広大な大豆畑:ルータ5(バスの車窓から)
広大な大豆畑:ルータ5(バスの車窓から)
広大な大豆畑:ルータ5(バスの車窓から)
広大な大豆畑:ルータ5(バスの車窓から)
郊外にある大豆用サイロ
バスターミナル(整備されていました)
バスターミナル
この写真に写っているのは全てブラジルの国です。この通りが国を分けていると聞きました。
この道路の左がパラグアイ国、右の建物は全てブラジル国なのだそうです。
バスターミナル近くの公園の池。奥に見えるのはスポーツ競技用ドームです。
公園に置かれた馬車
町の中のスーパーマーケット。建物は結構大きくて1区画ありました。(写真奥方向が)
ある家の前の大きなサンタ リサの花
カバジェロの町のある通り。アスファルト舗装は少なく、コンクリート製多角平板(結構厚いです)が゙多く使われていました。
作成者: yokota
Pedro Juan Caballero その3
教会:なぜかPLAZAのなかに威風堂々とした建物ではなかったので私は多少がっかりしました。
教会正面(道をはさんだ向い側の庭より)
日本人移住者の協会建物
アマンバイ県の日本人協会
入植記念碑
園児募集のポスターが入り口に掲載されていました。
日本人協会文化本部
入植50周年記念碑(昭和31年入植・・・・終戦11年後)
道で売られるテレレの薬草。木の臼(写真:左側)に客の好みの薬草をいくつか入れて、小さな杵でトントンと突いて砕きます。これを持ち運び可能なポットに入れ冷水を注いで飲みます。(私は飲んだことがありません)
ショッピングセンタが郊外にあるというのでNO.2のバスで行ってみました。バスの運転手に「センタはこの道を真っ直ぐ歩いて行けばある」と教えられバスから降ろしてもらいました。
この先にあるというので傘をさしてこの道を歩きました。
バイクが市民生活の足です。3人乗り、4人乗り当たり前です。この広い大地で生きて行くには一人しか駄目・・・・・なんてこと言ってたら暮しが成り立たちません。
郊外のわき道
Pedro Juan Caballero その4
ありました。ショッピングセンターが。とても大きい建物でしたが名前が「SHOPPING CHINA」でした。最近建物の拡張をしたそうで一部まだ商品を陳列してないスペースがありました。建物は飛行機の格納庫みたいに大きくて、柱が少ないのにはビックリしました。
いまや中国製品はどこにもあります。土産も気をつけないと中国製がかなり出まわり始めていますので必ず裏を見ないと・・。スーパーで売られている菓子でさえ中国製がありますから。
駐車場も綺麗に整備されています。
ショッピングセンタ前の道路は綺麗に整備されていて、客が車でセンタに入り易く、また交通事故が起きにくい構造で作られていました。センタ前はパラグアイとブラジルの国境のようです。客は両国どちらも可能でした。
センタ近くの道路(多分この道路に国境があると思います)
再びNO.2のバスに乗りバスターミナル近くに戻り昼食。またしても「タジャリンとマンジョウカ」です。今日は鶏肉をいただきました。
食堂から交差店の風景(サッカーの大会があるらしくてユニホームや国旗が売られていました。)
食堂から交差店の風景
食堂から交差店の風景
食堂から交差店の風景
帰りのバスの車窓から(窓を開けることができずこのような写真です)広いことだけはおわかり頂けると思います。
帰りのバスの車窓から(窓を開けることができずこのような写真です)全てが牧場に適している訳ではなくて、このように湿地帯もあります。こういうところにいろいろな動物や鳥や蛇などが生息していたんだと思います。
Sapucaiの紹介
Sapucai 2007.1.10(水)
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ルータ1のParaguariから更に21km左に入るとSapucai(サプカイ)村です。Paraguariから未舗装の道路が伸びています。天気が悪い時は道路が滑ってしまい多分車の通行は難しいと思います。途中数カ所道路拡張工事が行われていて、横断暗渠建設等も幾つか着手していました。現在の道路幅員と比べると大幅に拡張される設計です。これはこの道路がビジャリカに続いているのでそのあたりを織り込んで設計されていると思われます。
距離はアスンシオンから84km、途中ポイントParaguariから左に進み21km位です。
往路(10日): 9:35Asuncion発 ⇒Paraguari 11:10 着11:30発 ⇒ Sapucai 12:30 着
復路(10日): 14:00 Sapucai発 ⇒ Paraguari 14:40 着15:00発 ⇒Asuncion 16:50 着
Sapucaiは小さな村ですが道路が拡張舗装されればかなり交通量も増えると思います。(ビジャリカ方面に行くにはこのルートが一番近くなる)ここはかって鉄道が通っていて、アスンシオンからビジャリカ、エンカルナシオンそしてアルゼンチンのポサダスまで行けた時代があったそうです。村の大きな広い通りには今だ鉄道のレールを見ることができました。鉄道時代は今よりも活気があって、鉄道廃止とともに衰退したんだと思います。この辺りに住んでいる皆さんにとっては道路完成は悲願のように思えました。
朽ち果ててきている教会。住民の気持ちは一体どうなんだろう?今まで訪れた村の教会は全て整備されていてそこに暮らす人々の拠所になっている気がしておりましたが、この村の教会は違いました。
何か手がかりと思って探したところ次の碑を見つけました。
朽ち始めている教会建物
見る人に訴えています。教会の敷地の隅にあったこの碑は、辞書で調べると、この朽ち果ててきた教会の状況を憂えた人達が多分作ったものだとおもいます。
この村は前も後も丘が連なっているため、農業や牧場を営むにはそれなりの面積確保が難いという問題があると思いました。
かっての鉄道線路が雑草に埋まっていました。(アスンシオン方向)(撮影時カメラの紐も入ってしまいました)
(ビジャリカ方向)線路が土砂の中に埋まっていました。(撮影時カメラの紐も入ってしまいました)
村の通り。右手に丘が見えます。(カメラのヒモが写ってしまいました。)
昼食を食べた「BAR LA DELICIA」(バアル ラ デリシア)。ご主人が俺の腹を見てよと言わんばかりに(そんなことは無いですが・・・そのくらい気を使わない)上半身裸で奥から出てきて私に話しかけてきました。「丘の上に行けばこの辺り一帯を見渡せるから行かないか。車できたのか?」。彼はこの村の警察署の警察官だそうです。「警察署の車で案内してあげる。まず、丘の上に行きそれから希望があればどこかを案内しても良い」という申し出で「まあ車の燃料は負担してもらうが」という内容でした。
私は帰りのバスの時間も気になっていたし、時刻は既に午後でもあり「今日は時間が無いから次の機会に」ということで食堂を出ました。 「うちには道路拡張工事の技術者が食事によく来てくれる」とか、「ビジャリカの近くは既に拡張工事も終っているからここらを含めてこのルートが完成するのは1年以内ではないか」という期待の言葉も聞きました。
「タジャリンとマンジョウカ」。パラグアイにはこれしか無いのかと言われそうですが、他の肉料理は私は食べれないのです。例えば餃子の巨大な形をした「エンパナーダ」があります。でもこれは油で揚げてあるので私にはむかない食べ物なんです。今日は牛肉を少しだけお願いしました。
左手奥に丘が連なっています。
やけに街灯だけが立派に光っていました。
写真を撮りながら村の中を歩き、バス停にいた3人の大人に「暑いですね」と声をかけました。おばあさんだけが返事をしてくださいました。私はそれからまだ少し先まで歩いて行き、写真を幾つか撮ってそのバス停まで戻り、先程のおばあさんと話をしました。皆さんはラ・コルメナからここまで医者にかかるためにやって来て、他の2名は息子さんとお嫁さんだというのです。おばあさんに「子供さんは何人ですか」と尋ねると「9人」だそうです。農業で暮しをたて、耕作面積は4Ha(4町歩)、綿花、野菜、果実などを栽培されてるそうです。
Municipalidad de Sapucai
黄色い花をつけた大きな木。傘を差して歩く婦人。
ホテルはありませんがここで宿泊ができると聞きました。
おばあさんにプールに水を入れてもらっていて楽しみに覗き込んでいる孫達。(1歳:右)
アイスクリーム屋さんの店先
竹で作った垣根・・・・・この垣根は田舎ではよく見掛けます。
垣根の中から出てきて道で遊ぶ子豚。犬も暑さでまいっています。犬はニワトリを追いかけず、また豚とも仲良しのようです。動物も自由に生きていると小さい時にいろいろ学習してしまい、他の動物とは騒ぎを起こさないようです。暑さでそれどころでないのかも知れません。
民家の井戸とタンク(現在は使われているかどうかはわかりませんが、このお宅の井戸は綺麗にペンキが塗られていました)
いずれの写真にも殆ど人が写っていません。このためだれもいないような感じをうけますが、決していないのではなくて、皆さん家の日陰部分に椅子を置いて必ず外を眺めています。ですから私が村のどこでどのような写真を撮ったか全ておわかりなのです。居ないと思っても必ず見ている人がどこかしらに居るんです。どこの村に行ってもこれは共通しています。(これがパラグアイなのです・・・・私は常にこれで驚かされますから)
Caraguatay その1
Caraguatay 2007.1.7(日)
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Isula Pucuから更に11km入るとCaraguatay(カラガアタウ)村です。道路脇には大きなバナナ畑がいくつかありました。この村から更に10km位入ると国立の公園があるようです。でもバス路線が無いためそこまでは行けませんでした。今日は午前中Caraguatay(カラグアテウ)に行き、次にIsula Pucu(イスラ プク)、うまくゆけば「1°de Marzo」(プリメーロ デ マールソ)まで足を伸ばすのが目標です。
距離はアスンシオンから95km、途中ポイント Eusebio Ayala から左に進み23km位です。
往路(7日): 9:00 Asuncion発 ⇒ 11:10 Caraguatay着
復路(7日): 12:10 Caraguaty発 ⇒ 12:30 Isula Pucu着
Caraguatayの教会では結婚式が行われていた様です。(後でわかりました)ここに住んでいる皆さんも、教会周辺を綺麗に保つ努力をされているようでした。村にはバスターミナルは無くて、村の入り口にあったガスリンスタンドがその役目をしている様子でした。
バスを降りた所
この道を先に行くと国立公園がある。
教会正面
この写真を撮る前に、挙式を終えた新郎新婦が教会を後にしました。
教会
教会周囲の家
教会周囲の家
綺麗に刈り整えられた並木
この通りの木は見事に手入れされていました。子供達はサッカーを終えて家に帰るところです。急いで写真に入ろうとしてくれました。
Caraguatay その2
通りには豚の親子も出てきていました。
中央分離帯の木も大きく茂っていました。歩道もスペースがあれば極力緑地帯を作っています。
民家
Municipalidad de Caraguatay
教会から見た周りの建物
古い建築様式の建物
民家の庭にバナナが実っていました。
村内の道路
Isala Pucu
Isala Pucu 2007.1.7(日)
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位置的にはここIsula PucuはCaraguatayと「1°de Marzo」に向う道路の分岐点といえます。
私は午前中Caraguatay(カラグアテウ)に行き、次にここIsula Pucu(イスラ プク)まで戻ってきました。ここは「1°de Marzo」(プリメーロ デ マールソ)に行くためのバス乗り換えポイントです。
距離はアスンシオンから84km、途中ポイント Eusebio Ayala から左に進み12km位です。
腹がペコペコでしたからバスを降りたところにあった食堂「Mister”0”」で昼食を注文し「1°de Marzo」に行くバスの時間や、今日これから午後の天気がどのようなものか、おじさんに尋ねました。おじさんはバスの通過時刻は全て頭に入っており私にとっては有益な情報が得られ、「1°de Marzo」まで行っても大丈夫という判断がつきました。時刻と天気によっては、このままアスンシオンに帰ることも考えていました。でもおじさんによると「雲が多いけど雨は降らない、最終バスは日曜日だから17時台が最終になるだろう」ということだったです。「1°de Marzo」までの所要時間を尋ねましたが「行ったことがない」という返事でした。約20分後にバスはここを通過するだろうというので、時計を気にしながら教会と役場に行き写真を撮って戻るとおじさんの言ったとおり、バスは直ぐそこまで来ていました。
(7日): Caraguatay 12:10 発 ⇒ 12:30 Isula Pucu 着
Isula Pucu 13:30 発 ⇒ 14:30 「1°de Marzo」 着
アスンシオン方向・・横断幕は食堂 Mister”0″の企画の案内
食堂 Mister”0″
お馴染み「タジャリン」
この狭そうな石畳の道を先に17km進むと「プリメーロ デ マールソ」村です。
Isla Pucuの教会
教会全景
教会建物後方からの遠景
教会道向いの広場にあった動物競り市の囲い(だと思います)
Municipalidad de Isla Pucu
主要道路に面したカラオケ店・・・ビリヤードなどもありました。
「karaoke」の看板。ここにも Made in Japan がありました。
「1°de Marzo」 その1
「1°de Marzo」 2007.1.7(日)
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最初はCaraguatay(カラグアタアウ)に行き、次がIsula Pucu(イスラ プク)、そして最終がここ「1°de Marzo」(プリメーロ デマールソ)でした。
アスンシオンからの距離は101km 途中のポイントIsula Pucuから左に道を進み17km先です。
道路17km全区間未舗装で石畳です。よく石を敷き詰めたものです。全て手作業で行われますから根気のいる仕事です。途中広大なバナナ畑が道の両側にいくつもありました。ここはバナナの産地のようです。初めてバナナ畑を見ましたが、どの木も大きく育っていました。また、道路沿いの家々には家族が椅子に腰を掛け丸く陣取ってマテ茶を飲んで話をしている姿を多く見ました。家の周囲には家畜の豚や牛、ニワトリ、馬がいてあるところでは牛が群れて道路上に出てきて道路脇の草を食んでいました。
教会の傍で降ろして下さいと車掌にお願いし、帰りのバスの時刻も尋ねました。15時30分、16時30分、17時30分だと教えていただきました。
バス:Isula Pucuでアスンシオンから来た「1°de Marzo」行きのバスに乗り換え
往路(7日): 13:30 Isula Pucu発 ⇒ 14:30「1°de Marzo」着
復路(7日): 15:30「1°de Marzo」発 ⇒ 18:00 Asuncion着(スーパーPueblo前)
「1°de Marzo」(プリメーロ デ マールソ)はすこし奥にある村でしたが、教会はきちんと手入れもされていて、ゴミを散らかさない様にと書かれた看板もバス停にありました。ここに住んでいる住民の気持ちの現れでしょうか。バス停は整っていてしかもベンチがとても綺麗にペンキで塗られていたことも印象的でした。
バスを降りた場所(左側がPLAZAです)
バスを降りた場所の近くに駐車中のバス。日曜日の為本数が少ないので出番なし。
バスを降りてこれら2枚の写真を撮っていると、次の写真の娘さんが私に話し掛けてきたのです。田舎にゆくと、誰もが私に対して挨拶をしてくださいますので私も田舎に行ったときには、こちらから先ず「ブエノス ディアス」「ブエナス タールデス」、子供であれば「オラ」という挨拶をしています。なぜ娘さん達が声を掛けてきたのかわかりませんが二人とも閉った店の前で椅子に腰をおろしていました。私に「椅子に腰掛けますか」と聞いてきたので「掛けたい」と申し出椅子を用意してもらいました。結局娘さんのお母さんも出てきたりして私が写真を撮りたい場所を案内してくれるということになり、一緒に辺りをまわりました。日曜日だったんですることもなかったんでしょう。
最初は写真を嫌っていましたが、帽子をかぶった方の娘さんが応じてくれ二人揃っての写真となりました。二人とも15歳から17歳の年齢だそうです。
プールで楽しむ子供達
私を案内してくれた家族の息子さん(プールから出てきて「写真撮ってくれ」)
私が写真を撮るよー!と掛け声をかけましたが一斉に「ドボン」とはゆきませんでした。
村はずれには子供が遊べるプールがあって、子供たちの歓声があがっていました。
木蔭で団欒中(日曜日の男衆は昼間からビールを飲んでいる姿も見掛けます)
Municipalidad de 1°de Marzo (村の規模は小さいです。)
黄色い花を咲かせる大木(村内)
「1°de Marzo」 その2
教会のあるPLAZAに黄色い花の木がいっぱい。
広いです・・・大木の花も見事。
夏の暑さにも負けず!! これが夏定番スタイル。
教会建物
教会のクリスマス飾り
村外れの景色
学校の校舎
家の周りの家畜(牛君がうまく アイコンタクト してくれました。くつろぎ中のところお邪魔してしまいました)
最後は彼女達が働いている店の所有者(ドウエニョ)の庭に案内され、コカコーラをご馳走になりました。お金を払いますと申しでましたが、車座になって話し込んでいた所有者の家族(3名)のうちおかみさんと思われる太った女性が「私が貴方におごりますから」ということでした。とても冷えていて思わず「リッキシモ(ウマイ)」と声を出したら、それを見ていた皆さんが一斉に大笑いです。暑さで喉がカラカラでしたからとても美味かったです。
皆さんに私の今後の予定を伝えると「帰国する前に貴方はもう一度必ずここを尋ねてください。」とおかみさんにいわれました。
「帰るバスの時間が迫っているから」と促され、「二人の娘さん達をバス停まで案内させる」ということで庭を出て歩き始めました。バス停まで着かないうちにバスが来てしまい、私は大きく手を振ってバスに待っていてもらい、走って行きましたが汗ダクです。しかも既に車内は満員、結局アスンシオンまで2時間半座ることもできず、立ったまま帰ってきました。
Valenzuela その1
Valenzuelaに行ってきました。 2007.1.6(土)
距離は102km 途中のポイントItacurubi de la CordilleraからValenzuelaまでは15km位です。…・この区間の道路は未舗装…・石畳道路です。
バス:内山田ホテルから27番のバスに乗り スーパーPueblo前でValenzuela行きに乗り換え
往路(6日): 10:00 Asuncion発 ⇒ 13:00 Valenzuela着
復路(6日): 14:00 Valenzuela発 ⇒ 14:50 Itacurubi着
Itacurubi 16:25発 ⇒ 18:10着 Asuncion(スーパーPueblo前)
バスは一旦ルータ2号をItacurubiまで行き、村の中心で客を乗り降りさせ、折り返してルータを村外れまで戻り分岐道路に入りました。分岐沿道を先に進むと、一帯には広大な砂糖キビ畑があったり、良い牧草を生やす為に地面を掘り起こした牧場もありました。今日も車掌に「教会の近くで降ろして下さい」とお願いしておきました。暑い日で傘をさしながら村内をウロウロ歩き教会の周りをウロついていると、声を掛けられ「もっと先に行けば眺めの良い場所があるのに何故行かないの」と尋ねられましたが、確認したらとても歩い行ける距離ではありません。バスは其の先に行くようですが私の持っている地図には集落もありませんし時刻表も無いので止め。
***** Valenzuela *****
バスターミナルは村の入り口付近ンにあるガソリンスタンドが其の役割をしているようでした。昼食はサンドイッチ(ハム・チーズ)とコカコーラです。
ルータ2号から・・・・・ウパカライ湖の湖面が遠くに望めます。(バスの車窓から)
この時期、黄色い花が沢山咲いています。(聞く人毎に木の名前が異なり現在まだ正確に把握しておりません)。(バスの車窓から)
遠くの丘に沢山黄色い花が咲いています。(バスの車窓から)
黄色い花をつけた木々(バスの車窓から)
途中の景色(バスの車窓から)
牧草がしっかり生えている牧場(バスの車窓から)
Valenzuela の教会。この村に来るまでの道路は15km未舗装にもかかわらず、教会の周囲のPLAZAも美しく手入れが行き届いていました。・・・この村に住んでいる人々の気持ちや農業収入をちゃんと確保している豊かな村の証だと思います。
教会への小道(植木の種類も豊富)左手から
教会正面左手の広いスペース。
教会左手に植えられた木の花(日本ではさるすべりという木にに似てます)
教会正面(右手にもさるすべりの木が見えます)
教会への小道(植木の手入れも行き届いています)右手から