Pilibebuyに行ってきました。(2006.11.12 日曜日)
Pilibebuyは教会の建物に特徴あると聞き行ってきました。最近では珍しくルータ2号から右手に折れて進みました。Pilibebuyも丘陵地帯の高台にあり途中見晴らしの良い場所がありましたがバスの中でしたから写真は撮れませんでした。ちょうど村内をバスが半周した頃教会が目に入ってきたので運転手と助手に「ここが教会ですか」と尋ねると「そうだ」と答えが返ってきました。「ここで降ります」と申し出てバスを停めてもらいました。バスが村内を走るときはゆっくりした速度なのであり難いです。朝アスンシオンを9時00分に発って、着いたのが11時20分ですから2時間ちょっとかかりました。(アスンシオンから73km)帰りも13時30分に出て15時30分にターミナルに着きました。バスは往復とも混雑はしませんでした。帰りのバスの運転手、助手はたまたま来た時と同じ人達で、「あんたもまた一緒かい」みたいな視線と笑顔を二人から受けました。
Pilibebuy Pilibebuy Pilibebuy その1
教会のあるPLAZA
教会 :古い建物でした。Atyraの教会もそうでしたが塔に特徴がありました。建物正面からは大木やその枝が邪魔をしていて写真にうまく収めることができませんでした。これが精一杯のアングルです。
教会:側面から見たところ・・・ここから見ても木が多くてこれが精一杯でした。右端はChibatoの花が咲いています。この木の枝振り(広がり)を見て下さい。木蔭をうまく造ってくれるということが真中の木と比較していただきますとおわかり頂けると思います。
教会:裏手右方向から
教会:裏手左方向から
アイスクリームを売る:Sr.Marcos Luizさん・・・・・今は仕事をリタイヤしてこの村でアイスクリームを売っています。かってはシウダデル エステの近くで日本から派遣されて来た技術者と一緒に働いた経験があるそうです。Sr.ISHII(イシイ)、Sr.OHAMA(オオハマ)さんとYOPOIRA LIMITABA de la Cooperativa で働いたと懐かしそうに話され、日本語もいくつか思い出しておられました。(木蔭のため画面が暗くなってしまいました。)
Pilibebuy行きのバス :左が教会のあるPLAZAです。歩道でスイカも売られていました。また19日(日)国中で統一地方選挙(市長、村長)がおこなわれることもあって選挙応援活動が左手交差点付近で行われ、鳴り物もありにぎやかでした。
博物館に掲示されていた年譜。「三国同盟との戦争:Pilibebuyの戦い」と書かれています。三国同盟はブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの三国。年譜から1869年にこの地で戦いがあり翌年終戦を迎えています。別の文献によるとウルグアイの内紛に端を発した三国同盟を相手とする戦争に突入してパラグアイは破れ、領土は半減し、国民は130万人から30万人へ激減するという痛手を受けた。としるされ、あのイグアスの滝も失ったのです。
Museo(博物館):おじさんから「入場料は要らないけど、このノートに住所、日付、名前を書いて下さい」と頼まれました。
おじさん:仕事は既にリタイヤしボランティア活動されているようです。博物館は気候の良い時期だけ開館。(冬期閉館)非常に小さな博物館なのにアメリカ、フランス、韓国、ブラジル、アルゼンチンなどの国名を訪問者サイン帖からおじさんが読み上げました。ということで私もJAPONと書きました。道向いが村役場の為まとめて訪問者リストをパソコンに入力して保存しているそうです。
カルロス アントニオ ロペスか息子のフランシスコ ソラーノ ロペス 何れかの肖像画だったと思います。(戦争当時の大統領)
Museo 建物 (歩道に古めかしい大砲が置かれています)
Municipalidad de Pilibebuy (村役場):博物館とは道路を挟んでいます。
バスターミナル(正面):右端の部屋には人がいて飲み物などを売っていました。
バスターミナル(側面):村の奥まった位置にありました。眺めの良いところです。
ターミナル横の広場からの眺め:遠くまで望むことができました。