
目に留まった建物

目に留まった建物

目に留まった建物

この町はバイクを利用する人が多いのも特徴でした。バイクで町を颯爽と行き交う人。

バイクで町を行き交う人々

ある通り

街はずれの民家

街はずれの民家

サッカーの練習を終えて家に向かう子供達(11才~13才)

日本で一時期活躍した、プロゴルファー カルロス フランコ氏の所有するゴルフ場(バスの中から)

カルロス フランコ氏の所有するゴルフ場(バスの中から)

時間にまだ余裕があったので、結局帰ることにしました。でも帰りのバスは満員、3時間立ちっぱなしでした。
冬休みを利用しておじいさんとAsuncionに行く子供。満員のバスの中ではこのような子供は必ず立たされますが座りたいと、泣く子供はいません。多分小さい頃から当たり前のこととしてきているからでしょう。でも時にはおじいさんの膝の上に腰かけて、おなかの上にもたれて寝たりします。
女の子はMaria Bettina(7才)、男の子はPedro Adiana(6才)。長時間の移動なので退屈しているところを写真に撮りました。私の横の座席にいたおじさんもここから撮ればいいよ!とアドバイスしてくれました。
木々の紅葉
♪枯 葉 よー♪
パラグアイの木々の紅葉についてどのような変化があるか見ていますが、夜間の冷え込みが日本程厳しくないためか、見事なものは見つけることができません。アスンシオンで唯一紅葉しているな!と思って見るのは「SOMBRILLA:意味は 日がさ」(地元の皆さんはこう呼んでいます)の木です。
写真を撮るなら、太陽の日差しが木の上から差し込んだ時に、下側から撮ると鮮やかな写真になるのですが、この日は条件が悪かったです。

強風で葉が飛ばされてしまい、見事な!という状況ではありません。

SOMBRILLAは街路樹としていたるところに植えられています。花は咲きませんが日陰を作ってくれるので、皆さんに好かれています。

葉は大きいです。日本にある朴の木(ほおのき)の葉を小さくした感じです。

落葉を見て、人々は秋というか冬の到来を感じているかどうかはわかりません。むしろ日が沈むのが早くなったことの方が季節を感じているのかも知れません。
NIHON GAKKO 七夕祭り
7月6日(金)
友人の子供が通ってる学校(フェルナンド デ ラ モラ市にあるNIHON GAKKO)の七夕祭りに誘われました。夜のイベントなので気乗りしませんでしたが、車で迎えに来てくれたので行って祭りの模様を写真に撮ってきましたので紹介します。
バスで帰ってきましたが、夜間は路線バスの番号が遠くから見え難く、手を挙げるタイミングが遅れて、二本逃しました。

道路に掲げられた看板。小学校、中学校課程があるようです。高校はわかりません。

詳しいことはわかりませんが、この学校では日本のよさを取り入れて教育をする方針だそうです。そのため日本語の授業もあるようです。
また、学校には青年海外協力隊員の方が派遣されていて、今日の祭りの司会をされていました。内容は全て日本のものを取り入れたもので、さぞかし準備が大変だったろうと思います。
七夕祭りは9時頃終了しました。

空手の型披露

着物を着てステージを歩きました。

七夕を題材にしたダンス演技

コーラス(日本語で)

コーラス(日本語で)

玉入れ競争(ステージ下で)や綱引きもおこなわれました。
(この空間は屋根があります)

最後は盆踊りで盛り上げて。

ステージの様子

父兄や子供が多数見にきていました。

売店でのりまき寿司、いなり寿司、焼きそば等の日本食も売られていました。(値段は高かったですが、父兄の収入も高いのかも知れません)
セラジャさんセンタを去る
7月3日(火)セラジャさん(69歳)がセンタを去りました。
CITEC-FIUNAで建物等のメンテナンス作業に従事していたセラジャさんは6月中頃に工学部の管理担当部門のピティリさんという方から、雇用契約を今後継続しない旨を伝えられたということで、私達もそのようなことが行われないよう、モレイラ(業務調整CP)さんに申し入れをして、モレイラさんからピティリさんに電話で話をしていただきました。了解されたということで安堵していましたが、契約期間が切れた(4ヶ月毎の契約更新)6月末をもって再契約の書類に学部長のサインがもらえなかったとかで、秘書が先週金曜日センタに来て本人に通知したことを、朝セラジャさん本人から聞かされショックを受けました。沈痛な面持ちで現れて話をされましたが、詳しいこともわからず、非常に残念でした。(業務調整員の方からも話をうかがいました)
昨年は鳩汚染対策の金網取り付け作業を、屋根瓦取替え作業が悪天候で中断する合間をぬって作業していただき、今年は6週間建物のペンキ塗り作業をしていただきました。今年のこの作業がどうもピティリさんが意図していた雇用内容と異なる(屋根補修作業で契約していた)ということで再雇用とならなかったという説明だそうです。雇用のための予算確保がされていない為、という情報もあり本当のところはわかりません。
モレイラさんの話では、管理担当のピティリさんに来てもらって話を聞く場を設けるそうです。
今年二月にセンタ長のルイス氏が承知をしていてくれればということで、3回事前打合せを業務調整員の方と一緒に行い、セラジャさんとともにそれなりの事前対応はしてきましたが、今回はセンタ長がヤシレタダムに出張(秘書の話によると1年)していて不在中の出来事だったのです。
高校生の職業実習
7月2日(月)
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この時期、工業高校3年生は1週間会社に派遣され職業実習をしています。

UPSを組み立てている会社を訪れました。
Electronica Industrial Especializada という会社です。私もOscar Lopez氏とRichard Acosta氏に誘われ同行し約40分位見学させてもらいました。

社長のIng.Osvaldo Nieto氏(左)と学校の先生のOscar Lopez氏とRichard Acosta氏
1992年創立しその後手狭になったので、2000年にこの場所に移転。(創立15年経過)15名の社員が働いているそうです。基本的な仕様は自分達で設計、材料や部品はブラジルから購入し組み立て、試験・検査を行い出荷しているそうです。基本的には受注生産だそうです。

真ん中の女性は設立当初からの社員。右が研修生です。カメラを持っているのはCITECの職員・・・・生徒の実習をビデオに収めています。(別途卒業記念として編集予定)

組み立ては流れ作業でなくて、全ての工程を一人で行っていました。

組み立て作業場の様子

製品:結構大きいな物も作っています。
Arroyos Esteros 2

一歩奥まった通り

PLAZA前の通り

PLAZA SAN FRANCISCO
古い家

バスターミナルと市場の建物

バスターミナルと市場の建物

バスターミナル建物

パパイヤ
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バイクタクシーに乗って郊外の景色を撮りに行きました。

ルータ建設用土砂を採掘したためにできた池だそうです。

Arroyos Esteros郊外のルータ3号

ルータ3号
Arroyos Esteros 3

Rio YHAGUY に掛かる橋

ルータ3号

川:パクなどの魚が釣れるそうです。

牧場

牧場

昨夜7時過ぎ(土曜日)このあたりで車4台が衝突する自動車事故が発生し、一人が亡くなったそうです。原因は道路法面の野焼きで煙が車道を覆い、見通しが悪くなっていての事故だそうです。トレーラーが事故車を積み込んでいます。

野焼きの跡・・・・道路両側にありました(道路沿いでの野焼きの煙は非常に危険です。)

バイクTAXIです。(Nelson Benitez さん)私を郊外の平原まで案内しました。椰子の木の写真を撮りたかったのでバイクタクシーに乗りました。

TAXIの皆さん。真ん中がタクシーの運転手 Benigno Lopez さん。私に声を掛けてきました。バイクタクシーで出掛ける前に、ターミナルの食べ物屋でマンジョウカとコーヒ&ミルクを注文し、アスンシオンで買ってきたサンドイッチを食べました。(田舎に行くと私の食べれない食べ物だけの場合があります。・・・例えばミラネサ、エンパナータ・・・こんなことを想定し、パンやサンドイッチをあらかじめ買って持参します)
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(いずれも帰りのバスの窓から撮影)

平原

この景色がお気に入りです。

これらの木をココと呼んでいました。先にバイクで案内してもらった場所の木よりも背丈が高いです。
Arroyos Esteros 1
7月1日(日)
距離:Asuncion~Arroyos Esteros 77km
往路(1日): 9:00Asuncion発 ⇒ 11:10 Arroyos Esteros着
復路(1日): 13:20 Arroyos Esteros発 ⇒ 14:30着 Asuncion(EXPO会場前) ⇒内山田着 15:00
パラグアイらしい青空が広がりました。でも最低気温は5℃でしたから防寒対策はしっかりしました。

Arroyos Esterosまで距離が短いわりにバスはまあまあ綺麗でした。(Padre Fidel Maiz S.R.L):バスターミナルにて

ルータ3号沿い:刈り取ったサトウキビを積み込んだトレーラー

Municipalidad de Arroyos Esteros(教会隣にありました)

BIBLIOTECA(役場隣接)

PLAZA MCAL LOPEZ
PLAZA MCAL LOPEZ
PLAZA MCAL LOPEZ
教会建物正面

教会建物:左前方から

教会の庭
Pirayu 1
6月30日(土)
距離:Asuncion~Ypacarai 37km Ypacarai~Pirayu 約10km位 計約50km
往路(30日): 9:00Asuncion発 ⇒ 10:07 Ypacarai着 10:35発 ⇒Pirayu 10:50 着
復路(30日): 13:30 Pirayu発 ⇒ 14:55着 Asuncion(Super Pueblo前)
今朝の最低気温は4℃、今週一番の冷え込みでしたからしっかり着込んで出掛けました。先週ジャガロンからピラジュに行こうとして失敗したので、今日はウパカライからピラジュに向かいました。
朝、Asuncionは濃い霧に包まれました。
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濃い霧に包まれたAsuncion(最低気温が4℃)

朝8時半頃

Ypacarai 旧駅舎前の学校建物:化粧直し直後でしょうか、一週間振りに顔をのぞかせた日の光を浴び、まぶしく輝いていました。

Ypacarai 旧駅舎横隣の建物
線路は先に伸び、Pirayu村を通過しています。
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Pirayu行きのバス

YpacaraiでPirayu行きのバスについて尋ねていたら、この学生がPirayuに住んでいてこれから家に帰るので、私を案内してくれるということになりました。
Juan Jose Meza Centurion 君(17歳)です。地元の学校に通う他に毎週木曜日と土曜日の朝早く、ウパカライの学校に通ってるのだそうです。
Pirayuの教会近くで学生のJuan君がバスを降りるよう促しました。
彼は私に村人とすれ違う時に挨拶をしなさいと教えました。彼も自ら挨拶をしていました。律儀な学生です。
挨拶の言葉は
相手が男性ならば「Adios セニュール」、相手が婦人なら「Adios セニューラ」と挨拶するんだよというのです。私が挨拶すると、必ず挨拶が返ってきました。小さな村なのでお互いを知っているから、犯罪など起こりえません。

Iglesia(Pirayu):教会建物正面

教会建物左後方から

教会近くの商店の家族。通りで商品の整理をしていました。ご主人とそのお姉さんです。寒いので温かいMate茶を飲んでいます。「Mate」はYerbaに熱い湯を注ぎ飲むものです。(夏に冷たい水を注いで飲むのは「Terere」といいます。)

ご主人の奥さんと子供さん。皆さんは私になぜここに来たのか、教会の写真をなぜ撮っているのかといろいろな質問をしてきました。案内してくれたJuan君が私に代わってこれらの質問に答えていました。
(奥様はMyrian Liliana Martinez de Velazquez という名前だそうです。Velazquezという有名な画家がいると言ったら皆さんも知っていて大笑いをしていました。)

別れる時に庭で採れたみかんを私にプレゼントしてくださいました。
Pirayu 2

Municipalidad de Pirayu
Municipalidad de Pirayu :建物内部は四隅にそれぞれ一つ、計4つの部屋があるだけで、殆どのスペースは写真のようなホールになっています。

村役場の人

村役場前のメインストリート

村役場前のメインストリート(Ypacarai方向)

Asuncionの人の別荘だそうです。古い建築様式ですが綺麗に手入れされていました。

日本国から贈られた学校がありました。敷地が広かったです。

PLAZA:JUAN君は木がないと嘆いていました。他所の町のPLAZAは木が茂っているのに、ここはみんな切ってしまったと話していました。

Pirayu 旧駅構内:Juan君を撮ろうとしたら、僕はいいから私に入れというので撮ってもらいました。(朝着ていたセータ、ジャンパは直前に脱ぎました。・・日差しのお陰で暑くなってきました。)

Pirayu 旧駅舎