。名前は「ペルサ」(雌)「ピッチン」(雄)「ビル」です。「ペルサ」は「ピッチン」のお母さんです。「ビル」は全く犬種が異なります。3匹とも最初はかなり警戒して吠えていましたが、先ず「ペルサ」にお菓子をあげたらそれ以降ひれ伏して私に近寄ってくるようになり、今ではすっかりなついて私に甘えてきます。「ピッチン」「ビル」には先日小魚を持って行きましたが、魚は生まれてこのかた食する機会が無かったのか、食べようとしないので私が先ず食べて見せました。そしたら口にして味を噛締めて食べていました。美味しさが判ったのか前足で要求するような仕草を見せ、これを機に私は彼らにとって怪しい人から美味しいものを運んでくる人にかわったようです。
 

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ピッチンとアルナルド君
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ビルとアルナルド君
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ペルサ:写真を撮る為に呼ぶとこの様に甘えて寄ってきてしまい、身体全体を撮ることができませんでした。

秋篠宮紀子さま ご出産のニュース

秋篠宮紀子さま ご出産のニュース
このニュースをNHK-BSで夕方から(こちの時間)見ておりました。おもわずカメラをとってきてTVに向ってシャッターをきりました。日本との距離は遠くとも、情報の距離は非常に近いです。日本で暮らしている皆さんと日々同じニュースを見ております。(時差あり)
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秋篠宮妃紀子さま 6日(日本時間)ご出産のニュースが5日夜(パラグアイ時間)ニュースで報じられました。
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6日(日本時間)にご誕生された秋篠宮ご夫妻の長男(親王)の名前が「悠仁」(ひさひと)に決まったことが報道されました。名前はご夫妻で相談し、秋篠宮さまが決めた。皇太子のお子さまには天皇が名前を贈るが、宮家の場合は宮家当主が名付ける慣例がある。「悠」には悠久や悠然の熟語にあるように「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んで欲しい」という願いが込められているという。NHK-BSで報じられました。
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市民のお祝いの声
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朝日新聞 号外
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市民のお祝いの声
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小泉総理のコメント