内山田ホテルの従業員

内山田ホテル従業員について
私がお世話になっているホテルは日系人オーナーご夫妻とその息子さん2名、娘さん1名の家族構成です。従業員は本館フロント3名、新館フロント3名(いずれも24時間体制)、運転手1名、メンテナンス1名、レストラン(ウエイター2名、ウエイトレス2名)、厨房(男性2名、女性4名)、寿司担当1名、朝食担当1名、お掃除担当4人(勤続30年2名、21年1名、15年1名)の二十数名の従業員の方々が働いておられます。私は厨房で働く6名以外の方とは話をしたことがあります。
内山田ホテル本館フロント担当の皆さんを紹介します。
Agueda
さん(四十代)

 
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アゲダさんは勤続21年のベテランで、家族は夫と四人の子供さんです。信頼できる仕事をされておられるようです。また、私達に対する挨拶では「いってらっしゃい」、「おかえりなさい」の発音は日本人と間違えるほど上手です。日本語も少し理解されます。友人(女性)が病気で亡くなってから其の子どもさんを(女子)9歳のときから養育しておられます。パラグアイの特徴はこういうケースや養子のケースが非常に多いことです。理由は貧困や子沢山や其の他の理由が挙げられると思いますが、いずれにしても昨今の日本には誠に少なくなった事象だと思います。本人はSan Ignacioの出身で、10人兄弟の7番目と伺いました。
Ros
anaさん(三十代)
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勤続10年、家族は、夫と二人の子供さん、来年15歳(成人)になる娘さんがいます。本人は4人兄弟の末っ子と伺いました。
Luisa
さん(十代)
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大学受験生独身。物静かな感じの方です。出身地はラ コルメナ(日本人移住地でもあります)で、お父さんは農業、お母さんは主婦業。お兄さん4人とお姉さん5人が日本で現在働いています。15人兄弟の14番目。(7人が男、8人が女)ルイサさんの現在の希望を伺いますと、兄弟が働いている日本に3ケ月程行って、どういう国か見てみたいそうです。

パラグアイ移住70周年

パラグアイにおける日系人の概要について


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(注:戸当り面積…・・面積を戸数で割った平均面積です。戸当り一辺の長さ…・平均面積を真四角とした場合の一辺の長さ。いすれの数値も実態とは異なります)

解説:
上の表を見ますと、現在約6千5百人の移住者がいます。移住は太平洋戦争が始まる前に既に行われています。一番古い移住地はラ・コルメナの入植地となっています。(昭和11年)太平洋戦争終結後に再び移住が開始され、昭和35年開始のピラポ移住地が人数では一番多くなっています。(アスンシオン近郊を除く)一戸当りの平均面積が一番大きいのは、イグアスです。ここでの麦畑は圧巻で、刈り取り時期は水平線の彼方まで、黄色い畑が続きます。場所はシウダ デル エステの近くです。今年は「パラグアイ移住70周年」の節目の年にあたり、大使館及びJICA事務所の説明では、9月7日に記念式典が摂り行われる予定と伺っております。


VILLARRICA(ビジャリカ)

VILLARRICA(ビジャリカ)に出かけてきました。

6月24日(土)~6月25日(日)アスンシオンから174km、バス会社はGuairena(グアイレーニャ)(Tel:021-551-727)Hotel:GUAIRATel:0541-42369)、往路9:30⇒13:30着、復路9:30⇒13:00着です。きれいな空気を求めて田舎町VILLARRICA(ビジャリカ)に出かけてきました。実は先週計画したのですが、風邪で体調がすぐれなかったため急遽取り止め部屋で寝ていました。なぜそこにしたのかと聞かれると理由は何もなく、地図に載っているからとしかいえません。ただ近くに国立公園と書かれている場所があるのでということがいえるかも知れません。体調も回復し、天候も良さそうなので出かけることにしました。一人旅です。ホテルはあらかじめ3箇所電話して、値段、場所を聞いておいて予約はせず町に着いてからどこにするか決めることにして出発しました。午前9時30分発、アスンシオンとサン ロレンソの町を出るまでにバスはノロノロ運転で何回も停まって客を乗せたので、いつしか満員になり立っている客もいました。この日は土曜日のため田舎に帰る客が多かったのでしょう。ルータにバスが入ると一気にスピードを上げました。所要時間は3時間30分と聞いていましたが、4時間かかりビジャリカに到着しました。ちょうど昼時間にかかったので、チパ売り車内販売のおばさんから名物「チパ」を5つ買って昼食を摂りました。やはり地方のチパは中が柔らかく、しんなりして美味いと思うようになりました。(チパの美味しさがわかるようになってはじめてパラグアイを理解した気分になります。)町の特徴は、大きな高い建物はありません。お店の間口も小さく、バイクが多く走っていて特に若い女性、主婦の皆さんが背筋を伸ばして颯爽と運転している姿を多く見かけました。中国やブラジル製が近年特に増加しているそうです。また、週末の夜ということもあって、日が落ちてから若者や、家族連れが日中の暑さを避ける様にゾロゾロと公園に集まり、周りにある「BAR」(バァル)や公園内の臨時テーブルでビールを飲んだりして楽しんでいました。また車やバイクに乗った多くの若者男女が、あてもなく町の通りをぐるぐる回って新しい友達を見つけるというような行為を繰り広げていました。ディスコテカは2軒あるそうです。国立大学(Universidad Nacional de Catolica  があるので若者が多いこともうなずけます)ホテルはターミナルから1町(100m)の近いところに決めチェックインしました。ホテルのおじいさんの話では、この町には泥棒もいないし、ピストル事件もない、深夜まで楽しんでも安心な町だし、朝までホテルの入り口は開けてあり、入り口には人を配置しているからと説明がありました。ホテルにはバスタブはなく、シャワーだけです。アスンシオンもそうですが、此方では一般的にシャワーへの給湯設備はありません。天井近くに固定されたシャワーの出口内に電熱ヒータがあって水が通過する瞬間に温める方式が一般的です。ですから熱いと感じることはなく、温かいと感じる程度の水温でシャワーを使います。ただホテルやアパートもいろいろランクがありますので、説明したのはあくまでも一般家庭や普通ランクのホテルです。
いくつかの写真を紹介します。

VILLARRICAのバスターミナル
 
写真右側の建物がターミナルの建物。規模は小さいです。多数の人でごった返していました。
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バスターミナルのチパ売り
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バスターミナルで商売する陽気な若者たち
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私がバスの窓からチパを買い求めると、別の売子達がさっと寄ってきて自分達の品物を買ってもらおうと集まってきて、陽気にカメラに向かってポーズをとってくれました。(若者はこのように振舞ってくれますが、お年よりは顔を背ける方が多いので写真を撮る時には私は必ず相手の方の了解を得てから撮っています)

VILLARRICALa Catedral(大聖堂)
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Nuestra Snora de La Asuncion」 (ヌエストラ セニョウラ デ ラ アスンシオン) 石で作られた古い建物です。
 
VILLARRICA
の馬車
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バスターミナルを拠点に商売されているようで、十台くらいありました。この町は平坦なためか、このような馬車が市民に利用されていました。
 
VILLARRICA
の通り
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VILLARRICA
の市庁舎
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公園にいた動物(Carpincho:カルピンチョ)
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この動物はムーミンのモデルになった動物だそうです。公園に1頭だけいて草を食んでいました。一人の若者が「毎日見に来てる」、「とてもかわいいだろう」「もっと近くに寄って写真をとっても逃げないから大事丈夫だ」と教えてくれました。彼はカルピンチョの大ファンです。
 
Catedral
(大聖堂)Espiritu Santo
 
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Catedral
(大聖堂)Espiritu Santo

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初めて見た丘の連なり(標高200m位)
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朝食前にホテルの2階に上らせてもらい周りの景色を眺めました。丘は200m位の高さだそうです。ここが国立公園に指定されているようです。ホテルの説明ではバス路線もあるそうなので次の機会に(3連休等)是非行ってみたいと思います。地図は何処かで売られているか尋ねましたが、市役所にあるというのです。週末は閉庁していて尋ねることはできません。日本だと本屋にいけば、溢れる程の情報が入手可能ですが、ここでは本や地図による情報が簡単に入手できません。

そば粉を頂きました。

歓送迎会の席での自己紹介で、手打ちウドンが出来ます。長い蕎麦はできませんが、蕎麦も打てますと自己紹介をさせていただきましたが、出席されていた、「川名」さんから、イグアス産のそば粉をわけて頂きました。川名さんには手打ちウドンをお礼に作って差し上げました。
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イグアス産のそば粉です。
 
袋には100% 「そば粉」 イグアス産
SHIROSAWA SANGYO S.R.L (
白沢産業有限会社)
TEL: 0632-20247
YGUAZU – ALTO PARANA-PARAGUAY
 と表示されています。

 (S.R.L: Sociedad de Responsabilidad Limitada: 有限会社)
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イグアス産の蕎麦粉で打った蕎麦です。つなぎに小麦粉を使いました。これは7割蕎麦です。打ち粉は仕方なく片栗粉を使いました。パラグアイでは片栗粉は2種類あり、私は「MAIZENA」というトウモロコシから作られたものを使いました。黄色い色の箱に入れられ売られています。大きい箱のものと200gの小箱があります。(他にALMIDON:澱粉 というものも売られています。マンジョウカ(芋)の澱粉のようです)

ドリームフェスタ6/17

恒例のドリームフェスタが6月17日(土)に南長野運動公園で行われました。行いの良さが反映されたか前日までの天気とはうってかわって好天に恵まれ賑わいました。JICAのSVとして参加中の横田さんからのパラグアイ民芸品コーナが参加者の目をひいていました。
 

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    開店準備中のパラグアイ民芸品コーナ
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        開店準備中のコーナ
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       パラグアイ民芸品コーナの様子
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    パラグアイ民芸品コーナの様子
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       コーナ責任者の降旗さん
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パラグアイの民芸品コーナに群がる幹部のみなさんの後ろ姿
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   しっかりお買い上げいただいた幹部のみなさん
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    お買い上げありがとうございました

隣接の長野オリンピックスタジアムでは第77回都市対抗野球一次予選長野大会が開催されており応援の甲斐あり見事、第二代表を勝ち得ました。
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       応援の旗と球場風景
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         練習中の球場風景
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          試合結果:財団法人日本野球連盟のホームページから 

パラグアイのサッカー応援6/16

ワールドカップ

 

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  ワールドカップ試合当日道路で売られる国旗

こちらのワールドカップの盛りあがりの写真をお伝えできなくて残念でした。第二戦もパラグアイは敗れてしまいました。試合模様はこちら15日の15時からTV中継されました。TV中継中は熱狂的な国なので道行く車は殆ど姿を消し、わずかにバスが走る程度でした。皆さんはそれぞれ仕事の途中ですから、行き先々で一番近くのTVの前に掛けこみ応援していたようです。試合後は大きな悲観も無く、淡々と結果を受けとめておられるように感じました。後は日本チームの明日の試合に是非頑張ってもらいたいと願っています。私達がお世話になっているセンタやホテルの皆さん全てが日本を応援していますよ。

(中継は18日午前9時からです)

最近の話題6/12

旧国会議事堂


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            旧国会議事堂
これは、古い国会議事堂です。新しい建物は隣接した場所に建築されていましたが聞くところによると、それは台湾政府から寄贈されたそうです。国の人口が約500万人ですから、長野県と新潟県の人口を合計した、1.25倍相当です。
パラグアイは日本国土の1.1倍の面積で人口密度は122人/平方キロ(同上) というデータがあります。(1997)手元のデータによると、「国家元首及び行政府の長として大統領、立法府として上下両院から成る国会がある。大統領は直接選挙で比較多数を得た候補が選出され、任期は5年(再選不可)である。内閣は大統領が任命する11人の閣僚より成る。国会の定員は上院45、下院80、議員の任期は5年(再選可)、選挙は大統領選挙と同時に行われる。選挙の方法は、上院議員については全国単一区の比例代表制、下院議員については県単位の選挙区での比例代表制である。 地方行政組織は、アスンシオン市及び17県に分かれており、各県知事は、1992年憲法により、県民の直接選挙で選出される。首都アスンシオン市は何れの県にも属さない独立した地位を有する。全国市長(任期5年、再選不可)は、19915月及び199611月全国で市民の直接投票方式による選挙が行われた。 軍は陸海空の3軍より成り、大統領は最高司令官として軍を統轄する。司法権の独立は憲法で保証されており、その最高機関である最高裁判所は9人の裁判官で構成され、長官(任期1年)は毎年裁判官の選挙により選出される。」とあります。

新聞社(ULTIMA HORA
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        ULTIMA HORA社玄関付近
ULTIMA HORA
社玄関付近の写真です。(Centroにあります)新聞は他に「abc」、「popular」、「Cronica」、「Esto」があると聞きました。ULTIMA HORAabcが一番購読されているような感じがします。いずれも街頭販売のようです。各紙とも、政治、ニュース、スポーツ、犯罪のどれかをメインに扱い、特色を出しているようです。

Catedoral
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       Catedoral(大聖堂)
旧国会議事堂の近くにあります。最近外壁のペンキ塗り替えが行われたため綺麗になりました。私は建物内にまだ入ったことがありません。

**CAACUPEにあるIGLECIA(カアクペ教会) 6月3日(土)**
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          教会正面より
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          教会背後より
6月3日(土)日帰りで行って来ました。ASUNCIONからCiuda del  Esteに向かうルータ2の約54km程のところにある町がCAACUPEです。そこにある教会はとても有名です。今回は土曜日のためミサに来る人も少なく、土産屋のおばさんによると、日曜日が一番多く訪れるそうです。(約1000人)教会を囲む道路に沿って、土産屋が軒を連ねていましたが、特徴的な土産は特に見当たりませんでした。目についたのは、焼き物のカエルとか動物です。近くの町が焼き物生産地のために運ばれてきていると思います。ただここでも裏返すとMADE IN CHINAのラベルが貼られている土産物もありました。私にはこんなエピソードもあります。それは、パラグアイのかっての同僚に(ペソア、アマド氏)日本からの土産を渡した時に、MADE IN CHINAか?と聞かれました。それは日本人が日本の土産として持ってきたものでも、中国製が多いことをうかがわせているのではと思いました。各メーカも自社のブランド名はしっかり商品に刻印しても、結局は作られた場所は中国、というケースが多いことも事実ですから。ここまでも中国製が氾濫しているのかと思うと寂しくなります。ということは日本に観光に来たお客様が、日本の土産として買ったものが、中国製であることは空しいことであると同じです。日本もこの点を十分注意しないといけないと思いました。

CAACUPE行きボンネットバス
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メルセデスベンツ社のボンネットバス
CAAKUPEに行く時に乗ったボンネットバスです。メルセデスベンツ社のマークが象徴的です。パラグアイにはメルセデスベンツ社のバスや乗用車が多く入っています。ブラジルに製造工場があるのかも知れません。いずれにしても距離的に近いヨーロッパ各国の影響が強いのも事実です。バスの運転席はその運転手の個性でデコレーションされているような気がしました。ASUNCION市内路線バスにはシートクッションはありませんが、こちらは多少運行距離が延びるせいか、二人掛け椅子にビニールシートが張られていました。バスはバスターミナルを午前8時25分定刻に発車すると直ぐに1町裏道に入り、道沿いの運転手相手の露店で「マテ茶」を購入し「テレレ」をポットに詰めてもらい、他所の店では「チパ」(パンに似た食べ物)「エンパナーダ」(餃子の型をしてもっと大きい・揚げ物)を購入しました。これらは運転手のためです。その間客は何も言わず待ちます。すかさず車内には道路で待機していた、新聞売りや、キャラメル、ガム売りが売り声を掛けながら相次いで乗り込んできます。日本に置きかえると、蒸気機関車時代にJR各駅におじさんやおばさんが肩から下げた平らな箱に、いろいろな食べ物や土産を並べて列車の窓から客に販売していた時代がありましたが、それと似ています。彼らは上下路線を上手く使い、特定区間で商売をしている様です。運転手も心得たものでした。バスのエンジン音は、市内路線バスよりもはるかに静かで私には心地良い音でした。でも運転手好みのラテン特有のMUSICがボリューム一杯に運転席のスピーカから車内に流れ、あたかも「俺の選んだ音楽を聞いてくれ」(まさにDJ的)という感じでした。苦情を言う客も見当たりませんでした。

ご飯の炊き方と勝手のゴミについて
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ご飯(ラップした様子)
私は何時も、米三合を一度に炊いています。理由はその都度米を洗ったり、炊いたりするのが面倒だからです。写真にありますように、炊きあがったらラップに包んで冷凍します。電子レンジで再加熱することを考慮して、平べったくしておくと、満遍なく加熱されます。三合で6個位できます。(腹八文目サイズ)こうしておくと、ご飯を炊くという仕事は週末にだけすればよいのです。食べる前に電子レンジで加熱するだけでご飯がいただけ、私には便利です。また加熱して取り外したサランラップは別の用途に使用しています。例えば魚を調理した時の骨や内臓等の後始末の時に再利用しています。こうするとゴミの扱いがシンプルになります。またゴミを出すまでに時間がたくさんあるときは、魚の内臓等は包んでから、冷凍庫に入れてしまいます。こうすると暑い国で腐敗が早いものは、腐敗臭から部屋を守れます。私の考え方は、食べ物と、ゴミは紙一重で、同じ皿に盛られていたものが、ある瞬間から食べないものとして扱われ始めるポイントがあります。私はなるべく食べ物と同じように扱うことにしています。シンクの三角コーナーも使わず、野菜の皮を剥けばすぐにビニル袋に入れてしまいますから、水に濡れる事もありません。このためゴミ袋から水や、汁が滴り落ちることは全くといっていいほどありません。

鳩(Palma)対策
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スレートの空隙に打ち付けた板
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堆積した鳩のふん
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鳩の巣とふん
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鳩のふん
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吹き飛んだスレート(空が見えます)

いろいろな問題が見つかりました。と申しますのは、金網の試行取り付けや隙間に板を打ち付ける工事が終わったにも関わらず、毎朝金網の中に6羽位の鳩がバタバタしていました。私は屋根に設けたスレートの波型の山部分から鳩が侵入しているかも知れないことは承知していましたが、ある日作業員リーダがまた大きな問題が見つかった言ってきましたので、二階テラスに設けた梯子に登り屋根裏に首を突っ込んでみると、堆積した「鳩のふん」や「巣の堆積物」が沢山あり、上を見ると、空が見えるではありませんか。長いスレートとスレートが寄り添う頂点には、これら二つのスレートの隙間を覆うため、短い幅のスレートをその上から覆い被せていました。ところがこの短い幅のスレートが6メートルほど吹き飛んで無くなってしまっていました。屋根の横幅は約11mありますから、半分近くが吹き飛んでいた訳です。
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無くなったスレートと隙間
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無くなったスレートと隙間
破損したスレート部分は多分過去のトルメンタ(竜巻・強風)で飛散したようです。温度変化による収縮・膨張の繰り返しによる劣化か、施工時の損傷も考えられます。既にかなりひびが入っているものも他に見うけられました。飛散部分の補修が必要なので、屋根に上がる作業口を探しましたが、その天井裏の屋根への出口蓋(金属製)は、なぜか南京錠でしっかり施錠されていて、開ける鍵がない!!というのです。「鍵屋を呼ぼう」と頼みましたが、料金が高いから、壊した方が良いということになり、屈強な男を連れてきて幾度も強打して鍵を壊し、やっと屋根に登れた次第です。副塔屋上部分に登ると、スレートの破損を予測してか、補修用のスレートが何枚か置かれていました。取り敢えず飛散したスレートや、副塔屋上の排水口付近に堆積した砂などの除去をお願いしました。スレートを大きなねじ釘で固定している、木製梁を点検したところ、このような状態であったにも関わらず、直接雨水があたらないような位置に設置されていたことが幸いし、腐っていませんでした。これは私達には幸いなことでした。

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          Gido,Javier,Narciso
(副塔上部にて)
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           Gido
、私、Narciso(副塔上部にて)
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代替スレート設置作業(Gido,Hugo
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代替スレート取付け完成(Gido,Hugo

6枚のスレートを運び込み、穴を開ける位置を決め、開口し結構順調に取り付け作業は進みました。穴の位置決めは、若い彼らは経験が全くありませんから、大きなねじ釘の頭にペンキをつけてマークすればようというので、どのようになるか彼らに任せましたが、うまくゆきませんでした。結局私のやり方が一番効率的でした。(今まで使っていたねじ穴に再度大きなねじ釘を差し込む必要がありましたので、そのことが、位置を決める上で正確さを要求されました。)この日は大学本校で、チャコ戦争(ボリビアとの対戦)で亡くなった学生の慰霊の式典が摂り行われる為、センタ長他関係者は参列のため出かけました。(日本に置き換えると、太平洋戦争学徒出陣で散った学生の慰霊)技術者(JAVIER)と作業員リーダ(NARCISO)も参列のため出かけました。若い二人は作業員リーダを指して、「彼らは大変な仕事から逃げた」というような冗談をとばし笑っていました。スレート(多分、石綿製)は日本でも問題になっている石綿と思われるので、開口時は十分注意するよう指示して行いました。大きなねじ釘を取り外す為の工具(スパナ)がないというので、金物屋に行き中国製(日本製コピーみたいなもの)とブラジル製を比較し結局高価なブラジル製を購入し作業に使いました。彼らも中国製の工具は焼きが甘いのか、直ぐに欠けてしまうようなことを言っていましたから、買物も正解だった様です。

作ったうどん
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     作ったうどん
たまには麺類を食べたくなります。今回は蕎麦・乾麺は一つも持って来ませんでした。なぜかというと、そば粉を持ってきたこと、ウドンは自分で作れるという二つの理由です。自分で作ったほうが美味しいです。ただつゆは持ってきていませんし、作ったこともありません。それが課題です。美味しいつゆの作り方を知っている方は是非教えて下さい。一度目で美味しいものが作れるとは思っていません。是非レシピをお願い致します。何回か失敗するうちに美味しい味になると思いますので。最近エンカルナシオンに派遣された同期の方が、日本製・二倍濃縮(ヤマキ)を約800円で手に入れていただきました。日本での販売価格より値が張りますが、広い海を越えてきたとあらば価格アップは仕方ありません。でももう半分使い、終ってしまいそう。

センタ 第2回ミーティング

センタ二回目ミーティング実施
 

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        Osvaldo氏のプレゼン
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 Yosuke(日系人学生)、センタ長、工学部長、電子工学学科長の各氏
5月29日、二回目のミーティングが実施され、Osvaldo氏のプレゼンが行われました。趣旨はインターネットを利用した遠隔教育を実施する為の設備構築に必要な機材・予算について発表され、議論が行われました。私が着任した後、5月上旬にアスンシオン大学工学部副学長が40代の若さで急逝されました。そのために副学長をだれにするかということがミーティング後半の専らの話題でした。(雰囲気から察して)近々空席を埋める選挙が行われ、その後8月に学長選挙が行われるので、皆さんの関心はもっぱらこれらの選挙と後任人事に関心があるようでした。議論している皆さんの表情からこのことが伺えました。


Cisco提供、Cisco資格の学習設備
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      Osvaldo氏の説明を聞く各氏
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          教室全体の様子
Cisco1700ルータ6台、PC12台
SunPC端末2台、19インチラックサーバ1台、TA1台

週末の小さな旅 Ciudad del Este

今回は前回報告からかなり時間が経過してしまったのではないかと思います。皆様に大分ご心配をお掛けしましたが、私の口内の腫れも引き、風邪も治おりました。皆様には励ましのメールをいただきありがとうございました。私と一緒にパラグアイに着任した方が4月下旬に盲腸を発症し手術をしました。その方は一旦退院しましたが結局日本に一時帰国して術後の養生してこの度復帰されました。このようなことが身近な人に起きると、健康管理も注意が必要と改めて認識しました。ご本人は金曜日夜から寒気を感じ、風邪を引いたと思って風邪薬を飲み続け、翌週月曜日に医者に行き、結局水曜日に手術をしました。(当時)私達がこのことを知ったのは術後6日経過してからでした。知らせを聞いて直ぐ病院に掛けつけた次第です。
話は替わりますが、いよいよフットボール・コッパ・ムンディアル(スペイン語)開始です。
一昨日は開会式(こちらAM10時から中継)、その後初戦ドイツの試合が中継されました。パラグアイの熱狂的な様子を皆様に紹介します。
一つ目は、町のあちら此方で臨時の露店が開店し、国旗やユニホーム(特に子供向けが多い)が道路沿いに張られたロープに陳列され売られ始めました。
二つ目は、徐々に車に国旗(ミニ)を掲揚して走る車が増えつつあります。
三つ目は、パラグアイが勝てば、アスンシオンの夜は遅くまで国旗を振りかざした車で大渋滞が予想されます。(前前回フランス大会時にも、私はパラグアイにいましたので良くわかります)車内や荷台に乗りこんだ人々は、クラクションを鳴らし、国旗を振りかざしながら深夜まで喜びに溢れたパレードを展開します。

Ciudad del  Esteに行きました。
 

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     長距離夜行バス(ターミナルにて)
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      長距離夜行バス(ターミナルにて)
長距離バスです。(ターミナルにて)このバスは420km先の町へ向かうバスでかなりゆったりしています。(Ciudad del  Esteに行くバスではありません)私の乗ったバスは、NSAと言います。座席シートもゆったりし、リクライニングもかなりの角度まで倒れ、エアコンも十分調整されていて、流石トップクラスの会社のバスだと思いました。(値段もそれなりに高い。帰りは別の会社のバスで(日曜日のため時刻表にあっても便がない)料金も半値位でしたが時間はかかりました)。私は昨日(6月10日)からシスダ デル エステに買物に出かけ、本日戻りました。明日月曜日がチャコ戦争終結記念日で祝日です。エステの町は土曜日の午前中しか開店していないので、夜0:00分の夜行バスで出かけました。行きは5時間、帰りは6時間かかりました。こちらのホテルからターミナルまでは深夜のためタクシーをお願いして行きましたが、久しぶり(5回目)の雨で蒸し暑かったです。明日の祝日は殆どの店が閉店すると思われるので、先ほどアスンシオンに帰ってきたところです。今回はエンカルナシオンに着任している方の要請もあって出掛け、現地で合流しました。このため昨日のパラグアイ・イングランド戦はエステの町の街頭で観戦しました。
帰りのバスは料金も安いので、ルータ沿いに暮らしている多くの客を昇降させました。また客はどこでも乗り降りできます。(ここが非常に便利なこと)バスの運転手に対する乗車意思表示は手を必ず水平に挙げます。上に上げると停まってくれません。(これは人と別れる時に手を振る意味を持っています。混同しない様になっています)降りる時は運転席と仕切られたドアをノックして扉を開けてもらい、どこで停めて欲しいのかを伝えなくてはいけません。また運転席隣には必ず車掌(男性)がいて、客の荷物を中ほどに運んであげたり(特に乳児を抱えたお母さんの荷物)、切符を販売したり、主要な場所では客に肉声で予め到着を案内し、客を誘導します。到着時刻で一刻をあらそいスピードをあげるような素振りは全く感じられませんでした。ルータの上下線とも空いていて、運転がし易いと思います。こちらのルータも舗装部分と同じ幅の緑地帯が両側に設けられていて、非常にゆったりした気分で運転できると思いました。(エステに向かう途中には30kmの直線区間があります)

フットボールの応援をする人々
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   店頭のTVで応援する人達・・国旗は身近です
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  国旗を肩からかけて応援する少女
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            店は開店休業
開催国ドイツとパラグアイの時差は6時間です。ドイツ15時開始ですから、パラグアイは朝9時です。スポーツと言えば「フットボール」中心の国民性から、試合中は開店休業状態でしたが、負けてしまい、町は静かでした。皆さんも今回は日本とパラグアイの両方を応援されたらいかがでしょうか。楽しみが倍増することでしょう。

Ciudad del  Este
 
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          ESTEのある通り
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       洋服店の売子 男女共
初日は雨が降っていたことと、道路がゴミだらけのため歩き難かったです。写真で見ると結構な町に見えていますが、道沿いに露店が軒を連ね、ビルデング内には小さく仕切られたスペースに店が沢山入居していて、何と表現して良いか。建物構造も写真で見ると違和感が無いと思いますが、実際は物凄い様相です。
通貨「レアル」(ブラジルの通貨)か、ドルで払うか必ず聞かれます。理由は町中がポルトガル語を話すブラジル人客、店の経営者、店員等で溢れています。これはブラジルよりも物価(IT関係、携帯電話機、CDラジカセ他)が安いことを示しています。パラグアイ国側に外国からまず物品が入り、それを買い求めて橋を渡ってブラジルから客が押し寄せているようです。客以外にも大きな袋に詰めこみ作業をしている人も多く見かけましたので、「運び屋」も沢山いるのではと思われます。日本製品もかなりここでは売られていました。(特にデジカメ類)また問屋も多く見られ、靴下を買うときも12足でないと売らないと言われました。雨降りだったので傘も買いましたが、いくつ買うのかと聞かれ、「一つなら単価は違う」ということから察しられます。秋葉原に似た店内の様子ですが、品質と言う言葉が無いといって良いほど、道路にごみが散乱し汚れていました。建物もシンプルでなく、兎に角凄い様相でした。

ルータ沿いのチパ売り
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320kmのルータ途中、随所の村で名物「チパ」が売られ、ジュースや菓子なども売られています。私はバスの運転手に頼んでバスを降りて写真を撮りました。