パラグアイ国日本人移住70周年記念祭典

パラグアイ国日本人移住70周年記念祭典
Asuncion
から車で約1時間の「セントロ・日系」(イタグア)で200698日(金)に開催されました。私も招待状をいただいたので出席してきました。その模様を紹介します。パラグアイ移住の第一歩は、1936年(昭和11年)「La Colmena」に11家族、81名が入植されたのが第一歩ですと遺族者代表謝辞のなかで「関 淳子」様が触れられておられました。
会場:「セントロ・日系」(イタグア)
慰霊祭 午前830分開始
記念式典(第一部、第二部)午前1140分開始
祝賀会
アトラクション
他に、移住関係写真展、農産物展、パラグアイ民芸品展が行われました。また記念切手も郵便局で作られ販売されました。
来賓の皆様は、日本国政府代表として、山中あきこ外務大臣政務官、ニカルノ・ドゥアルテ・フルトス パラグアイ共和国大統領、田岡 功駐日パラグアイ共和国大使館特命全権大使、飯野建郎在パラグアイ日本国大使館特命全権大使、松本有幸独立行政法人国際協力機構理事の皆様方です。本日の記念式典は、日本語とスペイン語(通訳)で行われ、大統領も挨拶を含め約30分程来賓席におられました。また記念式典において多数の移住者の皆様が、日本国外務大臣表彰を始め数多くの功労賞等の表彰を受けられました。(実行委員長:小田俊春)様

◇◆◇◆ 式典会場 ◇◆◇◆
 
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受け付け
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両国国旗
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記念式典会場
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奥の建物は慰霊祭会場
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国歌演奏楽団の皆さん
 
◇◆◇◆
慰霊祭◇◆◇◆
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慰霊祭祭壇
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慰霊祭詞小田俊春祭典委員長 様
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参列者献花

◆◇◆◇ 記念式典◆◇◆◇
 
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主会場で歓迎のお嬢様の皆様
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国家斉唱(左前列 飯野大使御夫妻、ニカルノ大統領、小田祭典委員長、山中外務大臣政務官、松本JICA理事、斎籐JICAパラグアイ事務所長
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山中あきこ外務大臣政務官祝辞
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ニカルノ・ドゥアルテ・フルトス パラグアイ共和国大統領祝辞
 
◆◇◆◇
祝賀会(料理)◆◇◆◇
祝賀会には焼肉(アサード)と写真のような日本食のご馳走が準備されました。人数が多いので準備が大変だったと思いますが日本食レストランなどがいなり、卵焼き、巻寿司、赤飯などそれぞれ分担手配され準備されたのだそうです。

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巻寿司、いなり、赤飯おむすび、卵焼きなど
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揚げ物(イカ)、串他
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煮物(里芋、コンニャク、昆布巻き他)、上は酢の物です。酢の物は内山田ホテルの担当でした。以上3ディッシュが今回のご馳走で、アサードはウエイターが切ったものをお客様の好みに応じて差し出していました。
 
◆◇◆◇
移住関係写真展コーナー◆◇◆◇
移住の歴史を見ることができます。慰霊祭の追悼の辞では「一世の皆様が原始林を切り開き困難辛苦を乗り越えての努力があったからこそ今日があります」というお言葉が随所にありました。写真展からもこれら先輩皆様のご苦労が偲ばれます。

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移住者の皆様の秘蔵写真が提供されていました。
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JICA
関係者も展示コーナーに足を運ばれました。
 
◆◇◆◇
農産物展(野菜、果物)◆◇◆◇
祝賀会をチョット抜けだしこれらの写真をとりました。コーナのお客様は祝賀会のためちょうど少ない時です。日本人移住者の皆さんは品質の高い農産物を生産されています。日本へ輸出している大豆も日本人が始めたと紹介がありました。(大豆はここ2~3年天候不順による不作に見舞われています)

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果物、野菜品質はとても良いです。(昔は品質が良すぎて値段が高く、買って食べてくれる人がいない・なんていう冗談めいた話もあったようです)
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パパイア(マモン)、バナナ等
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大根、野菜……こんなに大きい大根は初めて見ました。
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果物コーナー
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野菜コーナー

◆◇◆◇ 農産物展(お米、大豆、味噌)◆◇◆◇
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手前は味噌です。(ラパス産)私もこれを食べております。
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お米コーナー、大豆コーナー:青年協力隊員の方々です。(カメラを構えたらポーズをとって下さいました)お名前をお聞きしましたのでご紹介します。お米を持っている方が 尾崎かさねさん(音楽・アスンシオン)、左の方が立花麻美さん(体操競技・アスンシオン)です。初めてお目にかかりました。今回協力隊員も十数名程出席されていました。

◆◇◆◇ お菓子・パンコーナー◆◇◆◇
 
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お菓子、パンコーナーです。日本でお馴染みのものが並んでいました
 
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手工芸品コーナー◆◇◆◇
 
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手工芸品
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織物、工芸品等
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ニャンドウティ等

◆◇◆◇ アトラクション◆◇◆◇
ピラポ音頭(ピラポ)、鬼剣舞(アスンシオン)、みちのく・よさこい乱舞(ラ・コルメナ)、ダンサ・パラグアジャ(ラ・パス)、ダンサ・パラグアジャ(アスンシオン市役所舞踊団)、鬼剣舞(ピラポ)、日本舞踊(アマンバイ)、荒馬座歌舞団の8つのアトラクションが行われました。時間の都合で最初の2つだけ紹介します。

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ピラポ音頭(ピラポの皆さん)
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鬼剣舞(アスンシオンの皆さん)

◆◇◆◇ 新聞記事◆◇◆◇
 
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9日(土)のパラグアイULTIMA HORA新聞記事です。昨日行われた70周年記念祭典での大統領と山中外務大臣政務官が一緒に写った写真が掲載されていました。写真下には「友好関係・・大統領と山中政務官が一緒に」と書かれています

◆◇◆◇ スナップ写真集◆◇◆◇
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休憩所ドリンク、イモ羊羹、お菓子、バナナ、ミカンなどを皆様に提供するコーナーです。イモ羊羹が美味しかったです。バナナもマーケットで売っているものよりも大きく新鮮で美味でした。
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右手建物:慰霊祭会場 
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受け付けと祝賀会場
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祝賀会場をバックに
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祝賀会場で同僚と私
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祝賀会場:祝賀会模様

ラパチョの花、内山歯科

黄色いラパチョの花は春の到来を意味します。
この花は「Agost Poty」(アゴスト ポツウ)といい、この花が咲くと「冬が終る」という言い伝えがあるそうです。(内山歯科先生の話)こちらでは辺り一面に咲いているとか、日本のどこかの公園のように桜が沢山植えられていて一斉に咲くというような状況は見当たりません。また花をめでて花の下で一杯!というようなことも見られません。通勤の車の中から黄色い花が咲いているのを見つけても車を停める訳にはゆきませんので(マイカーではありませんから)写真を撮る機会がなかなか得られませんでした。
数少ないですが紹介します。
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センタ近くの道路に咲く花
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ホテル内山田近くに咲く
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ホテル内山田近くに咲く
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アスンシオン大学構内
 
*** ADSL
2回目勉強会開催***
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月7日(木)に第二回目のADSL勉強会開催されました。私が作成した資料を同僚のIng.Venitez氏が説明し、私が補足説明をするという方法で行いました。テーマは日本のサービスの現状として、フレッツADSL、フレッツISDNBフレッツ、ATMサービスについてです。フレッツADSLは各サービス品目と月額料金、アクセス回線構成、ケーブル心線径別損失値やベストエフォートサービスということを強調したものにして、交換局からの損失測定、距離算定サービスをホームページでお客様に提供していること、そこでお客様自身がグラフ等であらかじめ伝送スピードを凡そ知ることができること、ATMはサービス品質保障(SLA)が明示され実行されていること(り障時間帯に応じた月額料金返還、約束した開通日遅れによる料金返還など)専用線は完全に帯域保証していることなどを記述しました。パラグアイのキャリア(Copaco社)は今月からADSLサービス提供開始し(品目:64k、128k、256k、512k、1024kbps)、Hogar(住宅用)で$3464k)~$105512k)の料金で他にComercial(業務用)とCyberという利用者別料金があります。今回VPNサービスも開始されPARAWAYNET(パラグアイをもじりネーミングしたそうです)といい、これらは96日付けabc新聞に報道されています。1120日~24日にはOEAの企画によるADSLセミナが当センタで開催予定です。このための準備も今後必要です。夕方6:00になりベニテス氏の車で内山田ホテルまで送って頂きました。(20km)彼はCisco資格技術者育成に熱心です。昨年沖縄の研修センタで3ケ月の研修を受け、その折東京でも一週間位新宿近辺を見たそうですが、このような体験が彼を動機つけているのではと、彼の日常を通して感じます。2番目の子供さん(女児)が先週828日月曜日頃誕生したことを知らされたので、お祝いの品を贈ろうと思っています。そんな真面目な彼がカウンタパートの仲間から外されてしまいました。でも今までと同じように一緒に仕事をしてゆきます。

以上文書紹介のみでした。

*** 内山歯科***
内山歯科の写真です。前回は内部の写真でしたが今回は建物外観です。

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医院の看板
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建物外観です。1階は研究室のようです。
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二階の待合室です。各科共通の待合室になっています。

寝込むセニョール

セニョールはとうとう風邪で寝こんでいました。過去5年位のスパンでは今回重症でした。
手短に書きますと、先週コンセプシオンに行ってきて、月曜日、火曜日は最低気温が7くらいに下がり、木曜日の最高気温は30℃を越えました。でも金曜日、土曜日、と再び下がり今朝日曜日は最低気温が再び7℃です。このように気温が乱高下するなか、先週月曜日から旅の疲れとADSLの資料を寒い部屋で遅くまで頑張って作成した影響で、日ごとに体調がおもわしくなくなり、ついに木曜日(31日)の午後から日曜日朝までベットの人になってしまいました。風邪だけはと十分注意していたつもりですが、近年めっきり減った頭髪の影響で冷風に対するディフェンスが甘くなり、大陸を渡る冷たい風に頭が直撃されてしまいました。今回の風邪で反省すべきことは
○ 
気温が10℃より下がったら毛糸の帽子着用。
○ 
早めの入浴、早めの就寝・・湯冷めさせない。
○ 
食事では生野菜を食べる。
当たり前のことしかありません。だだ毛糸の帽子は驚くかも知れませんが、学生でも被っていますから特に奇異なことでもありません。日曜日の今の状況は熱は平熱、関節は痛まず、喉の痛みも消えました。いろいろなことを考える余裕も出てきましたが、唯一頭が(右側、耳の上あたり)痛みます。この痛みがなかなか消えないので辛いです。木曜日午後から夜間にかけ体温38℃、金曜日午前体温37.5℃、正午頃健康管理員さんに電話で相談し、ルル3錠(一時帰国した方にお願いして入手)、バッファリンAを服用し就寝(発汗多量)、夜中に幾度か着替えたため、着替えるものが無くなるくらいになりました。でも今こうしてメールを書く気持ちになる程回復してきましたが油断は禁物。ホテル従業員の皆さんも身体に優しい飲み物(しょうが、はちみつ れもん)などを紹介して下さいました。今回は職場の皆さんもダメージを受けた方がおられました。この間に諏訪新作花火大会や佐渡トライアスロンのニュースをNHK-BSで見ました。

*** 寝込むセニョール***
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コンセプシオン その1 Concepción 1

コンセプシオンに行ってきました。(Concepcion
Asuncion
からの距離:417km
バス会社: NASANUEVA ASUNCION S.A
往路(26日): 7:30 Asuncion  11:30 Pozo Colorad    13:30 Concepcion
復路(27日):    7:15Concepcion発⇒着9:25 Pozo Colorad  9:30  ⇒着  13:00  Asuncion
コンセプシオンターミナルから客が多く、町を出るまでに座れない客がいる程混雑し、私は敢えてタクシーでターミナルまで来て良かった。(切符は昨日購入しておいたが、町の中のバス停で乗ろうか迷った挙句)Concepcion は比較的大きな町で15区画(1区画100m)四方位の規模だと思いますが、道路の舗装率は低かったです。メインストリートはアスファルト舗装でしたが商業区域の道路はコンクリートブロック(多角形)を敷き詰めたものでそれ以外の住宅地は舗装されていませんでした。道路幅はビジャリカなどと比べると広くゆったりしていました。また町の辺を流れるパラグアイ川には3年程前に堤防が築かれ堤内地の水をパラグアイ川に汲み出す大規模な揚水設備が2ケ所設けられていましたから、パラグアイ川と町の一部地区の地盤高はあまり差がないようです。物流ですが現在はパラグアイ川を跨ぐNANAWA橋が利用できるようになったため、チャコ地方を経由(9号線)した陸送が主流となり、船による輸送はかなり減少した模様です。前回のときにはアスンシオンでも船が頻繁に行き来する光景が見えましたが、道路の開通に伴い陸路に切り替わっているようです。 今回は職場の同僚ベロンさんがコンセプシオンに私が行くことを聞き付けて「一人でバスで行ったのでは何も見ることが出来ないではないか、知り合いはいるのかい」というやり取りの結果、あちらの電話会社の知り合い(支店長さん)に電話してくださり、私が着くと午後の当直者が高級車(中国製バイク)で私の行きたいところ(事前にメモしておきました)と彼が案内したいところを勘案して職場を抜けだし案内して下さいました。このため故障班やお客様に迷惑をかけたようです。「これ以上迷惑をお掛けできないので歩いてホテルニ行きます。」と伝えてもこんどは相手の方が「ハイソウデスカ」ということにもならず「ホテルまで送るから待ってくれ」といわれ結局この方(Ignacio)と故障対応のためにお客様宅まで行き、FAXとカードリーダ端末を預かり彼の自宅まで運び、その後ホテルまで送って頂きました。 このようにお客様を待たせてしまい申し訳ない気持ちになりましたが、他にもう一人MDF室で待機していた方は「気にしないでよろしい、私も技術者なのだから」と言ってくださいました。 このようなこともあろうと、土産に日本で売っているのと同じ菓子パンをアスンシオンで買って持って行きましたし、空寸前の燃料タンクをガソリンで一杯にしてお礼をしました。この方(Ignacio Lopez氏)に尋ねたところ、コンセプシオンの人口は6万~7万人で、電話加入数は約3千加入、電話会社の社員数は交代勤務者を含め25名規模だそうです。無線のアンテナの高さは108m位。アスンシオンと結ぶ中継回線は全て無線回線です。途中いくつもの町を経由してきています。またここからホルケッタという町を経由して東のペドロ ファン カバジェロまで無線回線が延びており、またここから20km北の無線基地局までは光ファイバ線路があり、北方の町Loreto(ローレット)への無線回線を提供しているそうです。このようにコンセプシオンは交通も通信も、パラグアイ川の船の水運も北部の要衝のようです。今回は途中CHACO地方に入りこみまました。CHACO地方の概要を説明します。パラグアイ国は中央を南北に貫流するパラグアイ川の東西で、地勢、植生が大きく異なる気候や植生から国を西部と東部の二つに分けることができます。
【東部】
パラグアイ川とパラナ川に挟まれた東部パラグアイは、国土の約39%を占めますが人口は97%がこの東部に住んでいるのです。ブラジルとの国境に近い地方の土壌は、パラナ州から続くテラ・ロッシャで、肥沃で農業に適しているのです。
【西部 チャコと呼ばれています】
国土の61%を占めていますが、人口はたったの3%を占めるだけで、面積は東部の倍ありながらこの人口比率です。このことは今回の写真からもわかります。パラグアイ川とピルコマージョ川に挟まれた西部パラグアイは、東部と対照的に平坦で、ボリビア南東部からアルゼンチン北部にかけて広がる、いわゆるグラン・チャコの主要部分を占めています。穏やかな傾斜の潅木の多い大平原で、河川流域では低湿地帯となっているのです。このため人間が住み難い環境ともいえます。その分、動植物の宝庫かも知れません。

写真を紹介します。
 *** ASUNCION
POZO COLORADO間のバスの車窓 ***

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*** POZO
 COLORADO *** 
地図を見ると町のような記号ですが町の様相を呈していません。単にルータの分岐点で軍隊が駐屯していました。牛を市場に運ぶ為のトラックがいくつも駐車していました。 
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牛を運ぶトレーラーです。かわいい目をした牛達が「何も知らされず、何かビックリしたような、人生で初めての体験をしている驚きの目、どこにゆくんだろう…」みたいな、何かを訴えるような、何とも言えない大きく見開いた、澄んだ目で荷台の中からこちらを見ていたのが忘れられません。 
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コンセプシオン その2

*** POZO COLORADO CONCEPCION間のバスの車窓 ***
何とも手のつけようがないようないばらの木が茂っていて、これらを毎年切り倒すのも大変なのでしょうか。一気に火をつけて燃やすということになるようです。あるところでは焼け焦げた臭いがバスの車内にまで立ちこめました。野焼きも日本とは規模が違い過ぎます。この野焼きが新たな牧草を育むようです。CHACO地方はまた椰子の木が密林のように茂っていたのが印象的でした。ルータの途中に点在していた家はヤシの丸太で作られ、電気・電話はまだきていないようでした。
  
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手前が焼け野原 
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 これでもヤシの木は枯れないのでしょうか 
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 一面焼け野原(牧場の柵が見えます) 
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 地平線まで何kmあるのでしょうか、新しい牧草がこの後芽生えるのです 
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牧場の柵までは緑です、新しい牧草を育む
野焼き
 
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 ヤシの丸太で作った家です。電気も来ていないようです 
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 左にチパを焼く釜がみえます チャコ地方はルータ沿いに丸太の家が多く見れます 
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 バスを降りて自宅に向う人 家は道路敷き内にあることが多いです 
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 牧場の入り口でしょうか 
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 牛をトラックに積むときに使う柵です 
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 舗装が随所で傷んでいました。通過重量の割りに路床が弱いようです 
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 ヤシの木は枯れるのでしょうか・・耐えて生きているかも 
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 毎年焼くなら、生きているのかも 
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この辺りで車内に焦げたにおいが立ち込めました 
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コンセプシオン その3

*** PARAGUAY川に架る「NANAWA橋」***
この橋の完成とともにアスンシオンとの輸送は陸送に取って替わっているようです。

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本流(下流方向)
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本流と中州
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バス後方
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パラグアイ川本流、下っていくとアスンシオン、さらに下るとブエノスアイレスに
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停泊中の船(平たい型)、これらの船が海まで物資を運びます 
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カミヨンと呼ばれる大きなトラックの列(港に運んできていました。)

コンセプシオン その4

*** 電話会社 COPACOCONCEPCION支店内***
 
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MDF

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ケーブル成端(3条)加入数約3千
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支店の外観
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アンテナ
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夜間10:00までお客様に電話の利用サービスを提供しています。携帯電話会社のショップ(3社のみ)は町の至る所にありますが、COPACOの固定電話設備拡充は遅れているようで、電話のない人がここで利用します。(国際・国内)支払い収納は社員が対応していました。当直の方に、貴方がパンを持ってきてくれたかたですか?なぜIgnacio Lopez(案内してくれた方)さんを知っているのですか?と質問を受けました。

コンセプシオン その5

*** HOTEL VICTORIA ***
建物が美しく凝った建築様式でした。料金は朝食代も含んだ設定になっていて、部屋にはテレビ(CATV)もありベットも今までのものから比べると綺麗でした。部屋の大きさやシャワーなどは今まで訪れたホテルと変りありませんが、フロントの場所はきちんとしていて、北部地方の主要なホテルの感じがしました。バスターミナルからは1.5km位あります。

 

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二階道路側ベランダから
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ベランダから奥の建物を
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食堂
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食堂
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道路から全景
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ホテル前の道路
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ベッド
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トイレ・シャワー室

コンセプシオン その6(最後)

*** 町中の景色***
 
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Catedral
 
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Catedral…
・バイクの3人乗りは禁止なんてことになったら家族とエンジョイした生活などできません。
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Municipalidad
 
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Municipalidad
 ライトアップ
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Teatro
 Municipal
 
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Centro
 Desarrollo Municopal
 
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Colegio
 San Jose Saleciano
 
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Virgin
 Maria & Colegio San Jose Saleciano
 
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Virgin
 Maria
 
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PLAZA
 Liberta…・低い植木がしっかりガードされています。馬が来て食べてしまう為です。
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Hamburguesa
の屋台・・美味しかったです。(マクドナルド店舗はアスンシオンにはありますけど・・)ここで買って食べましたが美味しかったです。その秘密はしばらくここで椅子を借りて座っていて判りました。おばさんはこの時ハンバーグを包むためのビニル袋をケチャップの容器に被せるようにして何枚も何枚も準備していました。私が食べ終わって写真を撮っていいですかと尋ねたとき、おばさんは「待って」といって卵を幾つか鉄板に割って焼き始めました。仕事もしていない状況ではと配慮してくださったのです。(これがプロでした)幾つ売れるんです「100」個位ですかと尋ねましたらおばさんは自信ありげな声で「そこの卵の容器を見てご覧、既に120個売っているんだよ」なるほど客が来だすと次から次ときます。私がいる間もかなり来ました。マユネーズ、ケチャップ、トマト、タマネギ、野菜、肉(きちんと下ごしらえしてある)パン(鉄板で少し温める)の調理手順や動きを見てもプロの動きと関心しました。客が続くので私も袋を広げる仕事を暫く手伝いました。そうこうしていると、ワゴン車の男性が買って車に戻ったのにまたこちらに来て私に声を掛け、日本人かというのでそうだと答えると車の方に導くのです。車の中には青年協力隊の方が乗っていたのです。男性の奥さんも一緒で、この家族のお宅に世話になっているのだそうです。こちらには3名配属されていることは知ってはいましたが、まさか屋台で会うなんて隊員の方もビックリされたことでしょう。結局私がいる間に50個以上は売れたでしょう。12年間ここで雨の日も休まず売っているそうです。(ここがプロです・寒いときもあるのに)しかも隣には娘さん達が同じような店を開いていました。ここでこのような売上高を屋台が稼ぎ出すとはビックリしました。(下ごしらえをしたり、材料をケチっていないこと、温かいことなど手抜きをしてないことをお客さんも知っていて、おばさんたちもそれに答えていると思いました)
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機会のある方は是非ここで食べてみてください。
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ホテル前のレストランで(魚のミラネサ(ナマズのフライ)、サラダ、パン、マンジョウカ)
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市場
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町の中の道路
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町の中の道路
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道路で草を食む馬たち

*** バスターミナル***
 
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手前の車・・これでも走ります。

*** Consepcionの港(旧港)***
現在は別の場所に移転したそうです。

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写真の奥のほうに先ほど渡ってきた大きな橋がかすかに見えます。
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歓迎 コンセプシオンと書かれています。