La casa del Lic. Urisar

3月15日(土)
Luque 市のLic. Urisar さん宅に招待されました。
夕方7時頃 Ferunando さんに車で迎えに来ていただきましたが、今日は土曜日にもかかわらず、夕方5時までUrisar さんも一緒に職場で仕事をしていて、迎えの時間に遅れてしまったんだそうです。
今日はOrue さんの奥様も参加されました。
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左から、Urisar さんの娘さん、奥様、Orue さんの奥様
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今回もアサードを焼く専門の方が来ていました。
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Urisar さんの計らいで、ギターとアルパの演奏を聴きながらのパーティでした。
Srta. Carol Cubas さん 22歳とかいってましたが、11年アルパを弾いてるそうです。
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お兄さんはギターを弾きます。
Sr. Daniel Cubas さんは15年ギターを弾いているそうです。
二人ともFernando de la Mora に住んでいます。
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何曲か弾いていただきました。
Cascada(滝)
Bajo de la Carreta (荷馬車の下)
何れも直訳。これらは二年間生活してた間にラジオなどからよく流れてきた曲です。
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肉が程よく焼きあがりました。
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これを肉に乗せて食べました。
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今日は生ビールを準備していただきました。
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日本とは違い食卓を見ても料理は質素です。ですから奥様は準備に追われる心配もありません。
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焼肉がメイン料理(アサード)
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職場の若い皆さんも遅れて来ましたが、皆参加してくれました。
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Urisar さんのお宅は中庭が広いのでパーティを開くにはもってこいです。
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最後は皆で揃って写真を撮りました。
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別れの挨拶をして帰ろうとしたら、また演奏が始まり、二曲ぐらい演奏していただきました。
その後、同僚SVの方がギターを演奏しながらSUKIYAKI ソング歌われました。
皆さんと最後の別れの挨拶をして、夜10時半頃Urisar さん宅を後にしました。

Carayao (oにアクセント)

3月14日(金)~3月15日(土)

Carayao(oにアクセント)、Dr. Cesilio Baes、Simon Bolivar の3つの村を訪れました。
印象に残ったのは、Dr. Cesilio Baes で 今まで行った中でも、本当の田舎と言えます。撮った写真の枚数も、出遭った Carreta の数も多くてのどかな田舎の暮らしを新たに発見した気分になりました。
今まで San Juan Nepomuseno 方面が好きでしたが、この地域も私には新たな魅力がありました。

往路(14日)

Asuncion 14:00 発 ⇒16:30着 Cnel. Oviedo 17:00 発⇒ 17:40 着 Carayao(oにアクセント) 19:15 発 ⇒ 19:50 着 Cnel.Oviedo

復路(15日)

Cnel.Oviedo 7:10  ⇒   8:00 着 Simon Bolivar  8:05 発  ⇒ 8:20 着 Dr. Cesilio Baes 9:00 発 ⇒ 9:30 着 Simon Bolivar  10:10 発  ⇒ 11:00 経由 Cnel. Oviedo   ⇒  13:30 着 Asuncion (Super Pueblo前)  ⇒  14:10 着 Mi Casa
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Carayao(oにアクセント)に着く頃には日が沈んでしまうのではと気をもみましたが、やっぱり心配したとおりになってしまいました。オビエドでバス乗り換えのため30分待ったのがよけいでした。

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遠くウパカライ湖を望む(バスの中から)
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Carayao (oにアクセント)でバスを降りた場所。
既にあたりは薄暗くなり始めていたので、教会と役場の位置を教えてもらい、足早に歩きました。家々には掃除をしたり、片付けをする姿があり、こちらから挨拶の言葉をかけました。
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Ruta2号
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家路につく子供達
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Centro de Salud
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苗木に水をやっています。
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黄昏時
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Municipalidad de Carayao (oにアクセント)
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民家の庭(チパを焼く窯)
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教会
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教会:
中から賛美歌が聞こえてきました。
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教会の庭を手入れをしていたおじさんが、植木のトンネルがあるのでここも写真を撮った方がよいと案内してくれました。
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Equipo Carayao(oにアクセント)(9才~12才まで)  お兄さんに付いて来ていた子もなかにはいると思います。
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Equipo Carayao(oにアクセント)
あたりが薄暗くなり、練習を終えて帰ろうとするところを、皆に集まってもらって撮りました。
グランドに隣接した建物にインターネットが使えるパソコンがあるというので、アドレスを教えてきました。
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サンセット
Rutaに戻ってからバスを待つ間、コーラを飲みながら店のご主人や息子さん、店に来ていた数人の若者と凡そ30分位話をしました。
ご主人はアルゼンチン訛りのスペイン語なので聞いたら、アルゼンチンに生まれ育ち今は仕事をリタイヤし、両国を行き来してると話していました。
一つ質問があるのだがとご主人はきりだし「日本からくる車はなぜにあのように白色が多いんだい、どうして日本人は白い色を好むのかい」と訊かれ返事に窮してしまいました。南米では私達日本人がビックリするような色で家をペンキで塗りますし、物には色があって当たり前という考えです。
その点、日本には男の色とか女の色という意識があります。こちらではそのようなものは無いと思います。一例が久しぶりに帰った日本の歯科医で歯ブラシを沢山買ったときに、男の色でなくてはと一所懸命色を選んでいだいたのに、はっと我にかえって、これが日本だったのかと思いました。
既に沢山の写真でおわかりのように全てがカラフルです。
この村は自然に満ちていて(村内の道路は広くゆったりしていました)、サトウキビ、マンジョウカ、ゴマ、肉牛を生産していると教えてくれました。

Cnel. Oviedo & Dr. Cesilio Baes 1

3月15日(土)

Cnel.Oviedo 7:10  ⇒   8:00 着 Simon Bolivar  8:05 発  ⇒ 8:20 着 Dr. Cesilio Baes 9:00 発 ⇒ 9:30 着Simon Bolivar

今日はAsuncionに午後4時までに帰らなくてはいけないので、効率的に見てまわる必要があります。(職場の方から招待されてます)
昨日聞き込みした中で、一番早いバス(7時発)に乗って出掛けるので、ホテルの朝食(菓子パンとコーヒー&ミルク)時間まで待てず、アスンシオンで買って持ってきたパンとジュースで済ませました。(朝食7時)
ターミナルとホテルは近くなので助かります。
昨夜の夕食はターミナル近くのBar風な店で食べました。前回泊まった時は、Rysaが経営するレストランで食べたので、今回は別のところにしました。

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夕食(鶏肉を焼いたものとサラダ)
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Cnel.OviedoのRuta交差点付近(朝撮影)
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Ruta2号付近の家並み(朝撮影)
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Cnel.Oviedoのセントロ方向の家並み(朝撮影)
町には、町と近郊の村を結ぶ小さなバスターミナルがありました。Ruta2号にあるものと比べると規模は小さいです。
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Ruta2号:私が乗ってきたバスです。乗客の荷物が多いので手間がかかっています。
左に分岐してる道路を進むとDr. Cesilio Baes
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Simon Bolivar でバスを降りた所:沢山の荷物
ここから次の村 Dr. Cesilio Baes まで、石畳の道で 10kmありました。昨日数人に村のことを尋ねましたが、ある人は分岐点から3kmという人もいれば、22kmという人もいました。なかなかあてにならないものです。
交差点近くにタクシー乗り場があったので、タクシーとすぐに交渉しました。田舎ではメータなどありませんから。
行きが正規料金で帰り便はガソリン1リットル程度の代金しかとりませんので、片道料金の二倍の金額にならないのがありがたいです。
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全て石畳の道路でした。
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Carretaに若者が乗っていました。
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民家
植木が牛に食べられないようにしっかり木材でガードしています。
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乗ったタクシー:写真ではみれますが、ダッシュボードには既に何もなくメータ類は動きません。
配線も露出し、ドアの開け閉めも中からしかできません。でも雨を凌げて動けばそれで良いのです。この国のありようは、世界有数の自動車生産国日本とは考え方を全く変えなくてはいけません。動くけば何時までもつかうということです。労働生産性が低いこの国で、新しい車を買うということはどれだけ大変なことか。
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約10kmの道沿いにはこのような民家が点在していました。
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途中店の前に停まっていた Carreta ここでも快く写真に応じていただきました。
(朝で逆光のため写真が暗いです)
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車輪の陰に隠れた女の子がお母さんに促されてやっと顔をだしてくれました。
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牛の目はアイシャドウをしたような面白い目をしていました。

Dr. Cesilio Baes 2

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学校
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教会
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少年二人がCarretaを操ってマンジョウカを配達していました。
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袋に入ったマンジョウカを荷台から運び出す作業はこの少年にはとても大変そうにみえました。
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この家への配達が終わるや、二人の少年はCarretaに乗り、ニコニコしながら別の家に向かって行きました。
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Municipalidad de Dr. Cesilio Baes:田舎にありながらモダンな建物です。
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役場向かいのPLAZAでは生産者の市が開かれていました。品数は少なかったところを見るとこれからかもしれません。
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皆さんに挨拶をしながら写真を撮りました。
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皆さんには突然なことでしょうが、タクシーの運転手も私の趣旨を素早く皆さんに伝えてくれましたから了解も得易かったことは確かです。
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生産者の市にはCarretaが二台きていました。こちらのはまだ荷車に牛がつながれたままでしたので、写真を撮らせていただきました。
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カメラを向けてもニコヤカに応じてくださいました。
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タクシーで村の中を移動中、またまたCarretaに出くわしました。タクシー運転手にすぐ写真撮影の了解を取ってもらうように頼みました。状況を理解したおじさんはCarretaを停めて私の写真撮影に協力してくださいました。この牛の角は大きく丸くまがっています。
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郊外に続く道
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牧場入り口
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農家
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石畳の道
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牧場
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牧場と家
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牧場

Simon Bolivar  

Dr. Cesilio Baes 9:00 発 ⇒ 9:30 着 Simon Bolivar  10:10 発  ⇒ 11:00 経由 Cnel. Oviedo   ⇒  13:30 着 Asuncion (Super Pueblo前) ⇒ 14:10 着 Mi Casa

Rutaまでくる一家族を途中後部座席に乗せてからは写真を撮る機会は減りました。急いでいるか尋ねましたが急いではいなかったです。タクシーを降りるとき見ていたらその家族も料金を払い、私も料金を払いましたから二重取りみないなものです。でも私は何も言いませんでした。
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Rutaに面した商店
時間の制約があるので、役場と教会の位置を尋ねそこに向かって歩きました。先程降りたタクシーに料金以外にもお礼として支払ったので、こんなに歩くならそのままタクシーで案内してもらえば良かった、失敗したなと悔やみました。
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Rutaの両側に家がありますが商店街があるという状態ではありません。
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役場に向かう途中、庭で馬の尻尾を洗っている少女を見かけました。
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民家と井戸
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Municipalidad de Simon Bolivar:
元位置に建替え工事中でおじさん達に挨拶して写真をとりました。仮庁社はRuta沿いにあると教えてくれました。
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Pajaで屋根を葺いた民家:
Rutaに出てから教会をめざしてあるきはじめましたが、日差しが強く日よけに傘をさしました。
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Ruta:Oviedo方向
この村はこうしてみると丘陵地帯の上にあることがわかります。パラグアイでは集落や町は水はけが良いことも大切な住居の条件なので、結構丘陵地帯の上や、こんもりした丘の上にあることが多いです。
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教会:
青年がもくもくとおのをふるって草刈をしていました。「こんにちは、暑いですね、これはあなたの仕事ですか?」と青年に尋ねると「そうです」と返事がかえってきました。青年はこの近くに住んでいると自分の家を指差してくれました。
教会はRuta脇の坂に設けられた階段を登った上にありました。
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Rutaに出てきた豚:
今まで私は豚は人が餌を与えて育てるものと思っていましたが、Paraguayの田舎では豚が自由に歩き回って草の根をほじくって食べている光景を沢山みました。(豚肉はそのせいか日本と比較したら美味しくありません 但しドイツ人移住地で生産されたものは別です)
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Ruta案内板

教会から戻る途中Asuncion行きのバスが一台通過してゆきました。とっさのことで手をあげることができませんでした。次は一時間後になるのかなと覚悟をきめてここまで戻ってきて写真を撮り、木陰でしかも他にバスを待ってる人がいるところが情報を得易くていいだろうと考え、歩き出したところに運良くまた次のバスがきました。
バスは有難い事に空いていました。
私は座席に腰掛け、バスの窓からはいってくる心地よい風にあたりながら、しばし眠りました。
コロネルオビエドでも客は降りるだけで、乗る客はいません。途中の町でチパ売りも乗り込みましたが、すぐに乗客が少ないのを見届け運転手にバスを停めるよう頼み、さっさと降りてしまいました。それもその筈、客は10人もいませんでしたから。
予定した時間よりも早く家に着くことができました。
遅い昼食を食べてから、早速写真をパソコンに取り込み写り具合を確認した後、今夜招待されたお宅に出掛ける準備に取り掛かりました。

Despedida(IPT)(送別会)

3月14日(金)
IPTの校長先生 Prof.Lic.Carlos  A.Rojas Sosa 氏が大学とは別に送別会を彼の部屋でしてくださいました。
同僚SVの方が工業高校の行事に参加され、高校での生徒の生活ぶりを任期期間中カウンターパートと協力して記録映像に残し、編集されて卒業生に贈るなど、高校に貢献されたことが今回のこのような動きになりました。

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Prof.Lic.Carlos  A.Rojas Sosa (35才)氏
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先生方(学校に先生は20名以上いますし、生徒も150名います)
ケーキもどなたかが家で作ってきてくださったそうです。
サンドイッチ、エンパナーダ、ソパワス、ソパパラグアジョ、ケーキとコーラを飲んでしばし話をしました。
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真ん中の先生が、ソパワス、ソパパラグアジョを作ってきてくださいました。
このように家で作ったものを持ち寄って私達に感謝の気持ちを表してくださいました。
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生徒の二人は生徒会の代表です。
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最後に校長先生、生徒代表から感謝状を頂き、皆さんと握手してお別れし部屋をあとにしました。
Hasta Luego. Muchas gracias.

同僚を日本食に招待

3月13日(木)
かねてからお世話になった職場の同僚の皆さんを(C/P含め)食事に招待するからと伝えておりました。
パラグアイ人なので、日頃から日本食には無縁の皆さんです。いきなり寿司(SUSHI)や刺身(SASHIMI)では大変なことになってしまいますから、天ぷらがあうだろうと考えてオーダしました。
(今年1月10日に、C/PのMiguel, Rogrigo を招待したときも、友人のミリアン、ルハンを2月22日に招待したときもTENPURA(天ぷら)は大好評でしたから。・・・・エビ、白身魚、野菜等ミックスのもの)

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Acosta さんは早速箸の使い方練習: うまく扱えないため、食べるのが遅くなってしまい、美味しいものを他の皆さんに先に食べられてしまったと笑っていました。
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SUKIYAKIの説明をしたら、是非食べてみたいといいだしました。SUKIYAKIで問題なのは、生タマゴです。パラグアイでは生タマゴを食べる習慣がありませんから、いままで牛丼をご馳走したときも、タマゴはあらかじめ肉と一緒に調理してもらってました。
食べ方を彼らに説明し納得のうえで注文しました。
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Gyouza(餃子), Tenpura(天ぷら), Sukiyaki(すきやき), Tori-Karaage(鳥のから揚げ)、California-Roll(のり巻き寿司),Teriyaki-Roll(のり巻き寿司)、Ramen(Chanpon)(ラーメン チャンポン)、Cerveza y Postre
(ちょっとくどいですが、彼らの参考にとオーダーしたものを敢えて掲載しました)
ラーメンという言葉を知っていて、食べてみたいというので、最後にChanponをオーダーしました。
どれもみんな美味しかったといい、全て平らげました。
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Tenpuraに舌鼓
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最後は日本茶。
左から、Enrigue Casanova、Oscar Lopez、Cesar Bogado、Richard Acosta のみなさん、皆独身です。
Enriqueは大学予備生、OscarはPCに詳しく、Cesarは大学生で実習授業の補助、Acosta先生は大の冗談好きな人です。

Central de Encomienda Correo Paraguayo(郵便小包)とNSAの小包扱所

帰国にあたり、本などは郵便で別送することにしました。
セントロの郵便局とは別の場所に郵便小包を扱うオフィス Central de Encomienda Correo Paraguayo があり、そこで初めて発送しました。

この他に手段として、EMSやDHLがあります。
DHLはホームページで概算料金が算定できるようにできていますので、大きさや重量がわかれば自分であらかじめ概算料金を知ることができます。
DHLでここから日本に発送したことがありますが、内容量6kgでしたが、10kgのダンボール箱に入らず、26kgの箱を使いました。この場合は料金の高い方で請求されますので、26kgの箱の風袋で請求され高額になりました。(HPでも同様の説明あり) 約一週間で日本の税関につきましたが、保険等も含めると驚くほどの金額になりました。(DHL HP参照)

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Central de Encomienda Correo Paraguayo
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建物入り口
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建物外観
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箱の中身を見てもらうため開けたまま持参し、本であることを担当者が確認後、計量し箱をテープでぐるぐる巻きにしました。重さを13kg丁度にするから本一冊を抜いた方が良いとアドバイスされ一冊持ち帰りました。
(箱のサイズは計ることなく、重さだけでした。)
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受付カウンター
あて先、現住所を所定の用紙に書きこみ料金を支払いました。
領収書に書かれた金額(540,000Gs)とは別に、テープで箱を巻きつけた料金を10,000GS請求されました。
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左はオフィスの上司、右の方が職員。
皆さん快く写真に応じてくれましたので、私のブログのアドレスを書いて置いてきました。
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Jefa(上司:女性)がパソコンの前に座っています。
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料金表(航空便)
日本に所要日数凡そ15日位で着くとのこと。
表は重量3kg~20kgまでの料金表・・・料金高い
(日本は一番右の欄 GRUPO V が該当)・・・1kg当り 80,000gs + α で概算額。
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料金表(航空便ですが、遅く安い) Economia
所要日数凡そ一ヶ月で着く。
重量3kg~20kgまでの料金表
(日本は一番右の欄 GRUPO V が該当) 1kg当り 42,000gs + α で概算額。

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NSAの小包扱い所
PLAZA URUGUAYA手前にありました。ここではバスの切符も事前に買うことが出来るそうです。
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建物外観
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受付窓口
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発送カウンター:
左:小包発送、送金窓口(国内扱い分)
右:バスの切符 を扱っています。
荷物はカウンターの下の穴から預けます。
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荷物を運搬する車