1月4日(金)
San Salvador では古い駅舎を見つけました。 広大な敷地の駅構内が残っていましたので、バイクのおじさんに頼んで駅舎まで行ってもらいました。
これらを見ると、今は陸の孤島の感じがしますが、かっては繁栄していたことでしょう。
Borja 16:00 発 ⇒ 16:10 着 San Salvador
San Salvador 17:20 発 ⇒ 18:30 着 Villarrica
駅舎と給水装置
極太で特大な枕木がありました。地面にひだがみえますが、枕木の跡だと思います。
写真から 駅構内が広かったことがうかがえます。
写真後方には古い貨車が写っています。
駅舎
水槽、その脇には機関車です。
左の バイクのおじさんは私を乗せてくれた人。
Municipalidad de San Salvador
教会:敷地は大きくなかったです。
出遭った少年:はだしで歩いていました。
踏み切り
村内道路:この先に進むと Villarrica 方面に進みます。
広い駅構内の敷地には牛が沢山いました。
Villarrica まで乗せて頂いた小型トラック:
なんということでしょうか。バスの運転手に聞いたときには、夕方6時の最終便があると言ってたのに、村の人たちは、今日は15時15分が最終で、バスはこない というのです。
Villarricaに戻るバスが既になくなってしまったことで思案しました。
Villarricaへ戻るタクシーを待ちましたがなかなか来ません。同じくバスを待っていた、おばあさんと二人の孫は、私が村人と話をしてるスキに、車と交渉して既にいなくなっていました。何と素早い人たちなんだろうと驚きました。できれば私も一緒にと・・考えていたのに!
写真の小型トラックの運転士は一人だけで、車を停めると向かいの店に入ってゆきました。後を追うように私も店に飛び込み、何処に行くのか尋ねました。Villarricaに行くと言うので、乗せていってくださいとお願いして、了承していただいたので私は安堵しました。
一時は覚悟を決めて、泊めてもらえるところを探し始めようとしていましたから・・。
小型トラックはTOYOTA製で、運転席の両側の窓ガラスは既に無く、ダッシュボードは何もかもなくなっていました。石畳の道をガタゴト揺られながら、一時間掛かってVillarrica に着きました。
でも一時間の間、彼に気を許す訳には行かないと思って、彼の 「San Salvadorには友達がいるのかい」という質問にも 「そうです」 と嘘の答えをしたり、日本から来てもうじき帰国するなどと言うことも話さず パラグアイに住んでいるということにしてしまいました。
でも、親切な方で私をバスターミナルまで送ってくださり、お礼にと差し出したお金も受け取らず、去ってゆかれました。
(本当にありがとうございました。)
1月5日(土)
Villarrica 9:30 発 ⇒ 12:30 着 Asuncion (Super Pueblo 前)
ホテルを出てバスターミナルに行き、Itape(eにアクセント)に行くべきところを、Potyに行きたいなんていって尋ねていたから、だれも答えてくれやしません。(家に帰ってきて前回のメモを見て間違いだとわかりました)
仕方なし諦めてアスンシオンに帰ることにしました。
朝9時30分発のバスの切符が手に入り、幸いにもエアコン付でした。48番席で最後部でしたが座れました。