アスンシオン港風景

アスンシオン港
アスンシオンは何故栄えたか?
アスンシオンのセントロは坂の多い街です。歩いてみると良くわかります。セントロは高台にあって、しかもシャモジの先端のような地形をしていてその周りを川が流れています。ということはこの大きな川の辺にあって大雨で川が氾濫したときでも水害を被ることなく安心して暮らせたし、住まいからの眺めもよかったでしょう。水はけも良かったから雨が降っても乾燥も早かったと思います。一番は本流から脇にそれた静かな入り江があることが港として格好の地だったと思います。アメリカ大陸をコロンブスが発見したのが1492年です。其れから遅れて1537年ファン・デ・サラサールがパラグアイを発見しました。当時スペイン人はアメリカ大陸を発見して以降、金銀を求めて南米大陸を南下しました。当時は船でラプラタ川を遡って奥地に入りこんできたようです。アスンシオンはこの金銀を探し求めて船で奥地に遡ってきた人達の休養と食料や水の補給基地の役割をしたそうです。
その港を紹介します。
~~~ アスンシオン港(Puerto) ~~~
船が数隻停泊していました。私は対岸との連絡船(小船)に乗船しました。船頭は沖合いの中州のクラブ(ヨット他レジャー施設)に行きたいのか、それとも対岸へ行きたいのか私の意向を確認しました。既に私を含め約20人の乗客がいたので何時に出航か船頭に尋ねたら930分と答えがかえってきました。まだ15分程ありました。
 

Dscn2308.jpg
停泊する作業船とパラグアイ海軍艦艇(今は戦争博物館)
 Dscn2309.jpg 
港に停泊する貨物船
 Dscn2314.jpg 
停泊する海軍艦艇(今は戦争博物館)
 Dscn2271.jpg 
沖合いから:貨物船とセントロビル群
 Dscn2272.jpg 
沖合いから:遊覧船:機会を見つけて乗船してみます。
 Dscn2275.jpg 
沖合いから:貨物船と港
 Dscn2276.jpg 
沖合いから:港全景
 Dscn2278.jpg 
沖合いから:Rio PARAGUAY下流方向:ラ・プラタ川を経て海へ続く(水深は乗客に聞いたら10m15m
 Dscn2281.jpg 
沖合いから:セントロ ビル群
 Dscn2284.jpg 
沖合いから:セントロ ビル群(ズームアップ)
 Dscn2283.jpg 
仲良くなった乗客の家族:両親とその娘さん(15歳)・船に乗って出航を待つ間の15分間で色々話をして皆さんと仲良しになりました。対岸の親戚のパーティ(誕生会)に出掛けるところだそうです。
 Dscn2290.jpg 
仲良くなった乗客の家族:姉妹(12歳、10歳)と叔父さん。姉妹はの写真の家族です。この他に男の子(14歳)が私の隣に座っていました。この叔父さんが一番積極的に私と話をしました。まわりの娘さん達は最初私と(外国人)話すことをためらっていましたが、目は何か話したいという目をしていました。母親が「話しなさい」とか「答えなさい」と娘さんたちに促していたので、船を降りる頃は家族と親しくなりました。子供の料金は半額か聞きました。(同じ)叔父さんは身体が大きいから2倍の料金かと更に尋ねたら皆で大笑いをしていました。
 Dscn2296.jpg 
対岸の様子:真中で背を向けているのが息子さん(14歳)。小船は川に張り出した中洲を迂回し、本流を横切り対岸に着きました。流れに逆らっての航行ですからスピードはゆっくりでした。川の流れはそんなに速くはないと思います。船頭は出航前に左右の乗客のバランス(重さ)を考慮して客を移動させていました。また救命胴衣も身につけはしませんでしたが備わっていました。
 Dscn2297.jpg 
対岸上陸:約35分かかりました。途中1箇所寄港しましたし、流れに逆らっての航行ですから多少時間がかかったと思います。一番手前の船に乗ってきました。ジーゼルエンジンの音が「カンカン」ということから乗客のおじさんは「カンカン」船というのだと笑いながら教えてくれました。写っている老人は篭に入ったお菓子を船着場で売るようです。
 Dscn2298.jpg 
対岸上陸:知り合った家族を撮りました。長女(Yamile)の分厚いアルバム(15歳誕生パーティ)を見せて頂きました。(パラグアイでは女性は15歳が成人式です)ドレスアップし化粧して盛大なパーティを開いた沢山の写真を見せていただきました。(とても綺麗)皆さんはこれを持参してこれから親戚の家に行くようです。(まだ78km先だそうです。歩いてはとても行けないので車を探していました)私が身分証明書をみせると、そこに私がサインした漢字を見て、Yamile(ジャミレ)という名前を漢字で書いて下さいと母親から頼まれ困り果てました。叔父さんが私に名刺をくださいましたので1ヶ月後にこの写真を会社に届けると告げ、全員と握手して別れました。
 Dscn2305.jpg 
帰り船:船内から船首方向を見て撮りました。・写真の家族と別れ船着場に戻るとと「船がでるぞー」と船頭が声を掛けてきました。船内エンジンは私が実家の野良仕事に使ったトラクタ(ジーゼルエンジン)と全く同じサイズで起動方法も同じでした。1030分出航。救命胴衣が天井からぶら下がっていました。途中2箇所寄港して計10人の客を乗せ約30分で着きました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)