レマンソ橋(Puente Remanso)の紹介

421日(土)  9:2013:00頃まで 
私はアスンシオン近郊の町にはほぼ行き尽くしたような状況なので、パラグアイ晴れの天気に誘われ橋を見に行ってきました。
PUENTE
 REMANSO(レマンソ橋)はパラグアイ川(Rio paraguay)に掛るコンクリート橋です。アスンシオンからチャコ地方に行く時や、アルゼンチンへ行く時にこの橋を渡らなければ行けません。セントロからこの橋まで距離があるので直接は望めません。夜間に橋の照明が連なっているのがかすかにわかる程度です。長さは1400mで、船の往来を考慮し一部区間は橋脚を高くしてあります。
セントロからは、ブラジル通でVilla Hayes行きのバスに乗って途中下車。約40分で着きました。


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バス停で撮った写真。
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歩いて橋の高い所まで行きました。
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川岸に係留されたままの船
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橋からパラグアイ川の上流を望む
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橋から下流を望む(遠くに見えるセントロビル群)。ラプラタ川の河口まで流れが続きます。
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チャコ側と地平線
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橋の上流側左岸:釣人は太陽光線が辛そうでした。水面反射はかなり強力です。
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今にも沈みそうな位、荷を積んだ運搬船
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岸壁に係留されたボート:このようなレジャーを楽しめるお金持ちもいます。
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ボート保管庫(会社)
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レマンソ橋の一番高いところ:船の往来を考慮して橋脚の間隔も広く設計されています。
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ベンチと橋:上流地方(ボリビア)の降雨の為水面が上昇しているそうです。
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パーティ会場の幹事さん達。私が奥に入ろうとしたら「何をしに来ましたか?」と質問され、「橋の写真を撮りたいのでお願いします」と言いました。最近の誘拐のニースを知ってか「あんたは誘拐は怖くないかい」なんていって私をからかうのです。「私は社長でもないし、見たとおり金持ちでもありません」といって、粗末な衣服を見せました。「そのリュックの中にお金があるぞ」というので「カメラはあるがお金は無い」とやりとりし、「それなら私が新聞記者に誘拐犯の写真を提供するので皆さんの(誘拐犯の)写真を撮りましょう。」と冗談を飛ばしながら撮った写真です。今日は土曜日で、約300人のパーティ(昼食)がおこなわれるそうです。出席者名簿を手にされていました。どんな人達の集まりか説明していただきましたがわかりませんでした。(馬を扱う関係者のようなキーワードでしたが・・・)
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パーティ会場:暑い国なので外と遮断する戸なんか必要ありません。欲しいのは日陰です。
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早い人は既に座っています。
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帰りのバス停にて(ルータ9号):セントロに向けて食肉用の牛を運ぶトレーラ。海の無いパラグアイは牛肉(肉食)主体ですので国内の牧場から常に供給されてきます。広い平原の牧場が牛肉の貯蔵庫みたいな役割をしていると思います。
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これは遥々チリの北部、イキケ(Iquque)の町から運ばれてきた中古車だと思います。チリ北部の港イキケは日本から輸送されて来る車の陸揚港として有名です。ここの町で、右から左にハンドルを付替えてペルー、エクアドル、ボリビア、パラグアイの各国に陸送されています。ということでパラグアイでは殆どの皆さんがイキケという町の名前をご存知です。パラグアイまでのルートは、イキケ(チリ)からアンデス山脈を超えアルゼンチンを通過して入って来るそうです。陸路で20002500キロはあるのではないでしょうか。蟻のような人間の活動が南米諸国に日本の中古車を供給しています。

Carapegua、Quiindy、Ayolasの小学校調査

パラグアイにスイスから贈られたパソコン(約450台)を分割して小学校に配るための事前調査にカウンターパートのOscar LopezさんとGidoさんの三人で3つの学校へ調査に出かけてきたので紹介します。最初はCarapegua84km16km)、2番目はQuiindy(109km)、三番目はAyolas309km)の小学校で、何れもルータ1号沿いの町にありましたが、Carapeguaだけは更に奥地へ16km程入った田舎にありました。Oscarさんからは2週ほど前から「横田さんもパラグアイの学校の実態を見る良い機会だから一緒に行くよ」と聞かされていました。いずれの学校も遠方でしかも日帰りなので朝早く出発しなくてはいけません。このため私のところに迎えに来たのは早朝5時でした。起床したのは3時半です。帰宅時間は19:45分でした。1日約650kmの行程でしたがルータは空いていて最高140km走行もありましたので結構早くに戻れました。

小学校調査(1) 先ずは一番近い Carapegua
迎えの先生は730分の約束に1時間遅れて現れ、早く着いていたんですが私達の車を待ち合わせ場所で認識できなかったので遅れたとも言われていたそうです。



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ルータ1号 朝7時頃(645分に着きました)
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ラ コルメナに延びる道路
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教会前の公園
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教会建物
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教会:公園の木が茂り建物全体は撮れませんでした。
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Oscar
さんが内部も整っているというので撮りました。
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教会
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Municipalidad
 de Carapegua
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道行く人達。アスンシオンでも写真のように頭に物を載せて歩く人を時々見かけます。(年配者)
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街の中の建物
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庭で織物をしていました。hamaca(アマカ):ハンモックです。このあたりはこれを織る家が多いようです。
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町の中にあるガソリンスタンドで730分に待ち合わせ。先を行くオートバイの先生は丁度1時間遅れて姿をあらわしました。それからこのような道を16km奥に入ってゆきました。待っている間私はスタンドで働いている人に聞けば学校の位置などすぐわかると思っていましたが、Oscarさんはこのことを知ってか決して探そうとしませんでした。先生の迎えが遅れたお蔭で私は町の教会などの写真を撮る事ができました。
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校舎:生徒の姿はありませんでした。場所は町から16kmも奥に入ったところで、まわりに住宅街などは見当たりませんでした。

小学校調査(2) Carapegua

ーーー Carapegua 続きーーー


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教室
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教室と黒板
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図書室
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図書室の本
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図書室:この部屋に10台置くので電源を確認しています。
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Gido
さんと電源について打合せ中
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この学校の関係者も熱心に準備する態度が伺えました。
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グラウンド
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グラウンド
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教室内に生徒の姿はありませんでした。この校舎の教室が使われているかどうか私にはわかりません。なぜならば、あまりにも教室内が殺風景すぎます。(他の二校と比べると)この写真は隣のグラウンドでサッカーをしている生徒です。私の目には中学生に見えました。
パラグアイの学校の先生の給与待遇は一般の企業より低いと聞いています。そのためか、よい人材が集まらないそうです。また学校の設備を見ても日本のそれらとは大きく差があります。(特に公営の学校は)首都アスンシオンにある私立の学校は整ったものもあると思います。(訪問したことはありませんが、学校の外観から推測して)

小学校調査(3) Quiindy

Quiindyの紹介


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教会:ルータに沿ってありました。学校の位置が判明するまでの間、私は写真を撮らせてもらいました。
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結構大きい建物でした。
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先週は天気が落ち着かなかったんですが、今日は見事な空でした。
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建物もしっかりしています。
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後方から
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Municipalidad de Quiindy
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役場の庭に日本車が勢揃い
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ルータ1号。車の往来は時間によって閑散とします。(アスンシオン方向)
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並木を伐木中
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ルータ1号(エンカル方向)

学校名:Andres Bello :(Quiindy)キンディ
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日本でいう職員室と図書館が一緒になった部屋。この部屋にしかPCを置くスペースがありませんでした。でも10台はとてもという状況なので再検討のようです。
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この棚にある本が図書館と同じ役目をしているかもしれません。

小学校調査(4) Quiindy



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授業中でしたがお願いして写真を撮らせていただきました。(2年生)
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先生の促しで皆並んでくれました。(あとでカメラに写った姿を見て大笑いです)(2年生)
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年生
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3
年生
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11時に鐘が鳴らされ生徒は門の近くに勢揃い。
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私が写真を撮っているので注目しています。なぜか、まず日本人とは言われないで中国人と言われます。
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先生と挨拶して帰宅です。
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挨拶が終ったので私が中庭に下りて「写真を撮る」といったら大騒ぎの状態になりました。
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沢山集まり押し合いが始まり大変でした。分けて撮るからということにして。
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2
回目も多く集まりましたが、木立の蔭で写真が暗くなってしまいました。
この学校は中学生も教えるそうです。中学生は午後来るのだそうです。ということはここでは小学校と中学校が同じ校舎を使っていることになります。

小学校調査(5) Ayolas



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昼食のレストラン:このあたりではここしかないかも知れませんが、料理が美味しくてLopezさんとGidoさんはそれぞれ、ミラネサをおかわりして注文しました。彼らにとってもとても美味しかったようです。(Restauran yasy(ヤス:ガラニー語で月を意味する)TEL072-222113
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牛肉のミラネサ
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サラダ
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スルビ(ナマズ)のミラネサ:輪切りにしたものですからかなり大きなスルビだと思います。

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鶏肉を焼いたのも(塩味):私の注文:油が多いと駄目だと頼んだら、皆が鶏肉で脂身のないところを焼いたものが良いといってオーダしてくれました。それでも大きい方の切り身はGidoさんにあげてしまいました。
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小学校の看板
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小学校の校舎:ここはダム建設によってできた村なので、主にダム管理のために働く技術者(インヘニエロ、テクニコ)が暮す村です。校舎はヤシュレタダムの倉庫と衣服をクリーニングするための建物だったものをそれぞれ改造して校舎にしたそうです。
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校舎の周りを歩きます。ローカなどはありません。
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ここがパソコン教室として準備している部屋です。10台配られる予定で、電源や机の準備をお願いしました。向って左から二人の方はインヘニエロ(技術者:大学卒の称号)で多分先生ではないと思いますが、今回のことについてかなり踏み込んで相談に乗っている様子でした。(教育パパ父兄かも知れません。)
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壁に書かれた海と大陸:「日本は裏側なので書いてありません」といって笑っておられました。

小学校調査(6) Ayolas

ここは教育熱心な学校でした。父兄も真剣に学校を良くする為に取り組んでいました。


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1
年生 広い部屋でダンスを習っていたようでした。
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6年生と先生 席を立って並んでくれました。
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3年生 机の配置は特に決まりはないようでした。
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3
年生の教室の壁 日本の教室のように習字を掲げたものとは違い、カラフルです。
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年生 このあとカメラで自分の姿を見て大騒ぎでした。
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2
年生
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2
年生
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女性の方が先生:この学校は教室にエアコンが付いていて涼しく、生徒も勉強し易いと思いました。ヤシュレタダムの関係者が住む村という事でお金があるのかも知れませんが、教室内のデコレーションやサポートのインヘニエロさん達の動きを見ても、教育熱心なことが伺えました。
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大きなグランドはありませんが、隣地も学校の土地なので将来拡張できると説明がありました。

Nemby紹介(1)

(ニェンブの最初はエニェが正しいスペルです。ここではスペイン語の特殊な文字を使えないので、アルファベットのNで表示していますがこれは誤りです。)

Nemby  2007.4.14(土)
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今週は日々天気が変わる落ち着かない空模様でしたが、土曜日の今日はまずまずでしたから、近くの町「Nemby」に行ってきました。バスはメルカード4Rodrigues de FranciaNo.38のバスに乗りました。乗車時にはNo.38であっても、ニャンブに行くかどうか運転手に聞く必要があります。帰ってくる時も同じ番号のバスで良いですが、アスンシオン セントロに行くかどうか確認する必要があります。私は行きも帰りも最初のバスはそれぞれ「行かない」ということで、次のを待ちました。

 距離はアスンシオンから凡そ1520km位と思います。(距離程なし)

バスはバスターミナル横の道路「Avenida Fernando de la Mora」を進みます。この道路はサンロレンソを経由しないでエンカルナシオン方面に行く事ができますのでバイパス的な道路と言えます。

往路(14日):  10:10 Asuncion(メルカード4) ⇒ニェンブ着10:45
                

復路(14日):  13:20 ニェンブ発 ⇒ 14:00  Asuncion(メルカード4)



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教会と隣接したPLAZA :先方に池があり、大きな木もたくさんありました。
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PLAZA
 :築山の岩の上から水が流れていて、その水が落ちる池には鯉に似た魚が沢山いました。土曜日の午前、広場には市民や学生達のにぎやかな声が響いていました。
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子供達に魚を見せている親子
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教会(正面):敷地内に立ち入る事ができませんでした。このようなことはめずらしいです。DSCN6471.jpg 
塔に登ればあたりの景観がきっと見れたことでしょう。
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建物規模は大きいです。
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Municipalidad de Nemby(教会の隣)
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中心街
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町内道路 左手の木立がPLAZA
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街角の果物屋(露店)

Nemby紹介(2)



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教会裏手にあった小学校の入り口
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コロニアルな家の店:見た瞬間これは絵になると思い、カメラを取り出していたら、セニョーラが中から出てきました。写真をお願いし快諾していただきましたが、セニョーラは店の中へ、かわって男の子が時々顔をのぞかせました。
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フォード社のクラシックなトラックが道路に停まっていました。
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街角の電話屋・コピー屋(電話のない人はここに来て電話を掛け料金を払います。:経営者は電話会社から来る請求書との差額を収益とします)
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作業員がトラックからレンガを手作業で降ろしているところです。
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街角の薬屋「SAN MIGUEL
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ITAIPU
(イタイプー:国営会社・・・・ブラジルとの国境の川に作られた発電所の管理運営会社だと思います):この中学校を建てたようです。イタイプーはこのように国内に多くの住宅や建物などを建てているようです。(こんなにきれいな中学校校舎を見たのは初めてのような気がします)
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幾つかある門の一つ。門扉が設置されていました。
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男子生徒のグループが庭の木蔭で談笑中:私が身振りで写真撮るよ!と伝えると一斉にこちらを向いてくれました。
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町外れを走る主要道路

チャコ地方Filadelfia(1)ターミナル

Filadelfia  2007.4.5(木)~4.7(土) セマナサンタ祝日を利用して行ってきました。
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Filadelfia
はドイツ人(メノニータ)移住地として知られる場所です。現在はメノニータの皆さんと、ドイツから移住してきた皆さんが共に暮らす町となっています。

時代は1900年代初頭なのでしょうか。ロシア地方に暮していた、メノニータの人々はロシアから迫害を受け故郷のドイツに帰ろうとしましたが、時あたかも第2次世界大戦勃発の様相が高まり、戦争を嫌う彼らは船に乗って、この南米奥地のチャコ地方に移住してきたのだそうです。ラプラタ川を遡り、パラグアイ川を更に遡り、ピリコマージョ川を遡ってこの地に辿りつき、原始林を切り開き、獣と戦い、家を作り、作物を育て、連れてきた家畜を飼育し自給自足の生活を築いて長い間この奥地で生活を営んできてやっと最近アスンシオンからのルータも舗装され、電気も通電されたのだそうです。それまでは、村内の発電所(薪を燃やして)で発電した電気を利用した生活をしていたそうです。15年前はTVも見てはいけない、インターネットも使用してはいけないという規制もあったそうです。現在はこれらの規制も解かれましたが、まだ区域内の道路は舗装されず硬い粘土質の道路です。このため車は信頼のあるメーカ・車種に限られていたそうで、トヨタ、日産、三菱が主流だったそうです。最近は価格が安い韓国メーカーも入ってきていますが、平原や遠方に出るときなどは、信頼性のある車を使うようにしているそうです。ここにきてみると車の故障は絶対ないほうが良いということは強く感じます。ラリーなどに参戦して車の耐久性能を常に追求することが必要だと感じました。

 距離はアスンシオンから466km

往路(5日):  6:00 Asuncion(ターミナル) ⇒Tacuara 9:00休憩 9:20⇒Pozo Colorado  11:45 着休憩 11:50発  Loma Plata15:00 ⇒Filadelfia15:30
                

復路(7日):  12:00 Filadelfia⇒ 14:40 Pozo Colorado ⇒ Asuncion18:30

FiladelfiaにはCOOPLoma PlataにはTREBOLという有名な乳製品の加工場があり、これらは共同組合として(Cooperativa)ずっと運営されていてその昔はアスンシオンまでの道は舗装もされていませんでしたから、消費はこの地域内のみでおこなわれていたそうです。近年ルータの開通と共に約470km離れたグランアスンシオン圏まで陸送され販売されるようになったそうです。
いまやパラグアイ国の牛乳シェアでは、COOP50%、TREBOL20%で、ロングラン牛乳(常温保存可能パッケージ:6ケ月)も製造しているのだそうです。私が常温保存の箱の中に、薬を混ぜて長期保存を可能にしているのではと尋ねると、「そんなことはない」「120℃で滅菌し、特殊冷却を数回繰り返すことによって可能にしているのであって、決して防腐剤などは使用していない。」という説明でした。(TAXI運転手の説明によります)乳製品としては他にヨーグルト、チーズ、肉製品は、牛肉、ハム、ソーセージなどが挙げられるそうです。


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5日(木)朝530分ですがターミナルは、旅行客・帰省客で混雑していました。
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改札付近
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プラットホームでバスを待つ人達
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1
回目の休憩ポイント(運転手と、助手は朝食を摂りました)今回のバスにトイレはありません。
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ボートを牽引しています。連休を利用して家族でどこかに行く様です。
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裏庭に飼われていた豚。「足の踏み場もない」状況でした。
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ルータ9