ラパチョの花、内山歯科

黄色いラパチョの花は春の到来を意味します。
この花は「Agost Poty」(アゴスト ポツウ)といい、この花が咲くと「冬が終る」という言い伝えがあるそうです。(内山歯科先生の話)こちらでは辺り一面に咲いているとか、日本のどこかの公園のように桜が沢山植えられていて一斉に咲くというような状況は見当たりません。また花をめでて花の下で一杯!というようなことも見られません。通勤の車の中から黄色い花が咲いているのを見つけても車を停める訳にはゆきませんので(マイカーではありませんから)写真を撮る機会がなかなか得られませんでした。
数少ないですが紹介します。
  Dscn1883.jpg
センタ近くの道路に咲く花
 Dscn2064.jpg 
ホテル内山田近くに咲く
 Dscn2069.jpg 
ホテル内山田近くに咲く
 Dscn2070.jpg 
アスンシオン大学構内
 
*** ADSL
2回目勉強会開催***
9
月7日(木)に第二回目のADSL勉強会開催されました。私が作成した資料を同僚のIng.Venitez氏が説明し、私が補足説明をするという方法で行いました。テーマは日本のサービスの現状として、フレッツADSL、フレッツISDNBフレッツ、ATMサービスについてです。フレッツADSLは各サービス品目と月額料金、アクセス回線構成、ケーブル心線径別損失値やベストエフォートサービスということを強調したものにして、交換局からの損失測定、距離算定サービスをホームページでお客様に提供していること、そこでお客様自身がグラフ等であらかじめ伝送スピードを凡そ知ることができること、ATMはサービス品質保障(SLA)が明示され実行されていること(り障時間帯に応じた月額料金返還、約束した開通日遅れによる料金返還など)専用線は完全に帯域保証していることなどを記述しました。パラグアイのキャリア(Copaco社)は今月からADSLサービス提供開始し(品目:64k、128k、256k、512k、1024kbps)、Hogar(住宅用)で$3464k)~$105512k)の料金で他にComercial(業務用)とCyberという利用者別料金があります。今回VPNサービスも開始されPARAWAYNET(パラグアイをもじりネーミングしたそうです)といい、これらは96日付けabc新聞に報道されています。1120日~24日にはOEAの企画によるADSLセミナが当センタで開催予定です。このための準備も今後必要です。夕方6:00になりベニテス氏の車で内山田ホテルまで送って頂きました。(20km)彼はCisco資格技術者育成に熱心です。昨年沖縄の研修センタで3ケ月の研修を受け、その折東京でも一週間位新宿近辺を見たそうですが、このような体験が彼を動機つけているのではと、彼の日常を通して感じます。2番目の子供さん(女児)が先週828日月曜日頃誕生したことを知らされたので、お祝いの品を贈ろうと思っています。そんな真面目な彼がカウンタパートの仲間から外されてしまいました。でも今までと同じように一緒に仕事をしてゆきます。

以上文書紹介のみでした。

*** 内山歯科***
内山歯科の写真です。前回は内部の写真でしたが今回は建物外観です。

 Dscn1909.jpg 
医院の看板
 Dscn1911.jpg 
建物外観です。1階は研究室のようです。
Dscn1912_1.jpg  
二階の待合室です。各科共通の待合室になっています。

寝込むセニョール

セニョールはとうとう風邪で寝こんでいました。過去5年位のスパンでは今回重症でした。
手短に書きますと、先週コンセプシオンに行ってきて、月曜日、火曜日は最低気温が7くらいに下がり、木曜日の最高気温は30℃を越えました。でも金曜日、土曜日、と再び下がり今朝日曜日は最低気温が再び7℃です。このように気温が乱高下するなか、先週月曜日から旅の疲れとADSLの資料を寒い部屋で遅くまで頑張って作成した影響で、日ごとに体調がおもわしくなくなり、ついに木曜日(31日)の午後から日曜日朝までベットの人になってしまいました。風邪だけはと十分注意していたつもりですが、近年めっきり減った頭髪の影響で冷風に対するディフェンスが甘くなり、大陸を渡る冷たい風に頭が直撃されてしまいました。今回の風邪で反省すべきことは
○ 
気温が10℃より下がったら毛糸の帽子着用。
○ 
早めの入浴、早めの就寝・・湯冷めさせない。
○ 
食事では生野菜を食べる。
当たり前のことしかありません。だだ毛糸の帽子は驚くかも知れませんが、学生でも被っていますから特に奇異なことでもありません。日曜日の今の状況は熱は平熱、関節は痛まず、喉の痛みも消えました。いろいろなことを考える余裕も出てきましたが、唯一頭が(右側、耳の上あたり)痛みます。この痛みがなかなか消えないので辛いです。木曜日午後から夜間にかけ体温38℃、金曜日午前体温37.5℃、正午頃健康管理員さんに電話で相談し、ルル3錠(一時帰国した方にお願いして入手)、バッファリンAを服用し就寝(発汗多量)、夜中に幾度か着替えたため、着替えるものが無くなるくらいになりました。でも今こうしてメールを書く気持ちになる程回復してきましたが油断は禁物。ホテル従業員の皆さんも身体に優しい飲み物(しょうが、はちみつ れもん)などを紹介して下さいました。今回は職場の皆さんもダメージを受けた方がおられました。この間に諏訪新作花火大会や佐渡トライアスロンのニュースをNHK-BSで見ました。

*** 寝込むセニョール***
Dscn2075_1.jpg  

コンセプシオン その1 Concepción 1

コンセプシオンに行ってきました。(Concepcion
Asuncion
からの距離:417km
バス会社: NASANUEVA ASUNCION S.A
往路(26日): 7:30 Asuncion  11:30 Pozo Colorad    13:30 Concepcion
復路(27日):    7:15Concepcion発⇒着9:25 Pozo Colorad  9:30  ⇒着  13:00  Asuncion
コンセプシオンターミナルから客が多く、町を出るまでに座れない客がいる程混雑し、私は敢えてタクシーでターミナルまで来て良かった。(切符は昨日購入しておいたが、町の中のバス停で乗ろうか迷った挙句)Concepcion は比較的大きな町で15区画(1区画100m)四方位の規模だと思いますが、道路の舗装率は低かったです。メインストリートはアスファルト舗装でしたが商業区域の道路はコンクリートブロック(多角形)を敷き詰めたものでそれ以外の住宅地は舗装されていませんでした。道路幅はビジャリカなどと比べると広くゆったりしていました。また町の辺を流れるパラグアイ川には3年程前に堤防が築かれ堤内地の水をパラグアイ川に汲み出す大規模な揚水設備が2ケ所設けられていましたから、パラグアイ川と町の一部地区の地盤高はあまり差がないようです。物流ですが現在はパラグアイ川を跨ぐNANAWA橋が利用できるようになったため、チャコ地方を経由(9号線)した陸送が主流となり、船による輸送はかなり減少した模様です。前回のときにはアスンシオンでも船が頻繁に行き来する光景が見えましたが、道路の開通に伴い陸路に切り替わっているようです。 今回は職場の同僚ベロンさんがコンセプシオンに私が行くことを聞き付けて「一人でバスで行ったのでは何も見ることが出来ないではないか、知り合いはいるのかい」というやり取りの結果、あちらの電話会社の知り合い(支店長さん)に電話してくださり、私が着くと午後の当直者が高級車(中国製バイク)で私の行きたいところ(事前にメモしておきました)と彼が案内したいところを勘案して職場を抜けだし案内して下さいました。このため故障班やお客様に迷惑をかけたようです。「これ以上迷惑をお掛けできないので歩いてホテルニ行きます。」と伝えてもこんどは相手の方が「ハイソウデスカ」ということにもならず「ホテルまで送るから待ってくれ」といわれ結局この方(Ignacio)と故障対応のためにお客様宅まで行き、FAXとカードリーダ端末を預かり彼の自宅まで運び、その後ホテルまで送って頂きました。 このようにお客様を待たせてしまい申し訳ない気持ちになりましたが、他にもう一人MDF室で待機していた方は「気にしないでよろしい、私も技術者なのだから」と言ってくださいました。 このようなこともあろうと、土産に日本で売っているのと同じ菓子パンをアスンシオンで買って持って行きましたし、空寸前の燃料タンクをガソリンで一杯にしてお礼をしました。この方(Ignacio Lopez氏)に尋ねたところ、コンセプシオンの人口は6万~7万人で、電話加入数は約3千加入、電話会社の社員数は交代勤務者を含め25名規模だそうです。無線のアンテナの高さは108m位。アスンシオンと結ぶ中継回線は全て無線回線です。途中いくつもの町を経由してきています。またここからホルケッタという町を経由して東のペドロ ファン カバジェロまで無線回線が延びており、またここから20km北の無線基地局までは光ファイバ線路があり、北方の町Loreto(ローレット)への無線回線を提供しているそうです。このようにコンセプシオンは交通も通信も、パラグアイ川の船の水運も北部の要衝のようです。今回は途中CHACO地方に入りこみまました。CHACO地方の概要を説明します。パラグアイ国は中央を南北に貫流するパラグアイ川の東西で、地勢、植生が大きく異なる気候や植生から国を西部と東部の二つに分けることができます。
【東部】
パラグアイ川とパラナ川に挟まれた東部パラグアイは、国土の約39%を占めますが人口は97%がこの東部に住んでいるのです。ブラジルとの国境に近い地方の土壌は、パラナ州から続くテラ・ロッシャで、肥沃で農業に適しているのです。
【西部 チャコと呼ばれています】
国土の61%を占めていますが、人口はたったの3%を占めるだけで、面積は東部の倍ありながらこの人口比率です。このことは今回の写真からもわかります。パラグアイ川とピルコマージョ川に挟まれた西部パラグアイは、東部と対照的に平坦で、ボリビア南東部からアルゼンチン北部にかけて広がる、いわゆるグラン・チャコの主要部分を占めています。穏やかな傾斜の潅木の多い大平原で、河川流域では低湿地帯となっているのです。このため人間が住み難い環境ともいえます。その分、動植物の宝庫かも知れません。

写真を紹介します。
 *** ASUNCION
POZO COLORADO間のバスの車窓 ***

  Dscn1920.jpg
 Dscn1921.jpg 
*** POZO
 COLORADO *** 
地図を見ると町のような記号ですが町の様相を呈していません。単にルータの分岐点で軍隊が駐屯していました。牛を市場に運ぶ為のトラックがいくつも駐車していました。 
  Dscn1926.jpg 
牛を運ぶトレーラーです。かわいい目をした牛達が「何も知らされず、何かビックリしたような、人生で初めての体験をしている驚きの目、どこにゆくんだろう…」みたいな、何かを訴えるような、何とも言えない大きく見開いた、澄んだ目で荷台の中からこちらを見ていたのが忘れられません。 
 Dscn1925_1.jpg

コンセプシオン その2

*** POZO COLORADO CONCEPCION間のバスの車窓 ***
何とも手のつけようがないようないばらの木が茂っていて、これらを毎年切り倒すのも大変なのでしょうか。一気に火をつけて燃やすということになるようです。あるところでは焼け焦げた臭いがバスの車内にまで立ちこめました。野焼きも日本とは規模が違い過ぎます。この野焼きが新たな牧草を育むようです。CHACO地方はまた椰子の木が密林のように茂っていたのが印象的でした。ルータの途中に点在していた家はヤシの丸太で作られ、電気・電話はまだきていないようでした。
  
 Dscn1932.jpg
手前が焼け野原 
  Dscn1937.jpg
 これでもヤシの木は枯れないのでしょうか 
  Dscn1938.jpg
 一面焼け野原(牧場の柵が見えます) 
  Dscn1939.jpg
 地平線まで何kmあるのでしょうか、新しい牧草がこの後芽生えるのです 
  Dscn1941.jpg
  Dscn1945.jpg
牧場の柵までは緑です、新しい牧草を育む
野焼き
 
  Dscn1947.jpg
 ヤシの丸太で作った家です。電気も来ていないようです 
  Dscn1948.jpg
 左にチパを焼く釜がみえます チャコ地方はルータ沿いに丸太の家が多く見れます 
  Dscn1949.jpg
 バスを降りて自宅に向う人 家は道路敷き内にあることが多いです 
  Dscn1950.jpg
  Dscn1953.jpg
  Dscn1956.jpg
  Dscn1957.jpg
 Dscn1958_1.jpg
 牧場の入り口でしょうか 
  Dscn1960.jpg
  Dscn1961.jpg
 牛をトラックに積むときに使う柵です 
  Dscn1962.jpg
 舗装が随所で傷んでいました。通過重量の割りに路床が弱いようです 
  Dscn1963.jpg
 ヤシの木は枯れるのでしょうか・・耐えて生きているかも 
  Dscn1964.jpg
 毎年焼くなら、生きているのかも 
  Dscn1965.jpg
  Dscn1966.jpg
この辺りで車内に焦げたにおいが立ち込めました 
  Dscn1967.jpg
  Dscn1968.jpg

コンセプシオン その3

*** PARAGUAY川に架る「NANAWA橋」***
この橋の完成とともにアスンシオンとの輸送は陸送に取って替わっているようです。

 Dscn1970.jpg


 Dscn1972.jpg 
 Dscn1973.jpg 
本流(下流方向)
 Dscn1974.jpg 
本流と中州
 Dscn1976.jpg 
バス後方
 Dscn1978.jpg 
パラグアイ川本流、下っていくとアスンシオン、さらに下るとブエノスアイレスに
 Dscn1979.jpg 
停泊中の船(平たい型)、これらの船が海まで物資を運びます 
 Dscn1981.jpg 
カミヨンと呼ばれる大きなトラックの列(港に運んできていました。)

コンセプシオン その4

*** 電話会社 COPACOCONCEPCION支店内***
 
Dscn1986.jpg
MDF

 Dscn1987.jpg 
ケーブル成端(3条)加入数約3千
 Dscn1988.jpg 
支店の外観
 Dscn2017_1.jpg
アンテナ
 Dscn2057.jpg 
夜間10:00までお客様に電話の利用サービスを提供しています。携帯電話会社のショップ(3社のみ)は町の至る所にありますが、COPACOの固定電話設備拡充は遅れているようで、電話のない人がここで利用します。(国際・国内)支払い収納は社員が対応していました。当直の方に、貴方がパンを持ってきてくれたかたですか?なぜIgnacio Lopez(案内してくれた方)さんを知っているのですか?と質問を受けました。

コンセプシオン その5

*** HOTEL VICTORIA ***
建物が美しく凝った建築様式でした。料金は朝食代も含んだ設定になっていて、部屋にはテレビ(CATV)もありベットも今までのものから比べると綺麗でした。部屋の大きさやシャワーなどは今まで訪れたホテルと変りありませんが、フロントの場所はきちんとしていて、北部地方の主要なホテルの感じがしました。バスターミナルからは1.5km位あります。

 

Dscn1994.jpg
二階道路側ベランダから
 Dscn1995.jpg 
ベランダから奥の建物を
 Dscn2002.jpg 
食堂
 Dscn2061.jpg 
食堂
 Dscn2030.jpg 
道路から全景
 Dscn2032.jpg 
ホテル前の道路
 Dscn2049.jpg 
ベッド
 Dscn2050.jpg 
トイレ・シャワー室

コンセプシオン その6(最後)

*** 町中の景色***
 
Dscn2003.jpg
Catedral
 
Dscn2040.jpg 
Catedral…
・バイクの3人乗りは禁止なんてことになったら家族とエンジョイした生活などできません。
 Dscn2004.jpg 
Municipalidad
 
Dscn2051.jpg 
Municipalidad
 ライトアップ
 Dscn2005.jpg 
Teatro
 Municipal
 
Dscn2006.jpg 
Centro
 Desarrollo Municopal
 
Dscn2007.jpg 
Colegio
 San Jose Saleciano
 
Dscn2008.jpg 
Virgin
 Maria & Colegio San Jose Saleciano
 
Dscn2010.jpg 
Virgin
 Maria
 
Dscn2036.jpg 
PLAZA
 Liberta…・低い植木がしっかりガードされています。馬が来て食べてしまう為です。
 Dscn2058.jpg 
Hamburguesa
の屋台・・美味しかったです。(マクドナルド店舗はアスンシオンにはありますけど・・)ここで買って食べましたが美味しかったです。その秘密はしばらくここで椅子を借りて座っていて判りました。おばさんはこの時ハンバーグを包むためのビニル袋をケチャップの容器に被せるようにして何枚も何枚も準備していました。私が食べ終わって写真を撮っていいですかと尋ねたとき、おばさんは「待って」といって卵を幾つか鉄板に割って焼き始めました。仕事もしていない状況ではと配慮してくださったのです。(これがプロでした)幾つ売れるんです「100」個位ですかと尋ねましたらおばさんは自信ありげな声で「そこの卵の容器を見てご覧、既に120個売っているんだよ」なるほど客が来だすと次から次ときます。私がいる間もかなり来ました。マユネーズ、ケチャップ、トマト、タマネギ、野菜、肉(きちんと下ごしらえしてある)パン(鉄板で少し温める)の調理手順や動きを見てもプロの動きと関心しました。客が続くので私も袋を広げる仕事を暫く手伝いました。そうこうしていると、ワゴン車の男性が買って車に戻ったのにまたこちらに来て私に声を掛け、日本人かというのでそうだと答えると車の方に導くのです。車の中には青年協力隊の方が乗っていたのです。男性の奥さんも一緒で、この家族のお宅に世話になっているのだそうです。こちらには3名配属されていることは知ってはいましたが、まさか屋台で会うなんて隊員の方もビックリされたことでしょう。結局私がいる間に50個以上は売れたでしょう。12年間ここで雨の日も休まず売っているそうです。(ここがプロです・寒いときもあるのに)しかも隣には娘さん達が同じような店を開いていました。ここでこのような売上高を屋台が稼ぎ出すとはビックリしました。(下ごしらえをしたり、材料をケチっていないこと、温かいことなど手抜きをしてないことをお客さんも知っていて、おばさんたちもそれに答えていると思いました)
 Dscn2059.jpg 
機会のある方は是非ここで食べてみてください。
 Dscn2060.jpg 
ホテル前のレストランで(魚のミラネサ(ナマズのフライ)、サラダ、パン、マンジョウカ)
 Dscn2020.jpg 
市場
 Dscn2046_1.jpg
町の中の道路
 Dscn2047.jpg 
町の中の道路
 Dscn1989.jpg 
道路で草を食む馬たち

*** バスターミナル***
 
Dscn2012.jpg 
 Dscn2062_1.jpg
手前の車・・これでも走ります。

*** Consepcionの港(旧港)***
現在は別の場所に移転したそうです。

 Dscn1990.jpg 
写真の奥のほうに先ほど渡ってきた大きな橋がかすかに見えます。
 Dscn1991.jpg 
歓迎 コンセプシオンと書かれています。

パラグアイのサッカー試合風景

サッカーの試合見ました

820日日曜日夕方同僚に誘われて初めてサッカーの試合を見ました。私は日本でも全く見たことことがなかったのでサポーターの応援合戦も楽しいものだと思いました。競技場のある場所はセントロの奥深い所でパラグアイ川にかなり近い位置にありました。まわりは完全な住宅街です。競技場に近づくと観衆の大きなうなり声のような音がその方角と思う方向から聞こえてきました。まわりにはダフ屋がおおぜいいて入場券を売ろうと声を掛けてきます。警官も要所要所に配置され、騎馬隊も待機していました。私はパラグアイに来て初めてこのように多くの市民が集まったところを目の当たりにし感動しました。またグラウンドの芝も綺麗でした。(午後415分開始)同僚によるとこの一戦は伝統チーム同士の戦いで、日本の野球に例えると「巨人・阪神」戦に匹敵するのだそうです。どちらもアスンシオンを本拠地とし、チームカラーが赤と青の「Cerro Porteno : セロ ポルテーニョ」対、白と黒の「Olimpia : オリンピア」です。競技場の名前は「Defensores del CHACO」といい、後で収容人員を尋ねましたら最高8万人という答えがかえってきました。

写真を紹介します。試合は午後415分開始
 

Dscn1886.jpg
Cerro
 Portenoのサポーター
  Dscn1887.jpg
ほぼ観衆で埋まったスタンド
 Dscn1889.jpg 
Olimpia
のサポーター
 Dscn1891.jpg 
前半1点先取で喜ぶOlimpiaサポーター
 Dscn1894.jpg 
名物「チパ」売りのおじさんも大忙し。
  Dscn1897.jpg
後半30分同点に追いつき喜ぶCerro Portenoのサポーター
 Dscn1899.jpg 
大喜びのCerro Portenoのサポーター
 Dscn1900.jpg 
場外で警備にあたる警察の騎馬隊
写真を撮ってもいいですか?と伺うと皆さん一様に首を縦に振ってくださいました。(私達はバスの混雑を避ける為に13分前に競技場を去りました)

パラグアイの大きな夕日

パラグアイの夕日
8
19日土曜日、職場に仕事に行き家に帰るときに撮った写真です。「Ciscoの研修にきている方で私と同じ方角に帰る方がいるから乗せてもらったら」とベニテス氏が勧めてくれるのでお言葉に甘えて同乗しセンタを出て700m位走ったでしょうか、ギラギラと輝きながら地平線の彼方に沈もうとしている夕日を見て、車を停めてもらいシャッターを切りました。此方では綺麗な夕日の翌日は天気が良いといわれていますというようなことを運転していた方は話していました。このところ寒波が来て上空はかなり冷えていると思います。21日月曜日の朝は7℃まで下がりましたから。冬は空気も澄んでいるからこんなに夕日がきれいなのでしょうか。
 
写真を紹介します。
 

Dscn1884.jpg