
一歩奥まった通り

PLAZA前の通り

PLAZA SAN FRANCISCO
古い家

バスターミナルと市場の建物

バスターミナルと市場の建物

バスターミナル建物

パパイヤ
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バイクタクシーに乗って郊外の景色を撮りに行きました。

ルータ建設用土砂を採掘したためにできた池だそうです。

Arroyos Esteros郊外のルータ3号

ルータ3号
月別アーカイブ: 7月 2007
Arroyos Esteros 3

Rio YHAGUY に掛かる橋

ルータ3号

川:パクなどの魚が釣れるそうです。

牧場

牧場

昨夜7時過ぎ(土曜日)このあたりで車4台が衝突する自動車事故が発生し、一人が亡くなったそうです。原因は道路法面の野焼きで煙が車道を覆い、見通しが悪くなっていての事故だそうです。トレーラーが事故車を積み込んでいます。

野焼きの跡・・・・道路両側にありました(道路沿いでの野焼きの煙は非常に危険です。)

バイクTAXIです。(Nelson Benitez さん)私を郊外の平原まで案内しました。椰子の木の写真を撮りたかったのでバイクタクシーに乗りました。

TAXIの皆さん。真ん中がタクシーの運転手 Benigno Lopez さん。私に声を掛けてきました。バイクタクシーで出掛ける前に、ターミナルの食べ物屋でマンジョウカとコーヒ&ミルクを注文し、アスンシオンで買ってきたサンドイッチを食べました。(田舎に行くと私の食べれない食べ物だけの場合があります。・・・例えばミラネサ、エンパナータ・・・こんなことを想定し、パンやサンドイッチをあらかじめ買って持参します)
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(いずれも帰りのバスの窓から撮影)

平原

この景色がお気に入りです。

これらの木をココと呼んでいました。先にバイクで案内してもらった場所の木よりも背丈が高いです。
Arroyos Esteros 1
7月1日(日)
距離:Asuncion~Arroyos Esteros 77km
往路(1日): 9:00Asuncion発 ⇒ 11:10 Arroyos Esteros着
復路(1日): 13:20 Arroyos Esteros発 ⇒ 14:30着 Asuncion(EXPO会場前) ⇒内山田着 15:00
パラグアイらしい青空が広がりました。でも最低気温は5℃でしたから防寒対策はしっかりしました。

Arroyos Esterosまで距離が短いわりにバスはまあまあ綺麗でした。(Padre Fidel Maiz S.R.L):バスターミナルにて

ルータ3号沿い:刈り取ったサトウキビを積み込んだトレーラー

Municipalidad de Arroyos Esteros(教会隣にありました)

BIBLIOTECA(役場隣接)

PLAZA MCAL LOPEZ
PLAZA MCAL LOPEZ
PLAZA MCAL LOPEZ
教会建物正面

教会建物:左前方から

教会の庭
Pirayu 1
6月30日(土)
距離:Asuncion~Ypacarai 37km Ypacarai~Pirayu 約10km位 計約50km
往路(30日): 9:00Asuncion発 ⇒ 10:07 Ypacarai着 10:35発 ⇒Pirayu 10:50 着
復路(30日): 13:30 Pirayu発 ⇒ 14:55着 Asuncion(Super Pueblo前)
今朝の最低気温は4℃、今週一番の冷え込みでしたからしっかり着込んで出掛けました。先週ジャガロンからピラジュに行こうとして失敗したので、今日はウパカライからピラジュに向かいました。
朝、Asuncionは濃い霧に包まれました。
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濃い霧に包まれたAsuncion(最低気温が4℃)

朝8時半頃

Ypacarai 旧駅舎前の学校建物:化粧直し直後でしょうか、一週間振りに顔をのぞかせた日の光を浴び、まぶしく輝いていました。

Ypacarai 旧駅舎横隣の建物
線路は先に伸び、Pirayu村を通過しています。
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Pirayu行きのバス

YpacaraiでPirayu行きのバスについて尋ねていたら、この学生がPirayuに住んでいてこれから家に帰るので、私を案内してくれるということになりました。
Juan Jose Meza Centurion 君(17歳)です。地元の学校に通う他に毎週木曜日と土曜日の朝早く、ウパカライの学校に通ってるのだそうです。
Pirayuの教会近くで学生のJuan君がバスを降りるよう促しました。
彼は私に村人とすれ違う時に挨拶をしなさいと教えました。彼も自ら挨拶をしていました。律儀な学生です。
挨拶の言葉は
相手が男性ならば「Adios セニュール」、相手が婦人なら「Adios セニューラ」と挨拶するんだよというのです。私が挨拶すると、必ず挨拶が返ってきました。小さな村なのでお互いを知っているから、犯罪など起こりえません。

Iglesia(Pirayu):教会建物正面

教会建物左後方から

教会近くの商店の家族。通りで商品の整理をしていました。ご主人とそのお姉さんです。寒いので温かいMate茶を飲んでいます。「Mate」はYerbaに熱い湯を注ぎ飲むものです。(夏に冷たい水を注いで飲むのは「Terere」といいます。)

ご主人の奥さんと子供さん。皆さんは私になぜここに来たのか、教会の写真をなぜ撮っているのかといろいろな質問をしてきました。案内してくれたJuan君が私に代わってこれらの質問に答えていました。
(奥様はMyrian Liliana Martinez de Velazquez という名前だそうです。Velazquezという有名な画家がいると言ったら皆さんも知っていて大笑いをしていました。)

別れる時に庭で採れたみかんを私にプレゼントしてくださいました。
Pirayu 2

Municipalidad de Pirayu
Municipalidad de Pirayu :建物内部は四隅にそれぞれ一つ、計4つの部屋があるだけで、殆どのスペースは写真のようなホールになっています。

村役場の人

村役場前のメインストリート

村役場前のメインストリート(Ypacarai方向)

Asuncionの人の別荘だそうです。古い建築様式ですが綺麗に手入れされていました。

日本国から贈られた学校がありました。敷地が広かったです。

PLAZA:JUAN君は木がないと嘆いていました。他所の町のPLAZAは木が茂っているのに、ここはみんな切ってしまったと話していました。

Pirayu 旧駅構内:Juan君を撮ろうとしたら、僕はいいから私に入れというので撮ってもらいました。(朝着ていたセータ、ジャンパは直前に脱ぎました。・・日差しのお陰で暑くなってきました。)

Pirayu 旧駅舎
Pirayu 3

旧鉄道駅舎向かい側の、旧バスターミナル建物。鉄道廃止(1997年頃)によってターミナルもここでは利便が良くないので使われていません。

草生した軌道跡

チパを焼く釜跡

駅入り口

旧駅前広場から駅舎

旧駅前通り:古い建築様式の建物が連なっています。舗装もされていません。

旧駅前通り


FMラジオ放送局(ローカル)

駅舎手前踏み切り近くの通り

駅舎手前踏み切り近く
Pirayu 4

古い建物

INTERNETを提供する店「CYBER」:家でできない人はここで時間借りしてインターネットを使います。

PIRAYUのサッカークラブ(ミーティングが行われていました。)

JUAN君の家に向かう道路。脇道でしかも車を持っている人が少ないのと交通量も無いので草生しています。
道路中央、子牛の少し先の左手に彼の家がありました。いつもより帰りが遅いJUAN君を気遣って、お母さんが家の前の通りに出てこちらを伺っていました。私を教会や駅に案内していたので遅くなりました。

通りで草を食む子牛
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Juan君の家の様子です。

庭の奥に豚舎があります(屋根なし):泥にまみれるような状況でした。

サトウキビの茎を食べている子豚:犬のように首を繋がれていました。

豚舎の裏に豚の排泄物や洗濯物の排水が溜まっている溝があり、奥にアヒルたちがいました。

従兄弟の二人: Pablo Daniel Aliente(11歳)、Nataliz Lujan Aliente(7歳)。お兄ちゃんは6年生で妹は2年生です。おばあさんが作ってくれた昼食を前に写真を撮りました。大きな果物は「Pomelo Rojo ポメロ ロホォ」です。妹さんは私(外国の人)に興味深深で、話しがはずみ食事がなかなかすすみませんでした。
私に食事を提供してくださいました。でも昼食時に突然おじゃましたので、この丸い団子の食べ物が足りなくなってしまうと思い、少しだけナイフで切って別の皿に取り分けて、好きなマンジョウカといただきました。残りはお勝手にもって行ってもらいました。団子の作り方や名前は聞きませんでしたが、とうもろこしの粉と牛肉の切り身を混ぜて団子にし、スープと一緒に煮たもののようでした。美味しかったです。

左からJuan君の従兄弟(7歳)、お母さん、おばあさん、従兄弟(11歳)、Juan君です。家にはおじさんも(従兄弟の父親)いました。狭い庭にはアヒル、鶏や豚、羊、牛などの家畜がいてとても環境が良いとは言えない状況でした。また犬も猫もいました。(14歳の犬は両目の視力を白内障で失っていました。)
JUAN君は私を家に案内する時、僕の家にはお金は無いよ、父もいなくて母が一人で働いている(縫製)だけだから。僕は三人兄弟の一番上で、妹が二人(16歳、14歳)、他におばあさん、おじさん、そして従兄弟が二人一緒に暮らしている。お金はないけど牛、豚、羊、アヒルを飼っていて、犬や猫もいてとても賑やかなんだ!と話していました。
家族の皆さんの写真を撮ってから、ブログのアドレスを彼に教えました。みんなの写真がCYBERに行けば見れるからと伝え、道路まで出てきたJUAN君に今日のお礼を渡して(遠慮しましたが、私の気持ちが許さないので)バスの停留所に私は一人で向かいました。
Yaguaron MUSEO
6月23日(土)
YaguaronからPirayuに行こうとしましたが、既にバスは出てしまい今日は止めました。Ypacaraiからは頻繁にバスがあるけれどここからは少ないことを教えられたからです。
仕方なしMUSEOに行きました。(前回2006.12.16 に来た時は時間が遅かったので閉まっていました)
博物館の建物は1700年代に作られたそうです。(入場無料:名前を記帳しました)

壁は厚く天井板はありません。屋根の垂木がもろに見えるのがパラグアイの住宅様式のようです。

建物内部:4部屋程の小さな建物でした。展示品はヨーロッパから持ち込まれた銀製品少々と作られた洋服、椅子などがありました。(数少ない)これらは撮影禁止のため写真はありません。建物は撮影OK。

裏庭への出入り口。非常にシンプルですが綺麗です。ひさしの先端を見ると屋根、瓦の様子がよくわかります。

管理人の皆さん。書いてもらったアドレスにこれらの写真を送りましたが、エラーメッセージがかえり送信できませんでした。(残念)

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MUSEOを見てから、昼食を食べるための食堂を探しました。

ルータ沿いの食堂

タジャリンと鶏肉、マンジョウカです。

COPETINで食事を作っているおばさん達。鳥を焼くのはおじさんの仕事ですが写真は敬遠されました。

この季節、各家の庭にあるレモンが熟れて色付いています。

マンゴの花が咲き始めています。(特に人目を引く花でもありません。)