Nueva Italia

Nueva Italia
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 Nueva Italia 
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暑いので帰りたかったのですが地図をみていると、Nueva Italia(イタリア)という村の名前が気になりその村にも寄っていくことに決めました。バスの運転手に乗り換え場所に着いたら降ろしてくれるよう頼んでおきました。乗り換え場所では今日は日曜日ということもあって、Nueva Italia行きのバス本数は1時間に一本位しか走っていないというのです。ここで何分待っているか周りの人に尋ねると既に35分は待っているということでした。暫くすると小さなバスが来ましたが本数が少ないためか満員でした。乗り込んだ人もいましたが(混雑したバス内で盗難に遭う事例を思い出し)次のは大きいのが来るという人がいたので再び待ちました。大きいのは来ることは来ましたが席は一杯で立つしかありませんでした。一緒に待っていた方が運転手に「この人はNueva Italiaで降りるんだからお願い」みたいなことを伝えてくれていました。バスは更に先の村に行くバスでしたので途中で助手に「セニョール」と呼ばれ、他の客にも背中を押される様にしてバスを降りました。



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主要道路 (中央分離帯にも木蔭を作り、道路路側帯にも木蔭を作って市民が暑さを避けて歩けるよう木が植えられています)道路上の赤土は雨水やタイヤに付着してまわりから運んできたものです。
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主要道路の中央分離帯(ここもやはり木蔭を多くして歩行者が直射日光を避けて歩けるよう工夫されています)
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バス (木蔭で憩う家族)
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教会(正面)
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教会
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教会 (木蔭を作る場所には必ずベンチが置かれています)
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トバティの花(黄色)
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トバティの花
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Municipalidad
 de Nueva Italia
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警察署
横断幕は警察署とは関係がありません。「新年のパーティ」と書かれ、新年をデスコテカで迎える企画を宣伝しています。ドリンクは内容によって金額が異なりますが、歌い手のライブがあり、一晩中輸送はサービス(自宅に送る?)、最後に開催場所が書かれています。パラグアイにはまだ新聞折込広告は無いと思います。(新聞紙上での広告はあります)この国では一般市民に訴求する方法としてはこのような横断幕を使って、スーパーの安売り、大学の行事や何かの企画を訴求することが日常なので、至る所に横断幕を見ることができます。このため電柱には残されたロープが幾重にも巻きつけられた状態だったり、時々横断幕のロープが低く垂れ下っていて危険な状態も目にします。

YAGARON その1

YAGARON その1
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YAGARON
に行ってきました。 2006.12.16(土)
Asuncion
からの距離:48km
バス:内山田ホテルから27番のバスで、 スーパーPueblo前でPARAGUARY行きのバスに乗り換えYagaronの丘の近くで下車。

往路(16日): 9:00 Asuncion  ⇒ 10:15 Yagaron
復路(16日):  13:50 Yagaron⇒ 15:00  Asuncion(スーパーPueblo前)
Yagaron
に何故行ったか?それは眺望のよさそううな丘がありそこに十字架が見えたからです。この日はとてもとーても暑い日でした。全身汗だく、ガソリンスタンドで道を尋ねると「隣で水を売っているから持って行った方が良い」と最後にアドバイスをうけました。バスの助手に「丘に登りたいので、登り口に近いところで降ろして下さい」と頼んでおいたのも効を奏しました。
***** Cerro Yagaron *****


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丘を見て  十字架がトラックの向って左側の丘の上に見えます。
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巨大な岩  十字架がはっきりと見えます。
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ガソリンスタンド:道を尋ね、水とサンドイッチを買い、帰りに再度寄ってコーラやサンドイッチを再び買い求めここで食べました。皆さん親切にしてくださいました。
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白い構築物が登山道を示しています。
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最初に登りつめた地点からの眺め (西の方角)
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南側の頂きからの眺め
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私がバスを降りて歩いたアスファルト道路が見えます。
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丘の上の十字架
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丘の上からの眺め(牧場など) 眼下のアスファルト道路を先のT字交差点でバスを降りて歩いてきたのです。
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Yagaron
の村
登山道には目印の白い構築物があり判り易かったです。また十字架の位置と方向がわかっていたことも幸いしました。

YAGARON その2

YAGARON その2
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丘からの眺望です。


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南方向の眺望 :雲がかかってしまい明暗が分かれています。
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南方向の眺望
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丘の岩肌と眺望
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南方向の眺望   雲がなんとも言えない形をしています。
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南方向の眺望(牧場など)

YAGARON その3

YAGARON その3
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Cerro
 Yagaron
Cerro
を歩いていると乾燥した牛の糞がところどころにあるので私は不思議に思いました。私が登ってきた登山道に牛が迷い込んで登ってたのかもしれないとか、険しい岩だけの登山道をよくも登ったものだ。野生化した牛がいるに違いない。私がここにいる間は出てきて欲しくないなんてこと考えながら、Cerroの反対側の景色も折角ここまで来たからには見て帰らねばと一人決意し山道を歩き始めました。そしたら畑が見えてくるではありませんか。しかもそこに二頭の牛がいました。景色どころではありません。住居は見つかりませんでしたがどなたかが立派に耕していたのです。

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牛二頭が暑さのためヤシの木蔭に頭部分を隠しています。
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サツマイモのツル に見えました。
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マンジョウカ です。
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サトウキビ 畑
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岩場に巣食う鳥 (鷹の仲間か)
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眺望  (緑豊かなことがわかります)

YAGARON その4

YAGARON その4
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YAGARON
の村
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Municipalidad  de Yagaron
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村の通り  ベンツ車のボンネットタイプのトラック
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馬に乗った人
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教会 (正面) シンプルな作りでした。
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教会 (ルート1号に沿ってありました。塔が無かったですが建物は高く大きかったです。)
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MUSEO
(博物館)  日曜日の為閉っていました。
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MUSEO
(庭から) 木蔭が多くありました。
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民家 (チバトの木蔭が道路を覆っています。夏の暑さを避けるにはこの木蔭が大切です。)
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通り:MUSEO(博物館)から続く道でこの先にルート1号がありそこにバス停があって帰りのバスを待ちました。Yagaronはルート1号に沿った村で商店街はほんの僅かしかありません。隣接したItaParaguariに市場があるので、そこで買物を済ましているんでしょう。この道を歩いていたらバイオリンを練習している子供達がいました。

最近起きたこと

125日ある裁判の判決がでました。この判決に不服な市民が半ば暴動のような騒ぎを起こし午後から夜にかけてフェルナンド・デラ・モラの通りは騒然とし、車は焼かれ、一部商店の略奪へと発展しました。こういう事件を見ると、いつ何時一髪触発で何が起きるか判らない要素があり、住居の安全性確保が非常に重要だと再認識しました。(裁判は数年前に起きたスーパーマーケット火災・・・・約400人が死亡した大惨事・・・・・・求刑に対して判決が軽かったことに反発)


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魚を買いました。今までは秋刀魚の冷凍を買ったことはありますが、毎週水曜日に魚を入荷するよと商店(台湾系)の女将さんが教えて下さったので行ってみました。「アンチョア」「鯛」を買いました。店の方がウロコを取ってくれたので写真はみすぼらしい姿ですが、機会を逃さなければこういうものも手にはいります。早速鯛のお吸い物 「潮汁」(お袋がよく作ってくれた)を作りました。
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約束した昼食の招待。・・・・鳩対策の金網56箇所取付けが完成し4名の方を日本食堂に招待し、メニュー「和牛丼」をご馳走しました。食べ物というものはやはり小さい頃から慣れ親しんだものが一番なんですね。私にとって美味しいものでも決して彼らにとって美味しいものではないと心得ておく必要があります。こちらの方は甘いものと塩辛いものをミックスした味付けは基本的に好みません。例えば醤油に砂糖や味醂を加えた味付けでしょうか。日本人は子供の頃からこの味に慣れ親しんでいますから「美味しい」といって食べますが、この味も初めての人にとっては何とも奇妙な味になるようです。和牛(イグアス移住地産)というからには肉は柔らかく(こちらは硬く塩味が基本。塩味以外もありますが)、豆腐とワカメの味噌汁がつきます。また生卵もついていて、熱い牛丼にかけて食べます。この生卵すら彼らにとっては驚きだったようです。こちらでは、甘いものは甘いものとして、塩辛いものは塩辛いものとして味付けするのが基本のようです。また味噌汁のお椀に口をつけて飲むという習慣もないので豆腐は食べても汁は残し、牛丼も残した方もいました。こんな状況なので私は写真を撮るのを忘れ、センタに戻って車の前で撮りました。
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勉強中(サンドバルさんと)(下)
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私の誕生日。手空きの皆さんが急遽集まってくださいました。歳をとったと私は言うことがありますが、「こちらの人はそういうことはなかなか言わないよ」とある方に教えられました。(写真はバリオ、セジャラ、サンドバル、フィデンシオ、前列 オルエ、私、K氏の各氏。)
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ある会社のパーティ(野外)
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クリスマスムード

商店街はクリスマス商戦たけなわです。飾りつけも済んでクリスマスの雰囲気を盛り上げ、市内の道路では各家の玄関前にキリスト誕生の場面を飾り付ける為の人形や動物、家などのグッズがあちこちで売られています。日本ではホワイトクリスマスも期待できますがここは夏ですから暑いのなんの。でもサンタはちゃんと帽子をかぶり、衣装を着てウインドウを飾っています。昨夜、内山田ホテルの方に尋ねました。「年末恒例の紅白歌合戦は毎年見ておられるのですか」と「時差の関係で31日の朝7時半頃から朝食を食べながらいつも見るんですよ」という話でした。



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展示されている車のメーカはSUZUKIです。
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12
25日(月)は祝日です。

Luque(ルケ)の町並み

Luque市(ルケ)はアスンシオン市に隣接しており、私達のセンタがあり国際空港もあります。町の中心地は私達のセンタから離れたところにあります。アレグアに行くにはサンロレンソを経由するルートの他にルケを経由するルートがあることからも知られています。かって三国戦争当時はLuque市に首都がおかれていた時代もあったそうです。このことから古い家並みが残されてもいます。また金銀細工が有名で幾つかの店もあります。


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Luque
の町並み。大きな建物はありません。
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公園には多くの市民がいました。 大きな木が木蔭を作っています。 DSCN3106.jpg
公園脇の道路。Comedor(食堂)が連なっていました。
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歩行者用に石を敷き詰めてあります。
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天井はありません。
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夕日に映える古いColonial 調の家並み。

車の部品調達(コアスター)

センタのマイクロバス(約20人乗り)ドア開閉スイッチの破損。

自国で車を生産していないということは部品調達等では大変な苦労をします。センタのマイクロバスはトヨタ車です。何時頃ドア開閉スイッチが破損したか知りませんが、運転手と親しくなってから何とかならないかという相談が持ちかけられていました。車のことなので部品があるかどうか聞いて無ければ日本から調達するしかないということを説明していました。丁度日本に一時帰国している同じプロジェクトの方がいたので、その方にお願いして探していただくことになり次の写真を日本に送りました。結果的には部品が見つかったので持ってきていただきました。



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中ほどで破損した部品

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lluvia de oro の花

lluvia de oro(直訳:金の雨)の花を紹介します。
街路樹としても結構あちらlこちらに見ることができます。実は40cm以上もある丸型の豆のようなさやになります。今が花の時期の様です。


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日本の藤の花に似ています。
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昨年の実が右手中ほどにいくつか吊り下がっています。
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今回の木はあまり大きくありませんでした。