
旧鉄道駅舎向かい側の、旧バスターミナル建物。鉄道廃止(1997年頃)によってターミナルもここでは利便が良くないので使われていません。

草生した軌道跡

チパを焼く釜跡

駅入り口

旧駅前広場から駅舎

旧駅前通り:古い建築様式の建物が連なっています。舗装もされていません。

旧駅前通り


FMラジオ放送局(ローカル)

駅舎手前踏み切り近くの通り

駅舎手前踏み切り近く

旧鉄道駅舎向かい側の、旧バスターミナル建物。鉄道廃止(1997年頃)によってターミナルもここでは利便が良くないので使われていません。

草生した軌道跡

チパを焼く釜跡

駅入り口

旧駅前広場から駅舎

旧駅前通り:古い建築様式の建物が連なっています。舗装もされていません。

旧駅前通り


FMラジオ放送局(ローカル)

駅舎手前踏み切り近くの通り

駅舎手前踏み切り近く

古い建物

INTERNETを提供する店「CYBER」:家でできない人はここで時間借りしてインターネットを使います。

PIRAYUのサッカークラブ(ミーティングが行われていました。)

JUAN君の家に向かう道路。脇道でしかも車を持っている人が少ないのと交通量も無いので草生しています。
道路中央、子牛の少し先の左手に彼の家がありました。いつもより帰りが遅いJUAN君を気遣って、お母さんが家の前の通りに出てこちらを伺っていました。私を教会や駅に案内していたので遅くなりました。

通りで草を食む子牛
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Juan君の家の様子です。

庭の奥に豚舎があります(屋根なし):泥にまみれるような状況でした。

サトウキビの茎を食べている子豚:犬のように首を繋がれていました。

豚舎の裏に豚の排泄物や洗濯物の排水が溜まっている溝があり、奥にアヒルたちがいました。

従兄弟の二人: Pablo Daniel Aliente(11歳)、Nataliz Lujan Aliente(7歳)。お兄ちゃんは6年生で妹は2年生です。おばあさんが作ってくれた昼食を前に写真を撮りました。大きな果物は「Pomelo Rojo ポメロ ロホォ」です。妹さんは私(外国の人)に興味深深で、話しがはずみ食事がなかなかすすみませんでした。
私に食事を提供してくださいました。でも昼食時に突然おじゃましたので、この丸い団子の食べ物が足りなくなってしまうと思い、少しだけナイフで切って別の皿に取り分けて、好きなマンジョウカといただきました。残りはお勝手にもって行ってもらいました。団子の作り方や名前は聞きませんでしたが、とうもろこしの粉と牛肉の切り身を混ぜて団子にし、スープと一緒に煮たもののようでした。美味しかったです。

左からJuan君の従兄弟(7歳)、お母さん、おばあさん、従兄弟(11歳)、Juan君です。家にはおじさんも(従兄弟の父親)いました。狭い庭にはアヒル、鶏や豚、羊、牛などの家畜がいてとても環境が良いとは言えない状況でした。また犬も猫もいました。(14歳の犬は両目の視力を白内障で失っていました。)
JUAN君は私を家に案内する時、僕の家にはお金は無いよ、父もいなくて母が一人で働いている(縫製)だけだから。僕は三人兄弟の一番上で、妹が二人(16歳、14歳)、他におばあさん、おじさん、そして従兄弟が二人一緒に暮らしている。お金はないけど牛、豚、羊、アヒルを飼っていて、犬や猫もいてとても賑やかなんだ!と話していました。
家族の皆さんの写真を撮ってから、ブログのアドレスを彼に教えました。みんなの写真がCYBERに行けば見れるからと伝え、道路まで出てきたJUAN君に今日のお礼を渡して(遠慮しましたが、私の気持ちが許さないので)バスの停留所に私は一人で向かいました。
6月23日(土)
YaguaronからPirayuに行こうとしましたが、既にバスは出てしまい今日は止めました。Ypacaraiからは頻繁にバスがあるけれどここからは少ないことを教えられたからです。
仕方なしMUSEOに行きました。(前回2006.12.16 に来た時は時間が遅かったので閉まっていました)
博物館の建物は1700年代に作られたそうです。(入場無料:名前を記帳しました)

壁は厚く天井板はありません。屋根の垂木がもろに見えるのがパラグアイの住宅様式のようです。

建物内部:4部屋程の小さな建物でした。展示品はヨーロッパから持ち込まれた銀製品少々と作られた洋服、椅子などがありました。(数少ない)これらは撮影禁止のため写真はありません。建物は撮影OK。

裏庭への出入り口。非常にシンプルですが綺麗です。ひさしの先端を見ると屋根、瓦の様子がよくわかります。

管理人の皆さん。書いてもらったアドレスにこれらの写真を送りましたが、エラーメッセージがかえり送信できませんでした。(残念)

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MUSEOを見てから、昼食を食べるための食堂を探しました。

ルータ沿いの食堂

タジャリンと鶏肉、マンジョウカです。

COPETINで食事を作っているおばさん達。鳥を焼くのはおじさんの仕事ですが写真は敬遠されました。

この季節、各家の庭にあるレモンが熟れて色付いています。

マンゴの花が咲き始めています。(特に人目を引く花でもありません。)
とても寒いです。先日は見事なラパチョの花が咲いていたのに、先週土曜日(23日)夜低気圧がきて雨が降り、気温は一気に下がりました。日曜日から朝の最低気温は9~10℃が続き、今朝(28日(木))は8℃を下回っています。
太陽が日曜日から全く現れていません。

黒い雲に覆われた空

瓦補修作業は屋根の上の仕事なので、風が冷たく寒いのですが作業は続けられています。

MiguelもRodrigoも防寒対策はしっかりしています。 (25日)
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防寒対策で着込んでいる様子の写真をいくつか撮りました。

内山田ホテルの運転手(Alejandro Benitez)さん。帽子を被ったのは初めて見ました。

内山田ホテルのDomingaさん(食堂担当)。厚着をしています。

ホテル向かい側、IPS建物前で毎日フルーツを売ってるおばさん。私もここで時々、みかん、りんご、ブドウ、梨を買い求めます。今日は寒いです(8℃)が着込んで頑張ってます。

内山田ホテル横隣のお店にて:お客様と店の人
皆さんしっかり着込んでいます。国旗の色がそのまま帽子の色柄になってしまうんですからいいですね。「日本の皆さんにパラグアイは今寒波が来て寒いです、といってもわかり難いから写真を見せてあげたい」とお願いしました。皆さん快諾し、この笑顔です。

手作りのお菓子を売ってるおばさん。(IPS前にて)帽子のカラーは隣のLUQUE市(ルケ市)の旗の色です。冷たい風が吹き抜ける場所で完売するべく頑張ってます。

セニョールは大きなポンチョをまとってます。こちらではポンチョを多くの人が使っているのも特徴です。
Sun Juan Bautistaへ祭り(Fiesta de San Juan)を見に行きました。
6月23日(土)~6月24日(日)
距離:196km
往路(23日): 10:10Asuncion発 ⇒ 11:20 Yaguaron着 14:30発 ⇒San Juan Bautista 16:00 着
復路(24日): 19:00 San Juan Bautista 発 ⇒ 22:00 Asuncion(ターミナル)着
この祭りの写真を見ると、パラグアイが牧畜業の国であることが理解できると思います。
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今回現地でお世話になった3名の方々を紹介しなければなりません。皆さんCopaco(電話会社)の社員と関係者です。
友人と会社が同じということでいろいろ面倒を見ていただきました。
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写真右二人:Victor Marecos (息子さんも全く同じ名前です) 40歳位 (Jefe de area de comercial)
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馬を引いている人:Adolfo Gonzalez 24歳(牧場所有。400ha と5ha、馬19頭保有、今回5頭を祭りに貸し出し)

祭り会場でいろいろな人を紹介してくれました。また帰る時にはルータ1号で帰りのバスが見つかって乗り込む時まで付き合って下さいました。
Adolfoさんは、この馬(3歳半)の頭につけた馬具は馬を買うよりも高価なものだと話していました。
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写真左:Alberto Benitez 33歳(Copacoで働いていて、Taxi運転手もしている。)

祭り会場と泊めて頂いた、Copacoの官舎間を送迎してくれました。
6月23日(土)夜は屋根付の建物(ホール)に入場料を払って入り、幾つかの祭りの催しものを見ました。といっても日本の祭りで行われる獅子舞のような伝統芸能が行われるのではなく、入場した皆さんが一緒に楽しむというものでした。
1.土瓶割り(Kambuchi jejoka カンブシ ジェジョカ)・・・・・・2回おこなわれました。
天井からロープで吊られた土瓶を棒で叩いて割るゲーム・・・・一方のロープの端をおじさんがもっていて土瓶を割られないように上下させるので、なかなか割れず、笑いを誘います。割れると中には砂と一緒に硬貨が入っているので、我先に子供達が競って拾います。
2.綱引き・・・・・・・・・2回おこなわれました。
お互いの体をロープで結わえて、四つんばいになって引き合います。
3.ダンス競技・・・・・・・4組参加しました。
男女一組になって、民謡(フォルクローレ)の軽快なリズムに乗って踊り競うのもです。会場で参加者を募り4組が競いました。・・・友人とAdolfoさんも参加し最後まで残って2位になり賞金をもらいました。
4.火のボールを蹴り合う(Pelota tata ペロタ タァタァ)・・・・・・火がついたボールを皆で蹴りあいます。(顔に当たると危険)
5.闘牛(Toro Kandil トロ カンディル)
牛に似せた(一人でも持てます)かぶりものの角二本に火がつけられ、それを二人で持って(頭上にかざして)闘牛のように人々に向かって突進し、人々は逃げまわるというものです。

土瓶割り(Kambuchi jejoka カンブシ ジェジョカ) 土瓶が二つ吊るされています。

今目隠しをされているところです。

報道関係者も取材にきていました。

遠くから撮りました。たすきに光っているのは警察官の皆さんです。(保安管理)

一つ目が割れた後、二つ目の準備をしています。

おじさんは一方のロープの端をうまく操っていたので、なかなか割れなくて笑いを誘っていました。

少女から大人の女性に交代しました。
割れたときは硬貨を競って拾います。
会場内の様子
綱引きゲーム
火の玉の蹴りあい・・・・Pelota tata ペロタ タァタァ
Toro Kandil トロ カンディル

Toro Kandil トロ カンディル
全てを写真に撮れませんでした。カメラのバッテリがなくなってしまいましたので。
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それではパレードが始まる前のPLAZAの様子を紹介します。

この写真は朝食前に髭剃りを買い求め町に出たとき(7時半頃)のもの。青年に9時にPLAZAに集まりパレードをすると教えられました。私はパレードの規模は20頭位かなと思っていましたがとんでもない。その10倍はあったでしょうか。
(この馬が歳をとっていることはわかりましたが他に馬がいなかったんです。友人にこの馬を写真に撮ったと後で説明したら、なんという馬を撮ったの、もっと綺麗な馬が沢山集まってくるのに・・・こんな馬を皆に紹介しないで・・みたいな声を張り上げていました。)
でもこの青年の印象と、歳を重ねた馬の姿がなんとも微笑ましいこと!!

PLAZAには三々五々牧童があつまってきました。


伝統的牧童スタイル。馬具はAdolfoさんの話からすると、高価なものを着けているようです。

立っている人は参加者を把握していました。

このおじさんはLa Pazからの参加者。そば・うどん講習会でお世話になった、山神さんのところで働いていると教えてくれました。

このグループは足元にアクセントをおいていました。

子供達も伝統的衣装を着ておじいさんに手を引かれてやってきました。どうしてこのような衣装を着せられたのか、わからないような顔をしています。(おじいさんは日本人の友人を知ってるぞと私に話しかけてきました。)

映画のシーンを見てるような気分です。今にもどこかに駆け出しそうな感じがします。

牧場の旗をかざして来たグループも多かったです。

パラグアイ国旗を持ってやってきた一団。

この一団もお揃いのユニフォームを着ています。

寒くても祭りを心待ちにしていたんでしょう。

女性だけのグループもありました。

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いよいよ祭りの始まり。
音だけの花火が直ぐ近くで朝からパンパンと上がり、その度に慣れていない馬はよろけていました。

楽隊が演奏を始めました。
TV番組「MANICOMICO」で人気のあるタレントさんがやってきました。(番組名は、manico=Locos(変人)、comico=simpatico(明るい、愛想の良い)の二文字をかけています)
PRAGUAYのPRESIDENTE(大統領)の名前は「Nicanor Duarte Frutos」といいますが、国旗カラーのたすきを掛けた人は「Nikenor Dulce(あまい) Fruto(果物)」という現大統領の名前をもじったタレントで、大統領に似た声と話し方、風采で人気があります。

Nikenor Dulce Fruto氏のおもしろい挨拶を聞いて笑っている町のみなさん。

人気者なのでたちまち人垣ができました。

日曜日の寒い日でした。見てる皆さんも身支度をしっかり整えています。

楽団の音楽に合わせて踊ってる人。

私もNikenor Dulce Fruto氏と握手させてもらいました。
彼が出演しているテレビ番組をたまに見ておもしろいと思っていました。帽子をかぶった顔しか見たことがなかったので、握手した時に、想像していたよりも若く、礼儀正しい人だと感じました。
有名人に何するの!みたいな扱いも受けず、誰にも何も言われることなく写真を撮らせていただきました。
Muchas Gracias.
私がこんなににこやかな顔をしたのは近年日本にいたときも、パラグアイに来てからも初めてだと思います。(常にむつかしい顔をして暮らしていましたから)
ずっと探し求めていたものにやっと出会ったような気分でした。(一緒にギャグをする場面があれば!!)

Nikenor Dulce Fruto氏一行と記念撮影してパレードの出発準備。

Plazaから道路に向かいます。

PLAZAに集まった町のみなさん。

記念の帽子売りのおじさんも書入れどきです。
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6月24日(日)パレードを沿道で見ていた人たちの写真です。

伝統的な衣装に身を包んでいる皆さん

パレードが来るのを待つ人達。

交差点付近でパレードを見る人達

交差点付。パレードが行われた道路は殆ど石畳の道路です。子供達が沢山みえます。

バイクも最近は手軽な移動手段。服装はジーンズをはいている人が非常に多いです。

家の前に椅子を並べて

パレードを見つめる親子

昨夜の雨で道路の土も湿っています。

普段は通りも人影が少ないですが今日は大勢みえます。

ワンチャンも人混みに混じって!見物?

警察官も動員されていました。

このアングルで撮ったら、前方からも撮ってくださいと要望されました。

皆さんとても楽しそうでした。

アドレスを教えてあげれないのが残念です。
6月24日(日)行われたパレードを紹介します。牧畜の国であることがこれらの写真からお解かりいただけると思います。
人気タレントがパレードの先頭を歩きました。


国旗や他の旗を持った人達とタスキを掛けた女性が先頭を進みます。





手綱さばきのうまい女性も大勢いました。


このグループはユニフォームと足元にポイントをおいたようです。

