El dia 21 de Marzo me fui a Pirayu con mi companero por segunda vez.
A mi me gusta muchacho que se llama Juan quien me invito a su casa, cuando me fui a Pirayu por primera vez.
El me ayudo para visitar la iglesia y la municipalidad de Pirayu y la estacion.
El me enseno como saludar a las personas del pueblo cuando me cruzara con ellos en la calle.
En Japon los muchachos no se saludan con las personas de su pueblo, ahora este es un problema de costumbre.
Juan tiene muy buenas costumbres, es lo mas importante de nuestra vida.
Sus abuelos y su madre le ensenaron esos buenas costumbres.
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3月21日(金)
(往路)内山田 9:30 ⇒ ウパカライ 10:30 ⇒ Piayu 10:50
(復路)Pirayu 13:20 ⇒ Aregua 14:00(昼食) 15:00 ⇒ 内山田 16:00
とても晴れ渡った良い天気でした。
パラグアイで最後の田舎に出掛けました。場所は一回訪れたことのあるPirayu を再び訪れてきました。
初めてPirayu を訪れたとき、村の中を親切に案内してくれた少年(Juan Jose: e acento)がいて、世話になったんですが、今日はその彼の家を訪ねました。家の近くで撮った写真を頼りに家を探し、少し時間がかかりましたが無事見つけることができました。
私がアスンシオンで二年間暮らしている間に買い込んだ勝手用品、日用品、洋服など、帰国に際し持ち帰るより差上げて何かのお役にたてればと考え是非訪問したかったのです。
車を所有している同僚SVの方から、かねてからドライブでも一緒にと誘いを受けていました。それが帰国直前に実現したという訳です。
昨日木曜日からセマナサンタ(聖週間)で土日含め4連休で、二日目の今日は日本の元旦と同じようにショッピングモール、スーパーマケット等全ての商店は閉まっています。このため、公共交通のバスも殆ど運行していません。唯一、人が繰り出しそうな路線だけ僅か運行してる状況ですから、車の交通量も非常に少なかったので助かりました。
経路は、ルケ、アレグア、ウパカライ経由Pirayuです。
同僚SVはこのルートをドライブするのは初めてだそうで、場所によってはウパカライ湖が望めたり、アレグアの焼き物街を通過したり、木々が多く高原をドライブしている気分に浸る景色が気に入ってもらえたようです。
Juan Jose (e acento) の家に着いたら皆さんが Semana Santa の休日を、道路に椅子を出して木陰でテレレをしていました。Juan のお母さんが車の中の私の顔を見て誰が来たのかすぐに気がついた様子でした。
車を降りて皆さんと握手をしながら挨拶をして、今日こうしてまた訪ねてきた理由を説明し、車で運んできたものを差上げ揃って写真を撮らせていただきました。(手にされている箱、袋等が今回差上げたものです)
前列がおじいさんとおばあさんです。一番背の高いのがJuan (18歳)、その右隣がお母さん、その右がお母さんの姉妹です。
おばあさん(66歳)には8人の子供がいて、25人の孫がいるそうです。
木陰でテレレをしている状況:
Juan の家の庭には、牛8頭、豚4頭、山羊3頭、アヒル8羽が飼われています。広い庭ではないので一歩足を踏み入れると大変な状況です。写真の山羊もJuan の家のものです。日中は豚やアヒル以外はこのように外に出されて草を食んでいて、夕方になると庭に連れ戻されます。
差し出されたPorotoの煮たもの:小豆と玉ねぎを煮て薄塩味をつけてありました。
日本では小豆に砂糖を加えて甘くして食べると説明したら「エー」と驚きの声があがりました。
Juan や家族の皆さんとはいろいろな話をしました。
ブログが見れなかった。今度何時パラグアイに来るのか。Juan が大学に行くので(サンロレンソにある国立大学)学費の仕送りが大変になる。妹が4月30日で15歳になってお祝いする。この家には3家族計11人が暮らしている。妹達はまだ学生(前回来たときは二人とも不在)。近所に104歳にならんとしている元気なおばあさんがいる などでした。
結局その104歳のおばあさんのお宅を訪ねることになり、案内してもらいました。
~~~~~~~104歳のおばあさんが暮らす場所~~~~~~~
おばあさんの息子さんが農作業で使う 鋤。
牛に引かせて畑を耕します。
チパを焼く窯:Tatacua (u acento) ・・・ガラニー語です。
Tata はレンガを丸く積み上げたものを指し、cua(u acento) は中の空洞をさしているそうです。
Horno de chipa(スペイン語)
薪を中で燃やし窯を十分温めてから、薪の燃え残りや炭を全て外にだしてしまい、チパを鉄板に乗せて釜の中に入れ蓋をして焼きあがるのを待ちます。
このようにチパを焼く窯には必ず屋根(Paja)が設けられています。
Carreta
家でおばあさんは椅子に腰掛けていました。耳が遠くなっているので大きな声で話してと挨拶時に言われました。
おばあさんは今年の5月16日で満104歳を迎えます。
お元気で庭の掃き掃除も食事も自分でされていると伺いました。
おばあさんが掃き清めている庭と、一週間前に施設した水道。
104歳のおばあさんが暮らしてる 離れの家:
右の三角窓がある場所が、勝手になります。
これはおばあさんが使っているかまどです。Juan が私達におばあさんがどのように暮らしているか、勝手を見せてあげるといって案内してくれました。
おばあさんの使っている「つき臼」:Juan が重いものを引っ張り出してこのように使うんだと突き棒を突きながら説明してくれました。粉をひくときに使っているようです。
勝手口におばあさんが用意した箱があって、そこに鶏がいて卵三つを温めて雛をかえそうとしていました。
このため私達が近づいても逃げませんでした。Juan が手を入れてお腹の下の卵を見せてくれましたが、その時も鶏はおとなしかったです。
おばあさんが使っている鍋。
おばあさんが使っている水瓶。
庭の後方に井戸があって50m位深さがあるそうです。最近おばあさんがその井戸から水をくみ上げる力も無くなってきたので、一週間前に庭先まで水道を施設したそうです。
水道パイプを施設した跡です。
先に見えるおばあさんの家の庭に蛇口が設けられました。
息子さんはおばあさんとは別の母屋に暮らしていて、庭には豚二頭がリードをつけて木の下に飼われていました。
Juan は豚の扱いも慣れている様子で、お腹をさすってあげたら気持ちよさそうにしています。
息子さんの家の勝手小屋
息子さんは上半身裸でいました。(真ん中)
母屋の奥の畑で落花生(Mani 、i acento)が栽培されていました。
更に隣にはマンジュカの畑があります。
家の入り口
息子さんの家の道向かいの光景です。
このような道をJuan の家から車できました。(後部座席には大人4人が乗り込み)
距離は3km位はあったと思います。
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Juan の家に戻り、しぼりたてグレープフルーツジュースを二杯頂いたり、おじいさんが豚を殺して作った腸詰めのソーセージの切り身を少し頂きましたが、初めてなので美味しいか訊かれても「mas o menos」(mas の a acento)(まあまあ)としか答えられません。(皆さんは私の顔を覗き込んでどのような反応をするかじっと見て笑っておられました)
これは例えれば、外国人に私達が食べて美味しいと思っている刺身をご馳走するのと同じことだな と思いました。私にとっては初めての食べ物ですから・・。
ブログのタイトルにしばらく使った写真の子供は、この家で写したものです。左端の男の子と真ん中の女の子の兄弟でした。あの時は冬でしたからみんなしっかり着込んでいました。(あの日の最低気温は4℃)
女の子はセマナサンタで村の集まりに出かけていて、私達が着いたときは不在でしたが、昼時になって帰ってきたのでこの写真を撮りました。
真ん中のオバチャマ(Juan のおばさん)が女の子のお母さんで、両脇に立っているのが Juan の妹さん二人です。
向かって左が、Crisstell Belen Meza Centurion(16歳)、
右が、Katerin Noel Centurion Insfran(14歳) 今年の4月30日に15歳になるのでお祝いのパーティをするそうです。
おじいさんが豚を殺して特別なご馳走を用意すると話していました。
村に一軒しかないサイバー店(時間制:有料)に行き私のブログを目で確認。
Pirayu のページを表示して一回目の投稿写真を実際に見てもらいました。
(パソコンは5台あって3台は子供達が利用していました)
お礼にとJuan のお母さんとおばあさんが私達にそれぞれくださった手工芸品です。
たぶん、皆さんが内職で作られて販売してるものだと思います。
最後にみんなで揃って写真を撮りました。
貧しい(皆さんがそういうので)なかにも、仲良く明るくそして家畜を大切に暮らしていることが私には十分伝わってきました。
(急ごしらえの台を作りその上にカメラを置いて撮影したので、写真下部に台の一部が写ってしまいました。)