CAAZAPAに行ってきました

812日(土)~813日(日)はCAAZAPAに行ってきました

☆ Asuncionからの距離:233km
バス会社: La Yutena(ラ ジュテーニャ)

往路(12日): 7:20 Asuncion  ⇒ 10:45 コロネドオビエド  ⇒  11:30 ビジャリカ   ⇒ 12:45 Caazapa
復路(13日):  8:00 Caazapa8:45 Cnel.Oviedo  9:15  ⇒  9:55 Villarrica  10:05  12:35 Asuncion
CAAZAPA
は小さな町で5区画(1区画100m)も歩くと町外れに出てしまうような気がしました。5区画四方の中にお店、教会、市役所、警察、病院、ホテル、電話会社、私立大学、小中高校があります。ここに暮らす人は良い人なので事件はまったく起きないそうです。また、この町で活動中のシニアボランティアの話をある方から伺いましたら、日本人が来るとどこで何を食べ、何を買って、何をして帰ったというようなことがたちどころに人々に知れ渡ってしまう程コミュニティは狭いようです。高い建物は教会の他には見当たりませんでした。ここでかってJICA地域医療プロジェクトが実施されたこともあってJICAの存在は良くご存知のようです。(ホテルで国籍を質問され「日本人」と答えましたら即座に「JICA」かと尋ねられました)町はゴミが少なく、通りに植えられた「Duranta」(タイワンレンギョウ)の植木が綺麗に刈り込まれ、整っているというのが印象でした。町の皆さんはこの植木を大切に育てているようです。深みのある緑の葉に新緑の若芽が陽の光を浴びて映え何とも言えない安らぎを感じます。この植木はアスンシオンンの住宅地にも数多く見られます。(今回の写真は陽の光が弱かったです)ホテルは4軒ありましたが何れも歩いて僅かな範囲にありました。土曜日の夜はビジャリカの町の様子と同じように、若者達がバイクや車で町内をグルグル回っていました。車からはボリューム一杯の音楽が流れていますが数は少なかったです。ホテルのオーナーの話では今夜はfiestaがあり、そのためにアスンシオンから踊り手や関係者が来るので部屋も一杯と話していました。貴方もまだ40代の歳のようだから踊りに行って来たらどうかとオーナに勧められ、私はもう老人だから踊りは無理と答えたのですが、そんなことはない若い若いといわれ、お世辞なのか本当にそのように見えてしまうのか暫く考えてしまいました。Fiestaが始まるのは夜11時からだというのです。日本ではおしまいの時間です。ホテルのオーナー(女将)は私に夕食をご馳走すると言っていながら、アスンシオンから到着した若者には従業員にこまかな指示をしていましたが、1030分を過ぎてもその動きがないので、部屋に入って持参してきた非常食用のパンを食べ寝てしまいました。このように田舎に泊まるときには非常食、水、蚊取り線香、キンカンは必需品です。

写真を紹介します。
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バス内部前方(このバスは運転席との仕切りがありません。地方路線はこのように仕切りがないのです。)マットのようなものが写っていますが、ここに助手が座って「テレレ」を運転手に注いで渡します。運転手は一人で長距離を運転しなければならず居眠り運転は許されません。でも助手(車掌)と「テレレ」を飲み話をしながら、バスを進めますので常に状態が良く保たれていると思います。
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アスンシオンバスターミナルの近くにある荷物預かり・発送会社です。長距離バスはここで目的地に送るべき荷物を預かり運んでいます。このため時々道端で荷物を受け取る人や、預ける人を見ることが出来ます。
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アスンシオンバスターミナル近くの建設工事現場:木製足場がまだ主流です。型枠を打ち付けコンクリートを充填し養生して取り外しという一連作業の繰り返しです。柱の細さ・鉄筋の少ない状況に注目してください。日本の建築は地震による荷重に対抗する為に鉄筋やコンクリート等のボリュームも半端ではありませんが、パラグアイは地震が無いのでこのように柱が細くても良いようです。どのビルを見ても、これで大丈夫と思うほど柱は細いです。
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バス路線沿いの売店: 客もこのような場所でバスを待ちます。立っているおじさんはバスの中に乗りこみ販売をする人です。(商品はちょうど蔭になってしまいました)
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ショッピングモール「MultiPlaza : ムルティ プラザ」: アスンシオンバスターミナルからサンロレンソに向って少し走るとこのショッピングモールがあります。品揃えは庶民向けのため家族連れや若者達で溢れています。
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CAAZAPA
のバスターミナル: 見たところ一台しか停まるスペースがありません。終着で客が全員降りるのかと思っていたらそうでもないので、「まだ何所かに行くのですか」と尋ねたら「Yuty」(ジュティ)に行く」というのです。距離を聞きましたら約100km先と聞いて驚きました。(地図を見ましたら89km)かなり内陸部にありますが、機会があったら是非行ってみたいです。多分ホテルも無いでしょうからここを拠点にして日帰りで行く方法しかないでしょう。
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CAAZAPA
のバスターミナルに隣接した公園
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CAAZAPA
の市役所
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CAAZAPA
文化会館
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電話会社(COPACO
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教会 「San Pablo
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教会に集まる子供達に 「写真をみんなで撮ろう」といっても殆どが逃げる様に立ち去りました。
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教会に集まる子供達: こちらのグループにも「写真を撮ろう」と声を掛けましたが、同じように皆逃げるようにしていました。
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左から水道用タンク、教会、電話会社のパラボラアンテナです。町にはこの他に携帯会社の高いアンテナが複数ありました。
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小学校の校舎の脇に咲いていた花
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高校の生徒が走り幅跳びの記録をとっていました。(土曜日の午後3時頃)
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教会に集まった子供達 :グループに分かれてお姉さんやお兄さんから歌や踊りを教えてもらっていました。
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お姉さんからダンスを教えてもらっています。このようなことがお互いの絆を強くしているかも知れません。
 
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植木「Duranta」写真集 ***

町の皆さんが植木を大切にしている様子が伺える写真をいくつか紹介します。
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コロニアル調の家と通りに植えられた「Duranta
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BIENBENIDOS A LA CALLE Gnel.BOGADO」と書いた看板がありました。「ボガード通りにようこそおいでくださいました。」と書かれています。
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CAAZAPA
と刈り込まれています
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写真は日の出後
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土曜日の夕方、黄昏時の町の様子***
 
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黄昏時:町を歩く家族
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黄昏時:町外れの民家の家畜 無事一日を終えようとしています。
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黄昏時:近くで行われているサッカーの試合を見に行く子供達
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CAAZAPA
の通り
 
*** CAAZAPA
の早朝の様子***
 
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民家です。早朝のためまだ灯りがついています。真中に井戸がみえます。このような竹のフェンスも田舎では良く見られます。
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石畳の道路:右手に篭のようなものが二つ見えますがゴミを捨てる篭です。犬や猫が荒らさないように高く作られています。
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Hotel
 JUNIORHotel BRASILのある通り 早朝なので看板は灯りがともされています。
 
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コロネドオビエドのバスターミナル ***

以前も紹介したかもれませんが、イタイプという会社が寄付した建物です。ここにはアスンシオンを出て3時間で着きました。ここはハブ的役割のターミナルの為、利用客も多いと思います。私はここでいつも運転手にトイレに行ってきますと言ってバスを降ります。乗務員からアナウンスはありませんので此方からアピールをしないといけません。トイレは有料で日本円で約20円で国内共通です。私は必ず請求されています。まだ新しく綺麗で洗面所も気持ちが良いです。
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左側のおばさんの肩に担がれたものはお客に売るものです。中ほどには動物のマスコット人形を沢山もっている売子さんもいます。

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