La Colmenaに行ってきました。
7月22日(土)~7月23日(日)にかけて、日本人が初めてパラグアイに入植した地「La Colmena(蜜蜂の巣箱という意味)」に行って来ました。アスンシオンから130km、バス会社名はCARDOZO.S.R.Lです。バス会社Tel:021-555-728、ホテルはFUJIMI Hotel Tel:0537-223-238.です。行きは8:30発⇒12:30着、帰りは8:30発⇒12:00着でした。La Colmenaに日本人が入植したのは太平洋戦争が始まる以前の1936年です。現在は79戸310人、3500Haの規模です。これらはバスターミナルから更に奥地に入った場所にあるようで訪ねることはできませんでした。 今年は移住70周年の節目で9月7日に記念式典が予定されており、その募金活動も実施され私も協力させて頂きました。 ホテルの奥様に「なぜFUJIMIホテルというのですか」「庭にセメントで作った富士山があるからですか」と伺いましたら「私達のおじいさんが長野県の富士見町の出身です」ということでした。私も茅野市に3年、諏訪市に2年勤務した経験があり、現在も茅野市にある「稜雲山の会」メンバに寄せていただいております。会の山岸様や小松原様、硫黄石室山荘の浦野様皆様に随分お世話になりました。ですから八ヶ岳登山を通じて富士見町も良く知っております。「アスンシオン市にお住まいの三井雄一さんという方に以前お世話になりましたが、同じ三井さんで何かご関係は」と伺いましたら「私どもの叔父です」ということでした。「同じ長野県出身ということでこれからも機会を見つけていらして下さい」と奥様に語りかけられました。
写真を紹介します。
*** アスンシオンバスターミナル***
アスンシオンバスターミナル切符売り場。たくさんの会社の窓口があります。
ターミナル切符売り場。中ほどにブエノスアイレスと書かれています。
冬休み最後の日曜日ということもあり待合室は混雑しています。
ターミナル内スタンド
*** La Colmena ***
乗ってきたバス
La Colmenaのバスターミナル
ターミナルで昼食(料理:Tallarinとマンジョウカ)牛肉を煮たものとパスタを味付けしたもの&茹でた芋。肉は多いので半分にしていただきました。
FUJIMI Hotel入り口
Hotel 建物(レストラン)
レストラン内部
ホテルの部屋
シャワー装置 パラグアイの一般的なシャワーです。中に電熱コイルがあり水が通過する際に温められるのです。
ホテルの子犬「シロ」 まだ子犬のため何を見ても興味を示します。
FUJIMIホテルの駐車場の木:Estrella Federal 日本ではポインセチア)
FUJIMIホテルの中庭につるされた蘭
町の通りに出て草を食む牛たち
PLAZA 15 DE MAYO(プラサ キンセ デ マジョ) 。木の名前は「Palo Borracho」といいます。ビヤ樽のような形をしていることからこのように呼ばれています。Borrachoとは「酔っ払い」という意味です。
「14 de Mayo」(カトールセ デ マージョ) La Colmenaのメインストリートです。
La Colmena市庁舎
慰霊碑(KUNITO公園)
KUNITO公園
70周年記念碑(KUNITO公園)
慰霊碑、70周年記念碑等(KUNITO公園)
La Colmena 日本語学校
公民館
「NEGISI」商店 「14 de Mayo」(カトールセデ マージョ)に面しています。遠くにPLAZA 15 DE MAYO(プラサ キンセ デ マジョ)が見えます。
通りのお店の前で一休みさせていただきました。おじさんは「日本人の公民館で30年以上働き、今はリタイヤし店を開いて生活しているのじゃ。現在日本人移住地で働いているのはお年寄りばかりで、若者は日本に行って稼いで沢山お金を持ち返り、車を買ったり、商売を始める者もいる。日本に外国人が働きに行くのは非常に難しいそうじゃないか」「何でパラグアイに来ているのかな。商売かい、何かい」ということで暫くおじさんと話をしました。パラグアイの風習としてはこのように家の前に椅子を置き、テレレをしながら通りを眺め、話をして過ごすことが日常です。このような光景は非常に多く見ることができます。
*** 帰途のバスの車窓から***
小さな丘を見ることができました。
牧場の入り口と家が見えます。
牧場には牛や馬に水を飲ませる水場が必要です。これは人為的に作られた水場です。ルータ沿いにはこのような人為的水場を多く見ることができます。