コンセプシオン その1 Concepción 1

コンセプシオンに行ってきました。(Concepcion
Asuncion
からの距離:417km
バス会社: NASANUEVA ASUNCION S.A
往路(26日): 7:30 Asuncion  11:30 Pozo Colorad    13:30 Concepcion
復路(27日):    7:15Concepcion発⇒着9:25 Pozo Colorad  9:30  ⇒着  13:00  Asuncion
コンセプシオンターミナルから客が多く、町を出るまでに座れない客がいる程混雑し、私は敢えてタクシーでターミナルまで来て良かった。(切符は昨日購入しておいたが、町の中のバス停で乗ろうか迷った挙句)Concepcion は比較的大きな町で15区画(1区画100m)四方位の規模だと思いますが、道路の舗装率は低かったです。メインストリートはアスファルト舗装でしたが商業区域の道路はコンクリートブロック(多角形)を敷き詰めたものでそれ以外の住宅地は舗装されていませんでした。道路幅はビジャリカなどと比べると広くゆったりしていました。また町の辺を流れるパラグアイ川には3年程前に堤防が築かれ堤内地の水をパラグアイ川に汲み出す大規模な揚水設備が2ケ所設けられていましたから、パラグアイ川と町の一部地区の地盤高はあまり差がないようです。物流ですが現在はパラグアイ川を跨ぐNANAWA橋が利用できるようになったため、チャコ地方を経由(9号線)した陸送が主流となり、船による輸送はかなり減少した模様です。前回のときにはアスンシオンでも船が頻繁に行き来する光景が見えましたが、道路の開通に伴い陸路に切り替わっているようです。 今回は職場の同僚ベロンさんがコンセプシオンに私が行くことを聞き付けて「一人でバスで行ったのでは何も見ることが出来ないではないか、知り合いはいるのかい」というやり取りの結果、あちらの電話会社の知り合い(支店長さん)に電話してくださり、私が着くと午後の当直者が高級車(中国製バイク)で私の行きたいところ(事前にメモしておきました)と彼が案内したいところを勘案して職場を抜けだし案内して下さいました。このため故障班やお客様に迷惑をかけたようです。「これ以上迷惑をお掛けできないので歩いてホテルニ行きます。」と伝えてもこんどは相手の方が「ハイソウデスカ」ということにもならず「ホテルまで送るから待ってくれ」といわれ結局この方(Ignacio)と故障対応のためにお客様宅まで行き、FAXとカードリーダ端末を預かり彼の自宅まで運び、その後ホテルまで送って頂きました。 このようにお客様を待たせてしまい申し訳ない気持ちになりましたが、他にもう一人MDF室で待機していた方は「気にしないでよろしい、私も技術者なのだから」と言ってくださいました。 このようなこともあろうと、土産に日本で売っているのと同じ菓子パンをアスンシオンで買って持って行きましたし、空寸前の燃料タンクをガソリンで一杯にしてお礼をしました。この方(Ignacio Lopez氏)に尋ねたところ、コンセプシオンの人口は6万~7万人で、電話加入数は約3千加入、電話会社の社員数は交代勤務者を含め25名規模だそうです。無線のアンテナの高さは108m位。アスンシオンと結ぶ中継回線は全て無線回線です。途中いくつもの町を経由してきています。またここからホルケッタという町を経由して東のペドロ ファン カバジェロまで無線回線が延びており、またここから20km北の無線基地局までは光ファイバ線路があり、北方の町Loreto(ローレット)への無線回線を提供しているそうです。このようにコンセプシオンは交通も通信も、パラグアイ川の船の水運も北部の要衝のようです。今回は途中CHACO地方に入りこみまました。CHACO地方の概要を説明します。パラグアイ国は中央を南北に貫流するパラグアイ川の東西で、地勢、植生が大きく異なる気候や植生から国を西部と東部の二つに分けることができます。
【東部】
パラグアイ川とパラナ川に挟まれた東部パラグアイは、国土の約39%を占めますが人口は97%がこの東部に住んでいるのです。ブラジルとの国境に近い地方の土壌は、パラナ州から続くテラ・ロッシャで、肥沃で農業に適しているのです。
【西部 チャコと呼ばれています】
国土の61%を占めていますが、人口はたったの3%を占めるだけで、面積は東部の倍ありながらこの人口比率です。このことは今回の写真からもわかります。パラグアイ川とピルコマージョ川に挟まれた西部パラグアイは、東部と対照的に平坦で、ボリビア南東部からアルゼンチン北部にかけて広がる、いわゆるグラン・チャコの主要部分を占めています。穏やかな傾斜の潅木の多い大平原で、河川流域では低湿地帯となっているのです。このため人間が住み難い環境ともいえます。その分、動植物の宝庫かも知れません。

写真を紹介します。
 *** ASUNCION
POZO COLORADO間のバスの車窓 ***

  Dscn1920.jpg
 Dscn1921.jpg 
*** POZO
 COLORADO *** 
地図を見ると町のような記号ですが町の様相を呈していません。単にルータの分岐点で軍隊が駐屯していました。牛を市場に運ぶ為のトラックがいくつも駐車していました。 
  Dscn1926.jpg 
牛を運ぶトレーラーです。かわいい目をした牛達が「何も知らされず、何かビックリしたような、人生で初めての体験をしている驚きの目、どこにゆくんだろう…」みたいな、何かを訴えるような、何とも言えない大きく見開いた、澄んだ目で荷台の中からこちらを見ていたのが忘れられません。 
 Dscn1925_1.jpg

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