Itá(イタ)の紹介

Itá(イタ)の紹介 (アスンシオンからルータ1号で37km) 2006.11.25 (土)

Ypanéからその先にある Itá にも行ってきました。イタにどうやって行くかYpanéの警察署で尋ね、54番のバスに乗るよう教えてもらいました。署の反対側にあるバス停で待っていると、教えてくれた警察官が飛び出してきて、「これに乗るんだよ」と指差して教えてくださいました。ルータ1号に出たら乗り換えが必要でした。バスに乗ってから乗客のおばさんにどこがルータ1号なのか尋ねていると、おばさんは運転手と何やら話をして降りて行ってしまいました。運転手にその旨をお願いしていただいたようで、運転手から下車位置を知らせてもらいました。ルータ1号を走るItá行きのバスを道端で待ち、イタのバスターミナルに着くと運転手からここがイタで教会はすぐそこにあるからと教えられバスを降りました。なんという汚れた市場なんだろう。イタの表玄関のバスターミナル周辺は古いゴミゴミした市場が連なり、隣接したこのターミナルも汚れていて驚きました。イタの未来は先ずこの付近を綺麗にしないと始まらないと強く思いました。(写真を撮るのも何か後ろめたくて市場やターミナル周辺は撮りませんでした)

Ypané発 10:55⇒Itá着 11:15分 

帰途 Itá発 13:30アスンシオン 14:45

****** Itá ******



DSCN3177_1.jpg

教会(正面)

DSCN3180.jpg

植木鉢や植木を上手く使って庭を飾っています。植木鉢を地面に置いて飾ることが多いです。(日本だと蚊の発生の源になって大変です・・・・ここでも同じだと思います)

DSCN3182.jpg

教会入り口の植木鉢

DSCN3183.jpg

村内の通り(石畳)

DSCN3188.jpg

公園内のサッカーグランド(規模はやや小さめ)。このようなグランドはどの村にいってもあります。

DSCN3189.jpg

新築のMunicipalidad de Itá

DSCN3191.jpg

ターミナル近くの道路(左側は間口の小さな店が連なっています)

DSCN3193.jpg

 バイク販売店はどこに行っても景気が良いのか建物が新しく目を引きます。並んでいるのは「TAIGA」:店の方に尋ねたら中国製だそうです。かなりの勢いで入ってきているようです。SUZUKIHONDAも目にしますが非常に少ないと思います。価格が安い方がいいんです。

**** Almuerzo ****

食堂は日曜日の為か営業しているところが少なく、(背に腹は替えられなくて)ターミナル向いの店で食べました。

DSCN3195.jpg

マンジョウカとタジャリン(肉なし)です。隣の青年は大きな肉をお代わりしていました。トマトもレタスもないというのでこれだけです。 おばさんは満足かと聞いてくれました。

技術習得

セミナ実施 

*********

開講式で挨拶するルイス氏



DSCN3028.jpg

DSCN3031.jpg

研修生の皆さん

DSCN3035.jpg

研修生と関係者(コスタリカ、ドミニカ、エクアドル、ホンジュラス、ウルグアイからも参加)JulioSan Jose,Costa Rica) 前列左から2番目。Diego Andres(Quito,Ecuador)前列右。Jose Antonio(Tegucigaipa,Honduras)後列左から5番目。Nancy Karina(Montevideo,Uruguay)前列左から3番目。Jose Raul(Sto Domingo,Rep.Dominicana) 後列左から4番目。

DSCN3037.jpg

講義

DSCN3038.jpg

Carlos Magriniの講義

DSCN3053.jpg

私の講義

DSCN3057.jpg

DSCN3100_1.jpg

Cesar Fernandezの講義

鳩避け対策工事(最終区間)

鳩(Paloma)避け対策工事は最後の8枚に着手

11月末までに完了させることで進めています。まず鳩のフンを片付ける作業が行われました。

************



DSCN2828.jpg

ここまでは(主塔を正面にして建物左側・・・交換機室の屋根上まで)完成。残る部分は、かって交換と伝送無線が使っていた事務室の屋根部分のみとなり、この区間に着手しました。写真は金網が付いた為屋根裏に入ることができない鳩です。

DSCN2830.jpg

最後の区間の屋根裏から搬出される鳩のフン。二階部分が交換担当の部屋でした。

DSCN2849.jpg

一輪車で何回も運搬。(バリオさん)

DSCN2850.jpg

グランド近くの木の根元に捨てられた状況。先の木の根元にも、他所の木の根元にも。金網8箇所分(建物表側4個所、裏側4箇所) チリも積もれば山です。これから先も金網もなくこのままですと建物やその周辺が鳩のフンや抜けた羽根で相当汚染されてしまいます。(2000年以降に鳩が住み着いたと思われます。以前は見つけると空気銃で駆除していたのです。 )6年間でこれだけの量が堆積した訳です。

DSCN2840.jpg

Chibatoの花と実(実は秋につけます。大きな豆のような形をしています・・・・風で殆ど落ちるのですがこれはまだ木に残っています・・・・グランド入り口で)

マンゴが豊作です

今年は大豊作です 。1119日 日曜日 マリスカル ロペス通りの様子です。

日本でもよくいわれることですが「今年は当り年で」という言葉がありますがパラグアイの今年のマンゴは当り年のようです。地元の皆さんも昨年よりたくさん実をつけたと話しています。このため木の下にはマンゴが落ちていて処分が大変です。

*****マリスカル ロペス通りの状況*****

DSCN3012.jpg 

PLAZAにも沢山落ちています

DSCN3013.jpg

DSCN3014.jpg

歩道にも

DSCN3020.jpg

宅地にも

DSCN3023.jpg

袋の中はマンゴが詰められています

DSCN3025.jpg

車の駐車も気をつけないと 汚れます

DSCN3026.jpg

芝の上にも

DSCN3027.jpg

バス停付近にもたくさんのマンゴが落ちていました。

国境の場所FALCON

アルゼンチン国との国境の場所FALCONに行ってみました。(2006.11.19 日曜日)

1119日(日)

昨夜から低気圧が南極方面から張りだし気温は19℃と低く、一枚上に着ました。バスターミナルに行くと今日は日曜日なのでここからは発着してないので、外の道路で待てと教えられ、外に出ました。聞き間違いがなければ30分毎に来ると聞いたような気がしますが、1時間毎の間違いかもしれません。厚い低い雲に覆われ風もある天気なので風を避けるような場所で待つこと30分、マイクロバスが来ないので傍の露店のおじさんに聞いたら、あそこの角から出てきて向こうに行くからそこではなくて、あちらで待ちなさいと教えられ、時間の無駄をしたと思いました。場所を替えて待つこと更に30分。やっと角からマイクロバスが曲がってきました。私と同じように次から次に来るバスに乗ろうとしない人達がやはりこのマイクロバスに乗り込みました。パラグアイ川を跨ぐ大きな橋「レマンソ」を越え、大きなロータリーを左に曲がり、牧場地帯を進みました。家屋が点在し、羊や馬や牛が見えました。2箇所くらい湿地帯も見えました。1130分に発って1240FALCONに着きました。帰りは1430分に出てマリスカルロペス交差点に1530分頃に下車しました。帰りのバスは「レマンソ」橋を渡る手前で警察による乗客全員のチェックが行われました。パラグアイ人は身分証明書、外国人はパスポートの提示を求められました。私は以前一度だけ身分証明書を不携帯し、警察官に15分程足止めされました。最後は財布にしまった内山田ホテルの電子錠(住所・電話番号記載あり)を見せ許してもらいましたが、こちらでは不携帯だと間違いなく警察署に連れて行かれます。(時々TVニュースで報じてます)

国境にあるFALCONは村とも言えません。出入国手続きを行う為の場所と表現したほうが間違いがありません。ですからここには教会もありませんでした。



DSCN3011.jpg
アスンシオンファルコン間を走るマイクロバス(補助椅子を使って18名位の乗車人数)

DSCN2998.jpg
FALCON
の税関建物

DSCN2999.jpg
先に見えるのがアルゼンチンとの国境の橋

DSCN3000.jpg

アルゼンチン・パラグアイ両国を分ける川

DSCN3004.jpg
国境の川(Rio Pilcomayo):この川は上流に遡ると水のない川となり更に上流では水があります。水のないところは地図には EX Rio Pilcomayo(estacional:季節に特有の)と書かれています。伏流水となっているのでしょうか。この川はボリビアが源です。地図でイメージする川幅よりも実際は狭かったです。

DSCN3001.jpg
国境に掛る橋

DSCN3002.jpg
アルゼンチン国の入国審査:建物手前で呼びとめられ、「ただ見てまわっているだけです」「入国せずひき返します」と説明したら OK と了解していただきました。

DSCN3003.jpg

DSCN3005.jpg
大きな荷物を自転車で運ぶ人達

DSCN3006.jpg
トラックの列

DSCN3007.jpg
パラグアイ国の審査:手続きを待つ車列の中に、日本から運ばれてきた中古トラックがありました。漢字で書かれた社名がまだ残っていました。このように漢字が残っているトラックを目にすることが稀にあります。チリ国北部の町、イキケに陸揚げされ、ハンドルを右から左に付替えた後、遥か遠くのパラグアイ国に陸送されてきます。

DSCN3008.jpg
荷物を満載した大きなトラック

DSCN3009.jpg
パラグアイ側の様子:この道を進むとアスンシオンやチャコ地方へ


DSCN3010.jpg
アルゼンチンに向うバス:陸路を16時間くらいかかってブエノスアイレスに着きます。アスンシオンを午後1時半に発つと翌日の朝730分にはブエノスに着きます。飛行機よりはるかに安いので(4千円位)多くの人が陸路を使います。また利用者も多いので便数も多いと思います。幾つもの会社があり15分おき位に長距離バスがアルゼンチン方面に去って行きました。

FALCONにはレストランなどありません。食堂もハエが飛び薄汚れたところでした。マクロバスがFALCONに着くまで入り口のドアは開いたままでしたから風で身体も冷えてしまいまい、暖かいものが食べたかったんです。食堂のセニョーラに何があるか尋ねました。鶏肉を煮たもの、パン、ご飯、野菜はキャベツとタマネギはある。トマト、レタスはない。コヒーも紅茶もない。ということでしかたなくご飯を温め皿に盛ってもらい、キャベツを刻んだものだけの昼食となりました。このため写真もありません。

Pilibebuyその1

Pilibebuyに行ってきました。(2006.11.12 日曜日) 


Pilibebuy
は教会の建物に特徴あると聞き行ってきました。最近では珍しくルータ2号から右手に折れて進みました。Pilibebuyも丘陵地帯の高台にあり途中見晴らしの良い場所がありましたがバスの中でしたから写真は撮れませんでした。ちょうど村内をバスが半周した頃教会が目に入ってきたので運転手と助手に「ここが教会ですか」と尋ねると「そうだ」と答えが返ってきました。「ここで降ります」と申し出てバスを停めてもらいました。バスが村内を走るときはゆっくりした速度なのであり難いです。朝アスンシオンを900分に発って、着いたのが1120分ですから2時間ちょっとかかりました。(アスンシオンから73km)帰りも1330分に出て1530分にターミナルに着きました。バスは往復とも混雑はしませんでした。帰りのバスの運転手、助手はたまたま来た時と同じ人達で、「あんたもまた一緒かい」みたいな視線と笑顔を二人から受けました。

Pilibebuy  Pilibebuy Pilibebuy その1



DSCN2945.jpg
教会のあるPLAZA

DSCN2946.jpg
教会 :古い建物でした。Atyraの教会もそうでしたが塔に特徴がありました。建物正面からは大木やその枝が邪魔をしていて写真にうまく収めることができませんでした。これが精一杯のアングルです。

DSCN2950_1.jpg
教会:側面から見たところ・・・ここから見ても木が多くてこれが精一杯でした。右端はChibatoの花が咲いています。この木の枝振り(広がり)を見て下さい。木蔭をうまく造ってくれるということが真中の木と比較していただきますとおわかり頂けると思います。

DSCN2953.jpg
教会:裏手右方向から

DSCN2954.jpg
教会:裏手左方向から

DSCN2949.jpg
アイスクリームを売る:Sr.Marcos Luizさん・・・・・今は仕事をリタイヤしてこの村でアイスクリームを売っています。かってはシウダデル エステの近くで日本から派遣されて来た技術者と一緒に働いた経験があるそうです。Sr.ISHII(イシイ)Sr.OHAMA(オオハマ)さんとYOPOIRA LIMITABA de la Cooperativa で働いたと懐かしそうに話され、日本語もいくつか思い出しておられました。(木蔭のため画面が暗くなってしまいました。)

DSCN2955.jpg
Pilibebuy
行きのバス :左が教会のあるPLAZAです。歩道でスイカも売られていました。また19日(日)国中で統一地方選挙(市長、村長)がおこなわれることもあって選挙応援活動が左手交差点付近で行われ、鳴り物もありにぎやかでした。

DSCN2956.jpg
博物館に掲示されていた年譜。「三国同盟との戦争:Pilibebuyの戦い」と書かれています。三国同盟はブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの三国。年譜から1869年にこの地で戦いがあり翌年終戦を迎えています。別の文献によるとウルグアイの内紛に端を発した三国同盟を相手とする戦争に突入してパラグアイは破れ、領土は半減し、国民は130万人から30万人へ激減するという痛手を受けた。としるされ、あのイグアスの滝も失ったのです。


Museo
(博物館):おじさんから「入場料は要らないけど、このノートに住所、日付、名前を書いて下さい」と頼まれました。

DSCN2957.jpg
おじさん:仕事は既にリタイヤしボランティア活動されているようです。博物館は気候の良い時期だけ開館。(冬期閉館)非常に小さな博物館なのにアメリカ、フランス、韓国、ブラジル、アルゼンチンなどの国名を訪問者サイン帖からおじさんが読み上げました。ということで私もJAPONと書きました。道向いが村役場の為まとめて訪問者リストをパソコンに入力して保存しているそうです。

DSCN2958.jpg

カルロス アントニオ ロペスか息子のフランシスコ ソラーノ ロペス 何れかの肖像画だったと思います。(戦争当時の大統領)

DSCN2960.jpg

Museo 建物 (歩道に古めかしい大砲が置かれています)

DSCN2961.jpg
Municipalidad
 de Pilibebuy (村役場):博物館とは道路を挟んでいます。

DSCN2965.jpg
バスターミナル(正面):右端の部屋には人がいて飲み物などを売っていました。

DSCN2966_1.jpg
バスターミナル(側面):村の奥まった位置にありました。眺めの良いところです。

DSCN2964.jpg
ターミナル横の広場からの眺め:遠くまで望むことができました。

Pilibebuyその2

Pilibebuy  Pilibebuy Pilibebuy その2



DSCN2968.jpg
校舎と校庭

DSCN2971.jpg
村内を走るバス


<
村内の道路>

DSCN2962.jpg

石畳の道路です。中央に木が植えられていてどこに行っても道路造りの基本(車道と歩道のスペース確保)が押さえられています。

DSCN2963.jpg

中央にも両側の歩道にも木が植えられ木蔭があります。

DSCN2972.jpg

村内のある交差点:村に信号機はありません。道路に覆いかぶさる様に木蔭ができています。これが大切なんです。車を駐車する場合も必ず木蔭のあるところに駐車します。
DSCN2973.jpg

これは村の入り口付近。この道路を先に進むとルート2号。

DSCN2975.jpg
この道を進むと最初のPLAZAがあり更に進むと教会のあるPLAZAに。

DSCN2970.jpg
大きな木のあるPLAZA: ここのベンチに腰掛け昼食を食べました。 私の他に孫を連れた老夫婦とそのお母さんがブランコ遊びやかくれんぼをして遊んでいました。兎に角暑い国ですので木蔭がどこでも必要です。

DSCN2969.jpg
食堂がどこにあるかわからず、パン屋さんがこのPLAZA前にあったので飛びこみました。既に閉店準備をしていましたのでラッキーでした。写真のサラダはジャガイモとタマネギです。パンはクロワッサンとクリームパンです。椅子の上に置いて撮りましたが木蔭のため光が不足し、また足元の木の枝などが写って見難いものになりました。

<ルータ2号のフルーツ売り>

DSCN2977.jpg

5060m間隔位でこのように箱に詰めた大きなマンゴがこのあたりで売られています。(ルート2号にて)反対車線の側にも同じくあります。(バスの窓から)

DSCN2978.jpg
このあたりは通年何かしらフルーツを売っています。理由は付近に生産地があること、道路両側の大きな木が常に木蔭を作ってくれるので店番がやり易いのでしょう。右手木蔭に数人腰掛けています。

DSCN2979.jpg

かなり先まで置かれているのがわかります。今時はマンゴ一色ですが、バナナ、ミカン、オレンジ、パイナップル、メロンなどの時期には色・形が目をひきます。

ATYRA その1

ATYRAに行ってきました。 (2006.11.11 土曜日)


ATYRA
はパラグアイの中でも「美しい村」といわれているそうです。バスターミナルからSanFranciscoAtyra2社(15分毎発車)が乗り入れていますが、SanFrancisco社はカークペ経由なので時間がよけいにかかると聞いていました。このためAtyra社のバスでアスンシオンを840分に発って、着いたのが1040分で2時間かかりました。(アスンシオンから67km)帰りも1520分に出て1715分にターミナルに着きました。往路は客で混雑しお婆さんに一時席を譲ったりしましたが、復路は空いていてルータ2号ではバス待ちの客に端から運転手がクラクションを鳴らし乗車の意志確認をしていました。ATYRAの様子としては、村内の一角に土産屋が軒を連ねていました。店の人に聞いたところ2年前からこのようにしているとのことでしたが客はこの日も少ないと思いました。 村のおばさんと話をしたら日本人はここにはいない、今いるのは韓国の若い女性(27歳)が一人来ていると話していました。(薬学関係の指導・・・・・JICAと同じように韓国にもKOICAという組織があって途上国の援助活動を行っています)


ATYRA
 ATYRA ATYRA ATYRA その1



DSCN2862.jpg
Atyra
社のバス :色彩はそんなに派手ではありませんんでした。

DSCN2856.jpg

教会正面:正面は木が多くて前方からはこれしか撮れませんでした。
DSCN2863.jpg

背後から
DSCN2864.jpg
教会裏手から :塔の形が従来と異なります。建物も古い感じでした。

DSCN2860.jpg
PLAZA
と教会 :緑豊かでとても広かったです。

DSCN2854.jpg

村内の地図:旅行者向け
DSCN2855.jpg
村内の地図(看板):これがあるということは旅行者が来るということなのでしょう。こういう看板も初めて見ました。

DSCN2861.jpg
学校 です

DSCN2897.jpg
校舎と校庭

DSCN2869.jpg

土産屋が軒を連ねる通り

DSCN2870.jpg
土産屋の並んだ通り は奥です

ATYRA その2

ATYRA ATYRA ATYRA ATYRA その2

大きなマンゴがたわわに実った街路樹がありました。



DSCN2885.jpg

1区画マンゴの街路樹でした
DSCN2886.jpg
見事に実をつけ色付いていました。

DSCN2874.jpg
大きなマンゴの街路樹

DSCN2888.jpg

歩道の草刈作業:二人で作業していました
DSCN2889.jpg
草を刈るおじさん達:早朝6時半から作業していたそうです。ボランティアで働いているのかと尋ねると、役場の仕事だそうです。歩道の面積が広いので草刈も大変でしょうが日本よりは雨量が少ないため草の伸び方もさほどではないと思います。草刈り機のメーカーはヨーロッパでした。

DSCN2884.jpg
美味しい草を求めて道路を移動する牛:日除け用の黒い傘に多少驚いていた様子でした。突進されてはと急いで傘を閉じました。

DSCN2891.jpg
牛のためにバスも一時停車して様子を見ています。このようなことがあるので、街路樹を植えたあとはしっかりガードしておかないと馬や牛にすっかり食べられてしまうのです。

DSCN2892.jpg

そちらの方に行きたいんだけど・・・写真を撮っている私の様子をうかがっています。

DSCN2893.jpg
草刈のおじさんが急遽牛を誘導しました。車の交通量も多くないし、村内ではスピードを上げて走る車は殆どありませんので重大事故には至りません。碁盤の目のように道路が作られていますから100m毎に交差点があるのです。

DSCN2898.jpg
村のスーパーマーケット:私が村内を見て歩きしていたら時刻は12:00(正午)になりました。一斉にシャッターを閉めてしまいました。

ATYRA その3

ATYRA ATYRA ATYRA ATYRA その3



DSCN2895.jpg
Municipalidad de Atyra
(村役場)

DSCN2877.jpg

村内の道路:一歩奥に入ると舗装も無く、石も敷かれていませんでした。

DSCN2878.jpg
雨で土が流され荒れています

DSCN2879.jpg
村の通り

DSCN2880.jpg
村の通り

DSCN2881.jpg
花咲く家

DSCN2882.jpg
馬を洗うおじさん :両前足はロープで結ばれていました。嫌がって暴れない様にしているようです。

DSCN2944.jpg
新装バスターミナル:建物は建てたばかりで内装や設備はこれからという状況でした。(表道路から)

DSCN2943.jpg
バスターミナル:現在建物内部も工事中で冷蔵庫やコカコーラ販売用の設備を運び込んでいました。

村の中を一通り見てから、地図にあったCHORROと一軒だけあるレストラン・ホテルを見るためにバイクタクシーと交渉しました。何れも凡その距離と値段を予め村人に聞いておきました。