『信州発国際協力駒ヶ根訓練所NEWS』2008年新春号に掲載された横田さんの記事
2月4日(月)
雲ひとつ無い晴れ渡った空が広がりました。
カラットしたさわやかな空気でも、日中の日ざしは刺すように強かったですが、木陰に入れば凌ぎやすい気持ちの良い一日でした。
Antes de salida del Sol.
朝 5時45分頃日の出前:上に見えるのは月です。
CITEC-FIUNAの中庭:空は晴れています。
CITEC-FIUNA
☆★☆★☆★☆★ Las fotos del ocaso ☆★☆★☆★☆★
夕方 18時50分頃の撮影です。
東の方向を望む(Este):日を浴びて反射しています。
Cerro Lambare (ランバレの丘)が浮かび上がって見えます。
Centro を望む
Avenida Silvio Pettirossi 沿い
手前は入り江、奥が Rio Paraguay 本流。
Rio Paraguay 上流に架かる、レマンソ橋(Puente Remanso) が夕日を受け反射しているのが見えます。
2月2日(土)~ 2月3日(日)
最高の天気の中を、ルータ3号沿線の5つの町や村を訪れました。
Sta. Rosa del AGUARAY(サンタ ロサ デル アグアラウ)、Lima(リマ)、Resquin(レスキン)、Liberacion(リベラシオン)、Chore(eにアクセント)(チョレ)です。
Asuncion ⇒ 281km(Ruta3号経由) Sta. Rosa del AGUARAY (Ruta2号経由は326km)
往路(2日)
Asuncion 6:15 発 ⇒10:05 着 Santani 10:10 発 ⇒ 11:00 Liberacion ⇒ 11:10 Resquin ⇒ 11:25 Lima ⇒ 11:30 着 Sta. Rosa del AGUARAY
復路(3日)
Liberacion 13:05 発 ⇒ Asuncion 17:25 着(Super Espana) (nはエニェ)
Sta. Rosa del AGUARAY は ルータ3号沿いの町で、San Pedroに向かう道路の分岐点でもあります。
このSan Pedroという町に私は一昨年行こうとしましたが、保安状況が良くないので「渡航禁止」ということでまだいっておりません。
アスンシオンバスターミナル:朝6時15分発のバスに乗るため、家を5時半に出てターミナルに向かいました。まだ辺りは暗かったです。
バスを降りた場所:バスターミナルは無いようです。
教会
Ruta3号沿いの肉屋
家具製作:このようなところにはなかなか入れませんが、二人が仕事をしていたので入ってみました。
モータの電源を切って仕事を中断したので、「迷惑をかけたくないから続けてください、私は写真を撮らせていただきたいだけです」と説明しましたが、「どこから、何しにきたのか?」と陽気な感じで質問されてしまいました。
兄弟:お兄さんはEnrique(34歳)、弟はAureriano(28歳)です。家具製作を教える学校があるのか尋ねましたら、AsuncionのCentro Paragyayo Japonesa に教室があると言ってました。
奥から家具のモデル写真ファイルを持ってきて私に見せてくれました。
Enriqueさんが作ったドアです。
Enriqueさんと奥様のLuisa(22歳)さん。
二人ともアスンシオン生まれだそうです。何故、何時、此処に来たのか尋ねたら、二年前に結婚してこちらに来たんだそうです。エンリケさんの話では、アスンシオンは住みにくいんだそうです。
素敵な奥さんが自慢でもあるようなエンリケさん、幸せ一杯でした。
学校の鞄です。引いて歩けるタイプとリユックタイプをアスンシオンでは見かけますので、これは今年一年生になる子供達用でしょうか。非常にカラフルで、日本のランドセルタイプとは異なります。
こちら側も、向こう側も木陰でバスを待つ人達です。今日のように暑い日でも木陰の下は別天地です。
昼食はここから近くの食堂でコーラとハンバーグでした。
Municipalidad de Santa Rosa del Aguaray
木の柵をめぐらせた民家
木の柵をめぐらせた民家
木造家屋が目につきました。
Sta. Rosa del AGUARAY にはバスターミナルがありません。Ruta3号でのバスの乗り降りも、今日の状況では危険が増加しています。
ということでバスターミナルを建設中。この建物が完成すると、遠くに見えるバラック建てのものが入居するらしいです。真ん中広場がバス停車場になるようです。写真右側(見えませんが)にもこのような建物を建設中でした。
このバラックの建物(殆どが食堂)は将来(バスターミナルが完成すれば)なくなるんだと思います。
中国製バイクです。
日本のメーカ、YAMAHA と SUZUKI を足したような メーカ名には笑ってしまいます。
バイクは日本メーカのものが主流だったようですが、今や価格では絶対に中国製等が安いため人気があります。
Ruta3号とSan Pedroに向かう道路の分岐点付近は拡幅工事中です。
露店のおじさん:写真を撮っていたら俺も撮ってくれ!と呼び止められました。韓国人、中国人?日本人か!何しにきたんだい?と定番の質問を受けました。
地図を見ると町の近くに川が幾つかありました。
浮き輪も道路わきで販売していました。
Sta. Rosa del AGUARAY 13:55 発 ⇒ Lima 14:00 着
LimaはRuta3号から5km位脇に入った高台にありました。静かな村だったです。
ここでも主な産品は、大豆、小麦、「カァア ヘェエ」です。
この車がこの辺りの村をまわって客を運んでくれます。
Sta. Rosa del AGUARAY と Liberacion の間をこのタイプが数台で運行していました。
教会建物:結構広い敷地の中にありました。
私と一時話をした皆さん。皆で遊びに出かけるところだったようです。この村には何かあるか尋ねましたら、先に3町程歩くと、川があって泳げるところがあると教えてくれました。
教会の周りの家:左の家の前にも、右のバイクの止まっている近くの木の下にも、椅子を並べて腰掛け雑談しています。休日はこのようにして時間を過している人たちの多いこと。最近は私の方から皆さんへ先に挨拶の言葉を掛けています。
村内道路
川に向かって歩いた道:細かい砂の道でした。
目の前に現れた川:地図からすると Rio Aguaray Guazu (uにアクセント)だと思います。
川に浮いていた小船:漁師のものでしょうか。泳いでいる人はいませんでしたが、老人二人が木陰で話しこんでいたので、こんにちはと挨拶しました。
浅瀬を泳ぐ幼魚
Municipalidad de Lima
好天で日差しも強く、喉が乾いたのでバスを待っていた、向かいの店でコーラを買って飲みました。
店の前の椅子に腰掛けた店のおばさんが何かと話しかけてきて、情報を下さいました。
木陰の椅子に腰掛けて私はバスを待ちました。ここから今夜宿泊するホテルがある隣のResquinへ移動します。
Lima 15:20 発 ⇒ Resquin 15:50 着
このあたりで生産されるのは、大豆、小麦と「カァア ヘェエ」(後述)です。
Resquin に移動中(車窓から)
Resquin に移動中(車窓から)
Nunicipalidad de Resquin
民家
水が不足がちのようです。
村外れの様子
教会
このあたりで生産されるのは、大豆、小麦と看板の二行目に書かれている、「カァア ヘェエ」です。この看板は生産者から、「カァア ヘェエ」を買いますよ!というお知らせ看板です。
「カァア ヘェエ」は植物の葉から採れるそうですが、製造工程はしりません。植物の背丈はそんなに高くないと聞きました。植物の名前は「イエルバ ドゥルセ」というそうです。
完成品は液体で砂糖より数倍も甘味が強いのが特徴で私が見たのは小さなビンで売られていました。
バス停車場とタクシー乗り場
モニュメント
商店
ルータを走る大型トラック
製材所
製材所の写真を撮っていたとき、木陰で休んでいた裸のおじいさんに呼び止められました。おばあさんは木に吊るしたハンモックのなかで休んでいました。二人と話をしていたら奥の建物から出てきた子供達です。全ておじいさんたちの孫だとわかり、写真を撮りました。
おじいさんの孫達
左から5人、次は2人、次は1人がそれぞれの兄弟だそうです。三家族の子供達で従兄弟どうし。
泊まったホテル
庭に大きなトラックがあったところをみると、ご主人は運送業をされているようです。
ホテルの部屋:ベットは木製でなくて、タイルが張ってあることからモルタルで作られてるんでしょうか?
蚊に刺されるのを嫌って、持参した蚊取り線香を使いました。エアコンと天井の扇風機がありましたが、体に掛けるものは何もなく、持参したパジャマだけで寝ていました。
暑い中を歩き回り喉がカラカラ。ホテルの隣の食堂で先ずビールを飲みました。ハエが沢山いたのにはまいりました。
1リットル瓶をつまみなしです。こちらではつまみという習慣がないように思います。
別の食堂で夕食:ここにはハエはいませんでした。
マリネラ(肉にころもを厚めにつけて揚げたもの)とマンジョウカ。美味しかったです。
ミラネサとマリネラの作り方の違いを知りませんが、材料は小麦粉と水と玉子を混ぜ合わせたところに、肉を入れ、油で揚げるようです。ころもがふっくら厚みがあるのが特徴です。ミラネサは小麦粉のころもの厚みは薄く肉の存在感が大きいです。
黄昏時、ルータからバスに乗って移動する人達
露店で売られていた、串焼き(ブタ肉)
Resquin 8:10 発 ⇒ 8:35 着 Liberacion
レスキンからリベラシオンまで、路線を走る小型マイクロバスで移動しました。
LiberacionはChoreに向かう道路の分岐点にある町です。
Liberacionへ移動中越えた川:地図からすると Rio Jejui Guazu (Jejui の i にアクセント、 Guazu のu にアクセント)
バスを降りた地点:写真左に分岐する道路がChoreにのびています。
地図を見ると、Colonia Liberacion という書き方もされています。
教会:日曜日の朝なのでミサが行われていました。建物は小さいです。
Chore(eにアクセント)はこの石畳の道の15km先です。
Liberacion 8:50 ⇒ 9:40 Chore(eにアクセント)
Chore(eにアクセント)はタバコ、大豆の産地です。
Chore に向かう途中で
小さな川を越えました。Rio Jejui Guazu (Jejui の i にアクセント、 Guazu のu にアクセント)の支流のようです。
根気良く石を敷き詰めたものだと関心します。アスファルト舗装するときはこの上に砂目地、乳剤散布してアスファルトで覆います。
Choreにあったホテル
教会
私を案内してくれた少年: Ranulfo David 君(15歳) と 70ccのバイク
Liberacionの教会に行く前に、露店でバイクタクシーがあるか尋ねたんです。でもまず教会の写真を撮って、それからバイクタクシーでChoreに向かえばいいと決めて、教会に向かって歩いていたら、この少年が後ろから追いかけてきて、俺はバイクタクシーだ。Choreまで行ってやるといってきました。多分露店のおじさんが指図したんでしょう。
往復、リックは少年に背負ってもらいました。
Municipalidad de Chore
Liberacion はChore と同じ行政です。
Choreのセントロ
バイクは少年のもの。家の中から彼のおじさんという人が出てきて私と挨拶を交わしました。
ここで私は持ってきたアンパンを彼に差上げました。途中で朝飯を食べたかと?聞いてきたので、これは少年が腹を空かしているな!とわかり持ってきたパンをあげるよ と約束しました。ボトル一本半の水も、少年が往復の道中で殆ど飲み干しました。ごらんのとおり強い日差しを約二時間浴びていましたから。
砂地の様子がよくわかります。
馬車
突然こんな姿で スミマセン !!。
バイクに乗ってる間、約二時間強い日差しを浴びこのとおり私の首筋と両腕は真っ黒に日焼けしてしまいました。
長袖シャツを持っていたので上に着るべきだったと後で反省しました。
此処が村の中心地でバスターミナルの場所でもあるそうです。この村はアスファルト舗装道も石畳道もなく、砂地だけの道路でした。今日の空は、雲ひとつありません。空の青さをごらん下さい。
パン屋さん
Liberacionに戻る途中、1km位脇に入ると、水遊びをする場所があるからと、少年は特別案内してくれました。
4人のおじさんたちが、川の砂を上げたりして環境を整えて村人が来るのを待っていました。
脇にはステージがあって、音楽の準備をしていました。
牧場
牧場主の家
この石畳の道路を往復しました。(15km×2=30km)ガタガタとバイクは振動し、あまりの酷さに途中でChoreに行くのを止めようと思ったこともありました。でも時間に余裕があったので、少年に私は急がないからゆっくりで良い。私に一番大切なことは、転んで怪我をしないことだ、と何回も後ろから言い聞かせました。道路の端の砂地はバイクが尻を振ってしまいとても危険でした。村ではこの部分に定期的に散水車を出して水を撒くようです。(埃防止?)
Chore 10:05 発 ⇒ 11:05 着 Liberacion
Choreを見てから少年のバイクで、石畳の15kmの道をLiberacionに向けて戻りました。
Liberacionに着いて少年に運賃を支払い早速昼食です。いつものタジャリン、鶏肉、マンジョウカ、パン、コカコーラのメニュー、喉がカラカラでコーラ二本あっというまでした。
鶏肉が美味しかったので、焼いたのを買ってきたのかと尋ねたら、「私が焼いたんです」「焼き方は秘密」と笑っていました。
食事をして、トイレを借りようと頼みましたが、乾燥した天気のため、水が出ないからと断られ、それではと向かいのガソリンスタンドに行って頼んでも、経営者が鍵が掛けてしまってる。というので仕方なし村外れまで歩き、草むらで用を足しました。
旅をしていて、一番大変なのがトイレの心配です。幸いおなかをこわしたことがないので、その点は今のところ問題ないですが、こちらの人は家の中から外を見てる人が多いので・・。
ルータの標識
町の建材屋
通りの露店
Ruta:右に分岐するとChoreへ。すぐにアスファルト舗装はなくなり、石畳の道路が延々と続く道です。
Liberacion でAsuncion に戻るためのバスを待ちました。
30分位待ったらバスが来たんので、車掌にアスンシオン行きか尋ねると、そうだから乗れ!というので乗ったんです。切符を買う時に、後ろで客が携帯電話で話してる内容を聞いてると、私の計算よりも1時間半も時間がかかってアスンシオンに着くと言うので、車掌に何処を経由してゆくか尋ねると、コロネド オビエドを経由すると判り、時間がかかるので途中のTacuaraで降りて、25 de Diciembre 経由のバスに乗り換えました。再度45分間バスを待ちました。
バスのフロントガラスには、Asuncionとしか表示していません。これでは騙されてしまいます。他社との競争が激しいためにこのバスのように正しく表示してない可能性があります。
土地勘があれば乗る前に聞き込みできますが、私のようなものにはそこまでは無理です。
こういう経験は他にも数回しています。
Liberacion 13:05 発 ⇒ 14:10 着 バス乗り換え Tacuara 14:55 発 ⇒ 17:25 着(Super Espana 前)