最後の夕食(La ultima vez cenamos con muchacho Javier y Guido )

最後の夕食はこの皆さんを招待して思い出話や、皆さんの抱負などを聞きながら、日本食を紹介し箸の使い方や食べ方を教えて和やかな時間を過しました。
Javier さん Guido さん ご夫妻です。
Javier さんは30歳すぎ、Guido さんは24歳くらいです。
夜7時と約束させていただきましたが、パラグアイらしく、Javierさんは、7時30分過ぎに車で、Guidoさんは7時50分にバイクでそれぞれレストランに姿を現しました。
最初私一人で椅子に腰掛けて彼らの来るのを待ってる間に、ウエイターやウエイトレスも心配して、パラグアイ人なのか?だとすると約束しても来ないケースもある、と聞かされ心配しましたが、携帯電話を職場に忘れた、バイクを運転中なので電話に出られなかったというそれぞれの言い訳を聞いて、連絡が取れなかった理由がわかりました。
これが日本だと、とてもとてもです。

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左がJavier さん夫妻、右が Guido さん夫妻です。皆さん若いです。
皆さんはコカコーラ、スプライト 私だけがビールを飲みました。
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天ぷら、SUKIYAKI、寿司(のりまきタイプ)、鳥の唐揚など、どれも初めての食べ物でしたが、全て美味しかったそうです。最後のデザートは羊羹と日本茶ですませました。羊羹も美味しかったようです。
(Javierさんは建築技術者、Guidoさんは電気技術者です。)
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Javier さんの奥様は相変わらずアップテンポの会話で話題に対する反応の速さは素晴らしいです。
表情もとても豊かな方でこのような人は滅多にみお見かけしません。(職業は眼科医)
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Javier さんは結婚して二年(交際1年)、Guidoさんは結婚して三年(交際6年:学校の同級生)です。ということは私の着任前後に家庭をもたれたということです。
お互いの馴れ初めを聞いたりして盛り上がりました。みなさん気持ちのよい若者で私のことも友達として接してくださいました。
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この写真を撮ってお別れしました。
思い出にと、私お気に入りのネクタイ、Tシャツをプレゼントしました。
この国も飲酒運転事故が多く起こっていて、日本の飲酒運転の罰金の金額を説明したらその高額さに驚いていました。お二人は心得ておられ、今夜は一滴もアルコールは飲まなかったし、勧めもしませんでした。特にGuidoさんばバイクなので事故の無いよう帰宅されるようお願いして別れました。

帰国準備

3月22日(土) と 3月23日(日)

二日間、外出せずひたすら部屋の片付けと荷物の準備に追われました。
持ち帰れない物をホテルの方や友人、お世話になった人に取りに来ていただき差上げましたが、二年間暮らすとこんなにあるものかと感心しました。

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鞄は当初PC(Win 98)と一緒にどなたかに差上げて帰るつもりでしたが、PCが一年で不安定になり途中で更改したためPC、プリンタを入れて持ち帰ります。
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飛行機に預けられる料金込みの荷物は2個までです。
荷造り進捗90%というところです。先日あらかじめ13kgの小包(参考資料)を送って正解でした。もう少し多く送っておけば良かったかな という状況です。
重量調整のため持ち帰ろうとしていた語学参考資料を捨てましたから。
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スーツケースも一杯です。
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投稿作業兼寝室。
ベットは敷き布団を敷いていただき、マットレスは外してもらいました。
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ここから二年間発信しました。(ブログの投稿作業)
作業が深夜に及ぶことも度々ありましたが、読者が徐々に増加してることに励まされ今日まできました。

二年間カメラ(NIKON E3200) も故障なく良く働いてくれ、パラグアイの青い大空を綺麗に写してくれました。

パソコン(更改後のSONY VAIO、更改前 FM-7)も良く働いてくれました。FM-7はもともと古いのを承知で持ってきましたが、老朽化で動作不安定になり、一時帰国時更改してきたのもタイミンクが良かったです。

二年間私を励まし続けてくださった皆様やブログ読者の皆様に感謝申し上げます。
お陰様でこうして数多くの町や村を訪れその様子を皆様方にご紹介することができたことを嬉しく思っております。
「ありがとうございました。」

明日の夜(最後の夜)は、二夫婦を夕食に招待しています。
こちらに来た当初、仕事でお世話になった若い二人に謝意を表し思い出話しにふけってお別れしようと思っております。

Otra vez me fui a Pirayu

El dia 21 de Marzo me fui a Pirayu con mi companero por segunda vez.
A mi me gusta muchacho que se llama Juan quien me invito a su casa, cuando me fui a Pirayu por primera vez.
El me ayudo para visitar la iglesia y la municipalidad de Pirayu y la estacion.
El me enseno como saludar a las personas del pueblo cuando me cruzara con ellos en la calle.
En Japon los muchachos no se saludan con las personas de su pueblo, ahora este es un problema de costumbre.
Juan tiene muy buenas costumbres, es lo mas importante de nuestra vida.
Sus abuelos y su madre le ensenaron esos buenas costumbres.

companero(n enie), invito(o acento), Jose(e acento), ayudo(o acento), estacion(o acento), enseno(segundo n  enie), cruzara(segundo a acento), Japon(o acento), ensenaron(segundo n enie) 

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3月21日(金)

(往路)内山田 9:30 ⇒ ウパカライ 10:30 ⇒ Piayu 10:50
(復路)Pirayu 13:20 ⇒ Aregua 14:00(昼食) 15:00 ⇒ 内山田 16:00

とても晴れ渡った良い天気でした。
パラグアイで最後の田舎に出掛けました。場所は一回訪れたことのあるPirayu を再び訪れてきました。
初めてPirayu を訪れたとき、村の中を親切に案内してくれた少年(Juan Jose: e acento)がいて、世話になったんですが、今日はその彼の家を訪ねました。家の近くで撮った写真を頼りに家を探し、少し時間がかかりましたが無事見つけることができました。

私がアスンシオンで二年間暮らしている間に買い込んだ勝手用品、日用品、洋服など、帰国に際し持ち帰るより差上げて何かのお役にたてればと考え是非訪問したかったのです。
車を所有している同僚SVの方から、かねてからドライブでも一緒にと誘いを受けていました。それが帰国直前に実現したという訳です。
昨日木曜日からセマナサンタ(聖週間)で土日含め4連休で、二日目の今日は日本の元旦と同じようにショッピングモール、スーパーマケット等全ての商店は閉まっています。このため、公共交通のバスも殆ど運行していません。唯一、人が繰り出しそうな路線だけ僅か運行してる状況ですから、車の交通量も非常に少なかったので助かりました。
経路は、ルケ、アレグア、ウパカライ経由Pirayuです。
同僚SVはこのルートをドライブするのは初めてだそうで、場所によってはウパカライ湖が望めたり、アレグアの焼き物街を通過したり、木々が多く高原をドライブしている気分に浸る景色が気に入ってもらえたようです。
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Juan Jose (e acento) の家に着いたら皆さんが Semana Santa の休日を、道路に椅子を出して木陰でテレレをしていました。Juan のお母さんが車の中の私の顔を見て誰が来たのかすぐに気がついた様子でした。
車を降りて皆さんと握手をしながら挨拶をして、今日こうしてまた訪ねてきた理由を説明し、車で運んできたものを差上げ揃って写真を撮らせていただきました。(手にされている箱、袋等が今回差上げたものです)
前列がおじいさんとおばあさんです。一番背の高いのがJuan (18歳)、その右隣がお母さん、その右がお母さんの姉妹です。
おばあさん(66歳)には8人の子供がいて、25人の孫がいるそうです。
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木陰でテレレをしている状況:
Juan の家の庭には、牛8頭、豚4頭、山羊3頭、アヒル8羽が飼われています。広い庭ではないので一歩足を踏み入れると大変な状況です。写真の山羊もJuan の家のものです。日中は豚やアヒル以外はこのように外に出されて草を食んでいて、夕方になると庭に連れ戻されます。
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差し出されたPorotoの煮たもの:小豆と玉ねぎを煮て薄塩味をつけてありました。
日本では小豆に砂糖を加えて甘くして食べると説明したら「エー」と驚きの声があがりました。

Juan や家族の皆さんとはいろいろな話をしました。
ブログが見れなかった。今度何時パラグアイに来るのか。Juan が大学に行くので(サンロレンソにある国立大学)学費の仕送りが大変になる。妹が4月30日で15歳になってお祝いする。この家には3家族計11人が暮らしている。妹達はまだ学生(前回来たときは二人とも不在)。近所に104歳にならんとしている元気なおばあさんがいる などでした。
結局その104歳のおばあさんのお宅を訪ねることになり、案内してもらいました。

~~~~~~~104歳のおばあさんが暮らす場所~~~~~~~

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おばあさんの息子さんが農作業で使う 鋤。
牛に引かせて畑を耕します。
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チパを焼く窯:Tatacua (u acento) ・・・ガラニー語です。
Tata はレンガを丸く積み上げたものを指し、cua(u acento) は中の空洞をさしているそうです。
Horno de chipa(スペイン語)  
薪を中で燃やし窯を十分温めてから、薪の燃え残りや炭を全て外にだしてしまい、チパを鉄板に乗せて釜の中に入れ蓋をして焼きあがるのを待ちます。
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このようにチパを焼く窯には必ず屋根(Paja)が設けられています。
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Carreta
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家でおばあさんは椅子に腰掛けていました。耳が遠くなっているので大きな声で話してと挨拶時に言われました。
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おばあさんは今年の5月16日で満104歳を迎えます。
お元気で庭の掃き掃除も食事も自分でされていると伺いました。
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おばあさんが掃き清めている庭と、一週間前に施設した水道。
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104歳のおばあさんが暮らしてる 離れの家:
右の三角窓がある場所が、勝手になります。
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これはおばあさんが使っているかまどです。Juan が私達におばあさんがどのように暮らしているか、勝手を見せてあげるといって案内してくれました。
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おばあさんの使っている「つき臼」:Juan が重いものを引っ張り出してこのように使うんだと突き棒を突きながら説明してくれました。粉をひくときに使っているようです。
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勝手口におばあさんが用意した箱があって、そこに鶏がいて卵三つを温めて雛をかえそうとしていました。
このため私達が近づいても逃げませんでした。Juan が手を入れてお腹の下の卵を見せてくれましたが、その時も鶏はおとなしかったです。
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おばあさんが使っている鍋。
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おばあさんが使っている水瓶。
庭の後方に井戸があって50m位深さがあるそうです。最近おばあさんがその井戸から水をくみ上げる力も無くなってきたので、一週間前に庭先まで水道を施設したそうです。
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水道パイプを施設した跡です。
先に見えるおばあさんの家の庭に蛇口が設けられました。
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息子さんはおばあさんとは別の母屋に暮らしていて、庭には豚二頭がリードをつけて木の下に飼われていました。
Juan は豚の扱いも慣れている様子で、お腹をさすってあげたら気持ちよさそうにしています。
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息子さんの家の勝手小屋
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息子さんは上半身裸でいました。(真ん中)
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母屋の奥の畑で落花生(Mani 、i acento)が栽培されていました。
更に隣にはマンジュカの畑があります。
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家の入り口
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息子さんの家の道向かいの光景です。
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このような道をJuan の家から車できました。(後部座席には大人4人が乗り込み)
距離は3km位はあったと思います。
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Juan の家に戻り、しぼりたてグレープフルーツジュースを二杯頂いたり、おじいさんが豚を殺して作った腸詰めのソーセージの切り身を少し頂きましたが、初めてなので美味しいか訊かれても「mas o menos」(mas の a acento)(まあまあ)としか答えられません。(皆さんは私の顔を覗き込んでどのような反応をするかじっと見て笑っておられました)
これは例えれば、外国人に私達が食べて美味しいと思っている刺身をご馳走するのと同じことだな と思いました。私にとっては初めての食べ物ですから・・。
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ブログのタイトルにしばらく使った写真の子供は、この家で写したものです。左端の男の子と真ん中の女の子の兄弟でした。あの時は冬でしたからみんなしっかり着込んでいました。(あの日の最低気温は4℃)
女の子はセマナサンタで村の集まりに出かけていて、私達が着いたときは不在でしたが、昼時になって帰ってきたのでこの写真を撮りました。
真ん中のオバチャマ(Juan のおばさん)が女の子のお母さんで、両脇に立っているのが Juan の妹さん二人です。
向かって左が、Crisstell Belen Meza Centurion(16歳)、
右が、Katerin Noel Centurion Insfran(14歳) 今年の4月30日に15歳になるのでお祝いのパーティをするそうです。
おじいさんが豚を殺して特別なご馳走を用意すると話していました。 
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村に一軒しかないサイバー店(時間制:有料)に行き私のブログを目で確認。
Pirayu のページを表示して一回目の投稿写真を実際に見てもらいました。
(パソコンは5台あって3台は子供達が利用していました)
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お礼にとJuan のお母さんとおばあさんが私達にそれぞれくださった手工芸品です。
たぶん、皆さんが内職で作られて販売してるものだと思います。
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最後にみんなで揃って写真を撮りました。
貧しい(皆さんがそういうので)なかにも、仲良く明るくそして家畜を大切に暮らしていることが私には十分伝わってきました。
(急ごしらえの台を作りその上にカメラを置いて撮影したので、写真下部に台の一部が写ってしまいました。)

La casa de los Padres de Myriam

3月20日(木)
私のために特別料理をご馳走するからといって、友人の両親宅へ招待されました。私も鶏肉を使った料理を作って鍋ごと持参しましたが、パラグアイ人の一般的な味付けは塩辛いもの、又は甘いもので分けられ、二つの味、甘辛をミックスしたものはありませんから、かなり日本食に慣れていないと嫌われます。
この国では肉に甘い味が付けられることはまったくありません。全てが塩味ですから。
兄弟の皆さんも三々五々集まりましたが、セマナサンタの連休中ということもあって、皆さん足早に帰宅されました。
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特別料理とは、ワニのミラネサだったのです。(Yacare (ガラニー語)、Cocodrilo(スペイン語))
肉は少し硬い食感で、揚げてあるので、パサパサした感じがしました。
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私が作っていった鶏肉料理
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ロミーナの子供:ギジェルモ(3才)
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左からローミーナの大学の友人、ロミーナ、ギジェルモ、右がエドゥ
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左からローミーナの大学の友人、ロミーナ、ギジェルモ、右がエドゥ
後ろが、ミリアンさん、お父さん です。
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後ろがマルセロ、おばあさんは92歳(母方の祖母)
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エドウとマルセロ(エドウはかってのマルセロにそっくりです)

今日はセマナサンタの連休初日の夜です。それぞれの家には兄弟や友人が訪ねてきているため、忙しい合間をぬってミリアンさんの兄弟が最後の挨拶をしに来てくれました。
ご両親の家にもサルト デル グアイラ からご夫婦と幼児の3人が遊びにきていました。
(今夜はあまり写真を撮りませんでした。)

Asuncion 1

Asuncion (oにアクセント)の紹介は最後になりました。

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パラグアイの国はこれらの楽器で演奏された歌と音楽が必要です。
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気がつけばパラグアイらしい風景を求めては、週末田舎に足を運んでいました。
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Asuncion(oにアクセント) Centro ビル群
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大統領官邸:Palacio de Gobierno (道路から)
19世紀後半の建築、建物本体はイタリア式、内部の装飾はフランス式(パラグアイ旅行ガイド参照)
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大統領官邸:Palacio de Gobierno (川べりの庭から)
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英雄霊廟:Panteon Nacional de los Heroes (夕方)
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英雄霊廟:Panteon  de los Heroes
Panteon (o にアクセント) Nacional de los Heroes(Hの次のeにアクセント) 
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英雄霊廟:Panteon  de los Heroes
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Iglesia de la Encarnacion (nacionのoにアクセント)
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Iglesia de la Encarnacion
<参考>
パラグアイの
北に    Concepcion (①妊娠、受胎②把握、概念形成:理解力)
真ん中に Asuncion(①就任、想定 ②〔La Asuncion 聖母の〕 被昇天:その祝日8月15日)
南に    Encarnacion(①〔キリストの〕受肉、托身②化身、権化
の三つの町があります。

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Iglesia de la Encarnacion
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Municipalidad de Asuncion (oにアクセント)
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La Catedral Metropolitana
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Cabildo:カルビド植民地時代市議会
国家博物館として使われています。(19世紀に初めて建造された公共施設)
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El rio Paraguay y la bahia de Asuncion
El rio(iにアクセント) Paraguay y la bahia(iにアクセント) de Asuncion(oにアクセント)
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船でEl rio Paraguay を越えて対岸に行くとこんな長閑な光景
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La bahia de Asuncion(アスンシオン湾)
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はるか彼方、ブエノスアイレス港やモンテビデオ港からコンテナ船がEl rio Paraguay をさかのぼってアスンシオン港に沢山のコンテナを運んできます。
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La Estacion del Ferrocarril:約10年前はここからアレグア行きの観光列車が発着していましたが、今はJardin Botanico 近くに移動しました。(Jardin のi acento、Botanico のaに acento)
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La Estacion del Ferrocarril  (Jardin のi acento、Botanico のaに acento)

Asuncion 2

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Centro のビル
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かって路面電車が走っていたので、線路がそのまま残っています。
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Centroの古い建物
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Centroの古い建物
友人(建築家)の話では、1811年頃イタリアから建築家20~30名がアスンシオンにやってきて設計・建築したもが現在古い建物として残っているそうです。
マリスカルロペスの時代とか、カルロスアントニオの時代と呼ばれているそうです。
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グァラニー族の女性達:根気良く道路に座って手工芸品を売っています。値札がありませんから価格交渉もゆっくり時間を掛け、楽しみながらするのも良いでしょう。一見こわそうな顔ですが明るい人達のようです。この太ったおばさんには顔を覚えていただきました。
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ラパチョの花
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ラパチョの花
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ラパチョの花
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ハカランダの花
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セントロ奥の露店魚屋: スルビ(ナマズ)の類が多いです。
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この場でさばいて売っています。
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日本のように雨がしとしと数日間にわたって降ることは滅多にありません。
ゴロゴロと雷がなってザーっと降って止みますから有難いです。
でも時にはこのような天気もあります。
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鳥の飾り物
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IPSのビル前露店:向かいのビル屋上から撮影
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ビルの下に降りてみると。
ここのオフィスで年金が支給されるため(金額によって銀行振り込み制度も利用可)定期的に来る方々を当て込んだ露店です。ここで頂いた年金で早速美味しいフルーツ等を買って帰るお年寄りも多いようです。(市場などまで歩いて行けない方々)
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夏の風物詩:浮き輪の街頭販売
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Ferrocarril : 1854年に導入された汽車。今から約10年前に殆どが廃線になったようです。
一部だけ観光用にのみ曜日限定で(日曜日)アレグアまで運行しています。(薪を焚いています)
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Jardin Botanico :広い敷地の中に運動場や動植物園があります。
Jardin(iにアクセント)
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Puma
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Tigre(中南米:ジャガー)

セニョール(Lelio Ruiz Diaz)との別れ(スペイン語のコーチ)

3月17日(月) 今週月~水は休み、木、金はSemana santa の祝日(日本のゴールデンウイークみたいな状況)
お世話になったセニュール(スペイン語習得)との別れは印象的でした。
忙しくなるので今日が最後と決めて、日本から持ってきたセータを記念に差上げることにしてリュックに詰めてゆき、終了時間になったので、お金を払いお互いに住所交換をしました。
お世話になったお礼に私のセータを差上げますと伝え、サイズを確認するために試着してもらったころから、セニュールが感極まって「私は君に歌をプレゼントしたい」と涙声で言い残し二階に姿を消しました。
暫くするとアコーディオンを肩に現れたセニュールは、アコーディオンを弾きながら大きな声で歌いはじめ彼の両頬には涙が流れていました。歌い終わってから私は「ありがとう」といって彼の肩をだき、お礼を言いました。セニュールの頬にはとめどなく涙が流れ、何か別れの言葉を言っていました。私は何を言われているのかわかりませんでしたが、今日まで並んで座って勉強してきた日々を思い出しました。
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セニョール(Lelio Ruiz Diaz)がかわいがっている犬: フロッピィとキトゥ

今日はカメラを持ってゆこうか思案しているうちに家を出てしまい、セニョールがアコーディオンを弾いている写真は撮れませんでした。
初めてセニョールは日本人と長い期間付き合い、何か感じとっていただけたんだと思います。以前から君が帰ってしまえば、俺は寂しくて泣いてしまう・・と話していたことも二三度ありましたから冗談のつもりで聞いていました。
セニュールとの時間は今振り返ると私には有難かったです。彼がアメリカで5ヶ月生活した経験などが言葉となって表現されましたから。
でも私は田舎に出かけて撮った写真の整理やブログ投稿作業が忙しくて、辞書をひいて予習して行くことが少なかったので、それが悔やまれます。

Maciel

3月17日(月)~3月18日(火)

Maciel、 Moises S.Bertoni、 Yegros (何れもRuta8号沿い)の3つの村を訪れました。今回のねらいは古い駅舎を撮ることです。
この路線はバスの便が悪いことをYutyに行ったときおおよそ知っていましたから、まずVillarricaに泊まり朝早く出発して三つの村を一日でまわる計画を立てました。
Caazapaに到着するやそれから先に進むバスの時刻表を聞き込み、どのように行動したら効率的になるかをまず検討しました。バスが10時までないと聞いて、ここで二時間も待ってる訳にはゆきませんから、すぐにTAXIと交渉し、12km先の村に向かいました。結構割高ですがこれしか手段がありません。バイクタクシーもここには無いといわれ、もしあったとしてもあの砂塵の舞い上がるRutaではホコリが酷いし、デコボコしていてとても危険です。

往路(17日)

Asuncion 18:00 発 ⇒21:55着  Villarrica

復路(18日)

Villarrica 7:10 発 ⇒ 8:15 着 Caazapa  8:20 発(TAXI) ⇒ 8:45 着 Maciel 10:30  発  ⇒ 11:10 着 Moises S. Bertoni  15:20 発   ⇒ 15:50 着 Yegros  16:20 発  ⇒ 17:45 着 Caazapa 17:45 発 ⇒ 18:45 Villarrica 19:00 発 ⇒ 19:45 着 Cnel. Oviedo  20::00 発  ⇒  22:05 着 Asuncion (Super Pueblo前)  ⇒  22:30 着 Mi Casa

Villarricaまで乗ってきたバスは珍しく、エアコン付きでした。でもなかなか温度調整がされないのがこの国のサービスで、酷い時には風邪を引いてしまいます。お客さんもこういうことに関して車掌に注文をつける人は少ないです。寒いと感じる人はひたすら我慢あるのみ。このため私は冬に着るウインドブレーカのようなものを旅行の際は常に持ち歩きます。今回もそれを着ました。
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蚊がいないと思っても刺されてからでは遅いと思って蚊取り線香をつけたら、いましたいました。
3つつぶしました。血で手のひらが赤くなりました。
蚊取り線香は写真のように石ころを拾ってきて台にしています。床はタイル張りなので火災の心配をする必要はありません。
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18日朝
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Villarrica のターミナルにて:チパ
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バスに重い荷物を託しにきた馬車
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Caasapaのバスターミナル:今回のバスはここが終点です。
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Macielまで12kmあります。TAXIを止めて撮りました。
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Macielの役場の前でTAXIを降りました。このタクシーは1993年モデルで1000cc。エンジンは私の好きな音を出していました。
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Municipalidad de Maciel 二人しか事務員がいないそうです。役場の前の道路約20m区間だけコンクリート舗装が施されていました。
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Sra.Diana Martinez さん
次の村、Bertoniに向かうバスが来るまで時間があったので、役場に行きインターネットが使えるか尋ねたら、スピードは遅いけど一台つながるというので、私のブログを見てもらいました。今回撮った村の写真やセニョーラの写真も載せるからと説明してきました。
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すぐそこに四つ角があって向かって右に曲がると次の村に行けます。
写真からホコリがいかにすごいか、おわかりいただけると思います。
四つ角の左側にはCopaco(電話会社)の建物、右側によろずやさんがありますが、車が通る度にホコリをかぶることになります。
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Macielの駅舎構内跡:線路のあったところが窪んでいます。
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駅の標識
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駅舎:線路は撤去されてありませんでした。1998年頃に廃線したそうです。
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チパを焼く窯:火を焚いて窯を熱くしているところ。
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井戸の蓋の上で寝ている鳥
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マンゴの木
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教会
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家畜小屋
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Pajaで葺かれた屋根
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サッカーグランド
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田舎では、家畜は自由に歩きまわれます。
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ここで40分くらいバスを待ち、役場に行ってトイレを借りてインターネットを説明し、最後はCopaco(電話会社)に行き、いろいろな話をしながらバスを待ちました。
電話73加入、光ファイバがCaazapaから架空でここまで架設されてきている。
住宅戸数はおおよそ600戸、人口は3000人位だと電話会社の人から聞きました。

バスが来たよ!と促され、別れの挨拶をして、次の村に向かいました。

Moises S. Bertoni

復路(18日)

Maciel 10:30  発  ⇒ 11:10 着 Moises S. Bertoni  15:20 発   ⇒ 15:50 着 Yegros   
(Moises のeにアクセント)
Moises S. Bertoni は小さな村でした。

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村の若者達:学校の同期生(16歳) Alumuno de Colegio(Bertoni)
この家の前で2時間バスを待ちました。コカコーラやガセオサ(清涼飲料水)を飲みながら。
そうこうしているうちに彼らはバイクで三々五々ノートを持って集まってきて、私とは別の木陰で何かを始めました。私もバスが来るまで時間があったので、彼らに何故ここに来ているのか尋ねました。勉強をしに集まったようです。
私がここにきた趣旨を説明し皆の写真を撮りたいというと快く応じてくれました。多数なので名前は控えませんでしたが、今週セマナサンタの連休明けまでには、私のブログにこの写真を掲載すると約束してアドレスも教えてきました。
この村も役場にだけインターネットがあると話していました。なかには携帯電話で私の姿を写真に収めてる子もいました。
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私が乗ってきたバスが走り去った状態:このようにほこりが酷いのです。
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Moises S. Bertoniの駅舎
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おじさんは馬に乗って牛を集めています。牛は勝手に好きな草を求めて移動します。
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構内でのんびりと草を食む馬
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駅舎:結構な人数の人が住んでいました。
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一通り駅舎の写真を撮ってから、食堂がどこにあるか尋ねたら、ここのおばさんもエンパナーダなら作れるというので頼みました。一つだけ注文したら、なんてこと!(一つとは?)みたいに皆さんに言われ理由を説明し、マンジョウカは沢山盛り付けてもらいました。でも初めて牛肉入り(ひき肉のような感じ)エンパナーダ(揚げたて)を食べてみましたがとっても美味しかったです。マンジョウカも硬めで私の好みの状態でした。
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村内道路:大きな車で道路を均したあとなので、とても歩ける状態ではありません。砂ホコリが堆積したような状態なので靴の中まで砂が入るほど、靴が埋まります。そのため側溝脇の草むらを歩きました。
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Municipalidad de Moises S. Bertoni
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Municipalidad de Moises S. Bertoni
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Carreta :暑い中傘をさして役場から駅舎に戻るため歩いていたら、駅舎と反対側に停まっていました。近づいたとき男性が民家から出てきて去ろうとしたので写真をお願いし応じていただきました。
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写真を撮るには太陽光線の加減も丁度良かったです。
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駅舎の木が昨夜倒れたそうです。牛達が木の葉を食べに集まってきました。
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教会近くの民家
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教会
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敷地に大きな木はありませんでした。
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大きな車で均された道路
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このKAMIという店先で次の村に行くバスをひたすら待ちました。
11:10 に着いて駅舎で昼食、役場、教会を写真に収めてから  15:20 まで待っていました。最後は冒頭の若者と写真を撮って、話も少しはしましたが勉強の邪魔もできませんから、一人椅子に腰掛け木の下で日の光を避けながらバスを待ちました。

Yegros

3月18日(火)

復路(18日)

Moises S. Bertoni  15:20 発   ⇒ 15:50 着 Yegros  16:20 発  ⇒ 17:45 着 Caazapa 17:45 発 ⇒ 18:45 Villarrica 19:00 発 ⇒ 19:45 着 Cnel. Oviedo  20::00 発  ⇒  22:05 着 Asuncion (Super Pueblo前)  ⇒  22:30 着 Mi Casa

YegrosからCaazapaに戻る便がこの後あるか車掌に尋ねてもはっきりしたことを教えてくれません。Macielの電話会社の人に教えてもらった時刻表を逆算すると、かなり急いでまわれば今日の最終便のバスにこの村で乗ることができそうなのですが、時刻表がいまいちハッキリしません。
バスを一緒に降りた警察官に他の客がこの人を教会や役場に案内して!と頼んでくれました。警察官の案内で教会と役場に向かいましたが、途中のPLAZAの広いこと、見事なこと・・こんな奥地の田舎にこのような場所があるもんだ・・と感心し、ホテルがあるというので急いで帰らず一泊して良く見て歩きたいとも思いました。
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PLAZAから教会を望む
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PLAZA:数人が手入れをしていました。
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教会:大きな建物です。この村には工場(砂糖、アルコール)もあると伺いました。今回訪れることはできませんでしたが。
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PLAZA:植木の手入れは行き届いています。
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Municipalidad de Yegros
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BIBLIOTECA Y MUSEO:PLAZA脇にありました。
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庭には古い機関車
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PLAZA脇の道路も半端な広さではありません。
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村内道路:中心地付近だけコンクリート舗装されていました。(アスファルトプラントはありませんので)
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商店
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La Yutena(nはエニェ)のバス会社の窓口がここにあったので、Caazapa行きの時刻を尋ねたら、エンセギーダ(間もなく)だというのです。これからまだ駅舎に行き写真を撮るというのに。
午後4時にバスが来るだろうというのです。今の時刻は午後3時55分。駅舎はこの道の突き当りを右にまがったところにあるというので、小走りして駅舎に向かいました。
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道路端の草を除去作業中:暑い中大変な作業です。先程の駐車中のバスが奥に見えます。
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壁に描かれた絵
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商店
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駅舎:PLAZAがあまりにも大きかったので、駅舎もさぞ大きかろうと期待していたら、裏切られてしまいました。構内は草生し見る影もありません。子供達の遊び場になっていて、子供達の笑い声が聞こえてきました。
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駅裏のモニュメント
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駅前広場の家:この写真を撮ってから小走りでバスが来るであろう交差点に向かいました。遠くに小さく日の光を浴びたバスが見えました。私が早いかバスが早いか・・・角まで小走りを続けました・・・・やっと間に合いました。
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商店(バスの中から)
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村内道路(バスの中から)
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YegrosからCaazapaに向かう途中(バスの中から):牧場入り口
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YegrosからCaazapaに向かう途中(バスの中から):バスの窓から凄い砂ホコリが舞い込んできます。前回このホコリを吸って喉をやられ、風邪を引いて寝込みましたので、今回はハンカチで鼻と口をしっかり覆いガードしました。帰ってからうがい洗顔をしっかりして喉を守りました。
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YegrosからCaazapaに向かう途中(バスの中から):牧場の家が見えます
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YegrosからCaazapaに向かう途中(バスの中から):牧場入り口(牧場の規模は大きいと思います)

乗ったバスはVillarrica終点です。着いてからAsuncion行きのバスが接続しているなら、それに乗って帰えってしまおうと考え始めていました。
Villarricaに着いてバスを降り、窓口に行くと19時発がありました。三時間掛かるとしてもまだ、安全な時間帯に戻ることが出来ると判断し、切符を買いました。