今回は前回報告からかなり時間が経過してしまったのではないかと思います。皆様に大分ご心配をお掛けしましたが、私の口内の腫れも引き、風邪も治おりました。皆様には励ましのメールをいただきありがとうございました。私と一緒にパラグアイに着任した方が4月下旬に盲腸を発症し手術をしました。その方は一旦退院しましたが結局日本に一時帰国して術後の養生してこの度復帰されました。このようなことが身近な人に起きると、健康管理も注意が必要と改めて認識しました。ご本人は金曜日夜から寒気を感じ、風邪を引いたと思って風邪薬を飲み続け、翌週月曜日に医者に行き、結局水曜日に手術をしました。(当時)私達がこのことを知ったのは術後6日経過してからでした。知らせを聞いて直ぐ病院に掛けつけた次第です。
話は替わりますが、いよいよフットボール・コッパ・ムンディアル(スペイン語)開始です。
一昨日は開会式(こちらAM10時から中継)、その後初戦ドイツの試合が中継されました。パラグアイの熱狂的な様子を皆様に紹介します。
一つ目は、町のあちら此方で臨時の露店が開店し、国旗やユニホーム(特に子供向けが多い)が道路沿いに張られたロープに陳列され売られ始めました。
二つ目は、徐々に車に国旗(ミニ)を掲揚して走る車が増えつつあります。
三つ目は、パラグアイが勝てば、アスンシオンの夜は遅くまで国旗を振りかざした車で大渋滞が予想されます。(前前回フランス大会時にも、私はパラグアイにいましたので良くわかります)車内や荷台に乗りこんだ人々は、クラクションを鳴らし、国旗を振りかざしながら深夜まで喜びに溢れたパレードを展開します。
Ciudad del Esteに行きました。
長距離夜行バス(ターミナルにて)
長距離夜行バス(ターミナルにて)
長距離バスです。(ターミナルにて)このバスは420km先の町へ向かうバスでかなりゆったりしています。(Ciudad del Esteに行くバスではありません)私の乗ったバスは、NSAと言います。座席シートもゆったりし、リクライニングもかなりの角度まで倒れ、エアコンも十分調整されていて、流石トップクラスの会社のバスだと思いました。(値段もそれなりに高い。帰りは別の会社のバスで(日曜日のため時刻表にあっても便がない)料金も半値位でしたが時間はかかりました)。私は昨日(6月10日)からシスダ デル エステに買物に出かけ、本日戻りました。明日月曜日がチャコ戦争終結記念日で祝日です。エステの町は土曜日の午前中しか開店していないので、夜0:00分の夜行バスで出かけました。行きは5時間、帰りは6時間かかりました。こちらのホテルからターミナルまでは深夜のためタクシーをお願いして行きましたが、久しぶり(5回目)の雨で蒸し暑かったです。明日の祝日は殆どの店が閉店すると思われるので、先ほどアスンシオンに帰ってきたところです。今回はエンカルナシオンに着任している方の要請もあって出掛け、現地で合流しました。このため昨日のパラグアイ・イングランド戦はエステの町の街頭で観戦しました。
帰りのバスは料金も安いので、ルータ沿いに暮らしている多くの客を昇降させました。また客はどこでも乗り降りできます。(ここが非常に便利なこと)バスの運転手に対する乗車意思表示は手を必ず水平に挙げます。上に上げると停まってくれません。(これは人と別れる時に手を振る意味を持っています。混同しない様になっています)降りる時は運転席と仕切られたドアをノックして扉を開けてもらい、どこで停めて欲しいのかを伝えなくてはいけません。また運転席隣には必ず車掌(男性)がいて、客の荷物を中ほどに運んであげたり(特に乳児を抱えたお母さんの荷物)、切符を販売したり、主要な場所では客に肉声で予め到着を案内し、客を誘導します。到着時刻で一刻をあらそいスピードをあげるような素振りは全く感じられませんでした。ルータの上下線とも空いていて、運転がし易いと思います。こちらのルータも舗装部分と同じ幅の緑地帯が両側に設けられていて、非常にゆったりした気分で運転できると思いました。(エステに向かう途中には30kmの直線区間があります)
フットボールの応援をする人々
店頭のTVで応援する人達・・国旗は身近です
国旗を肩からかけて応援する少女
店は開店休業
開催国ドイツとパラグアイの時差は6時間です。ドイツ15時開始ですから、パラグアイは朝9時です。スポーツと言えば「フットボール」中心の国民性から、試合中は開店休業状態でしたが、負けてしまい、町は静かでした。皆さんも今回は日本とパラグアイの両方を応援されたらいかがでしょうか。楽しみが倍増することでしょう。
Ciudad del Este
ESTEのある通り
洋服店の売子 男女共
初日は雨が降っていたことと、道路がゴミだらけのため歩き難かったです。写真で見ると結構な町に見えていますが、道沿いに露店が軒を連ね、ビルデング内には小さく仕切られたスペースに店が沢山入居していて、何と表現して良いか。建物構造も写真で見ると違和感が無いと思いますが、実際は物凄い様相です。
通貨「レアル」(ブラジルの通貨)か、ドルで払うか必ず聞かれます。理由は町中がポルトガル語を話すブラジル人客、店の経営者、店員等で溢れています。これはブラジルよりも物価(IT関係、携帯電話機、CDラジカセ他)が安いことを示しています。パラグアイ国側に外国からまず物品が入り、それを買い求めて橋を渡ってブラジルから客が押し寄せているようです。客以外にも大きな袋に詰めこみ作業をしている人も多く見かけましたので、「運び屋」も沢山いるのではと思われます。日本製品もかなりここでは売られていました。(特にデジカメ類)また問屋も多く見られ、靴下を買うときも12足でないと売らないと言われました。雨降りだったので傘も買いましたが、いくつ買うのかと聞かれ、「一つなら単価は違う」ということから察しられます。秋葉原に似た店内の様子ですが、品質と言う言葉が無いといって良いほど、道路にごみが散乱し汚れていました。建物もシンプルでなく、兎に角凄い様相でした。
ルータ沿いのチパ売り
320kmのルータ途中、随所の村で名物「チパ」が売られ、ジュースや菓子なども売られています。私はバスの運転手に頼んでバスを降りて写真を撮りました。