ADSL勉強会

ADSL勉強会開催

パラグアイでは現在ADSLサービス提供開始を8月に予定しているそうです。このためベニテスさんの提案で勉強会が行われました。私もベニテスさんから日本におけるADSLや光を使ったブロードバンドサービス、ATM等の専用線サービスの各メニューや料金を紹介して欲しいと依頼されています。その前段としてまず、ADSLについてパラグアイの動きを紹介するということで8月14日(月)におこなわれました。日本では大勢の方が集まるかも知れませんが、人口570万人規模ですから5人いても24倍して頂くと日本の規模120人に匹敵します。(勝手な換算値でしょうか?)勉強会のあとはCCNA資格取得のための研修が引き続き行われ、研修生が交代で本を読んだり、プロジェクタを操作し画面を替えたりしていました。リーダのベニテスさんは既に資格を取得済みで、このコースのコーディネーターをしていました。時間も遅くなったので彼の車で内山田まで送ってもらいました。次回は私の番なので資料を集め現在作成中です。最終的にはベニテスさんに資料をもとに説明し、彼が研修生にプレゼンしたほうが良いということで進めております。
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Ing.Jorge Ruoz Olazar
 (PARAWAYNET)UNIDAD DE NEGOCIOS BANDA ANCHA INTERNET)さんがプレゼンを行いました。
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花とパラグアイの年間気温

今咲く花とパラグアイの年間気温を紹介します

ラパチョの木はアスンシオンには沢山あるようですが、どれがその木であるか花をつけてくれないと見分けがつきません。日本の桜は「桜前線」と呼ばれる気温上昇線や日照時間の変化や春雨によって、日本の南から北に向って北上しますが、パラグアイには花前線はないようです。それぞれの木が気ままに気温や日照時間の変化を感じ咲いているようです。木に変化を感じさせるのは南から来た寒気が気温低下をまねき、その後好天が続くと真夏であるかのように気温上昇がおこります。この時の降雨や気温上昇に誘われて咲くようです。「なぜ一気に咲かないのですか」とホテルの従業員に尋ねましたら「日本の桜は人工的に栽培されているから一気に咲き、ラパチョはそれぞれ自然に種から育ったものだからそれぞれ勝手に咲くのです」という妙な回答でした。
データが古いのですがアスンシオンの1995年~1996年の気温データを紹介します。これは最低気温と最高気温をもとに作成されたグラフですが、地球温暖化の影響がもしあるとすれば、近年はこのデータよりも最高気温が上昇しているかもしれません。暑い国であることは間違いありませんが、冬の気温低下に注目していただきたいです。気象ですから、長い間にはこれより寒かったり暑かったり変動します。ですから「私のときはこんな気温ではなかったよ」といわれることは承知で掲載させていただきます。日本でこの気温になったらどのようなものを着るかお考えいただくと準備万端かと思います。
 

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パラグアイの年間気温グラフ(最低気温と最高気温)
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内山田ホテル近くのラパチョの花
背景に写っている建物は内山田ホテル「新館」19階です。
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内山田ホテル近くのラパチョの花
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同僚のアパートから
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同僚のアパートから
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センタに咲く花(Pata de Buei)にきて蜜を探す「ハチドリ」
それでは「ハチドリ」を写真の中から探しましょう。まず写真の四隅を結ぶ対角線をイメージして下さい。この二本の対角線の交点僅か左斜め上あたりに「ハチドリ」の羽根の羽ばたきで少しボヤケている部分があるのですが、おわかりいただけますでしょうか。これが世界で一番小さい鳥です。「チュ」「チュ」という小さな鳴き声を出しながら蜜を探していました。センタでは良く見かけます。

歯科医師のご紹介

歯科医師のご紹介

長期海外生活で重要なものに健康管理が挙げられます。特に高齢になってきますと若いときのような訳にゆかず医師の世話にならなくてはなりません。前回は2年間滞在中、一度は歯科医、一度は外科医にお世話になっただけでした。当時は自分でもかなり日々の管理は怠りなかったと思います。(でも食生活に対する知識が不足し、一時帰国した時の健康診断でコレステロール値が高くなっていて、野菜は茹でて食べること、卵は1週間に3つまでと制限されてしまいました)
今回は歯科医師にお世話になっています。一度は顎の奥が腫れてしまい、一度は下前歯が欠け補修のため、(補修してあったところがポロリと取れた)一度は歯石の除去をお願いしました。特に前歯の補修では日本での技法と全く同じで丁寧に補修していただき元に戻り感激でした。
先生をご紹介させていただきます。ご出身はイグアス移住地でご両親はイグアスにご健在だそうです。既にご結婚され家庭もおもちです。歯科医になるための勉強はブラジルと日本(一年)でもそれぞれご経験されておられます。先生の名刺には「審美歯科」(専門:審美、根治、義歯)と記載され、お名前は「内山春菜」さん。電話番号は(021-606-494)住所は「Teodoro S.Mongelos 4159 2c/Choferes del Chaco Asuncion」。近くにレストラン「広島」があります。(歩いて数分)この医院はミニ病院で他に小児科、外科、レントゲンなど他の診療科目もあるため入り口に歯科医の看板だけを大きく掲示しているということでもありませんから、初めての人には多少わかり難いかも知れません。また建物の2階に受付、待合室、診察室全てがあるということも特徴的です。先生の印象は、穏やかでしとやかな日本女性という感じの方なので「歯も抜かれますか」と思わず尋ねてしまいました。「勿論抜きます」というお答えでした。(大学3年~5年の3年間で120本の実績が必要だそうです)パラグアイに旅行や仕事で来ていて歯の治療が必要な方や、長期滞在中の歯の健康管理、定期的歯石除去をお考えの方に内山先生をお勧めします。「日本に帰ってから」と我慢しながら帰国の機会を待つ必要など全くありません。日本と全く同じ治療を受けることができますので早めにどうぞ。(診察は緊急時を除き予約制です)
 

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内山春菜医師と診察室。
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日本での研修終了証書

鳩対策のその後の進捗

鳩対策のその後の進捗

センタに沢山の鳩が巣食っていることはすでに紹介しましたが、その後の金網取り付け作業の進捗について紹介します。好天が続き講堂の屋根の瓦補修工事に稼動が注がれていたため、7月分の工程がやっと8月1日に完成し、このところの寒さや事前準備の良さも手伝ってか昨日8月18日に8月分の8枚が完成しました。これには性能の良いBOSCHのドリルを購入したり、金網を取りつける細長い材木を購入したりして、作業の効率化を計り、一方では作業員の健康管理の為に、防塵眼鏡、埃を吸い込まないための防塵マスク、ダニなどを予め消毒して駆除する消毒液を購入しました。若い技術者のハビエル氏にも私の計画(毎月8枚完成)を伝えてありますし時々進捗の相談もしています。材料の購入は8枚単位におこない、金網、木材、ねじ釘、釘をその都度購入しています。(買出し・運搬はいつもハビエル氏の乗用車で同行してもらっています)作業員に聞いた話では、屋根裏の鳩のふんの量が多くて、30袋くらいいつも運び出すそうです。初期は写真のようにセンタの植木に肥料として撒いていましたが、撒ききれなくて山にして積んであるそうです。(植木屋に販売したらどうかという話もでましたが実現に至っていません)
 

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BOSCH
のドリル。マキタもありましたが此方の方が安かったのです。(ブラジル製)
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このような袋に30程詰めて運び出しているそうです。
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センタ植木に撒かれた鳩のふん
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金網取りつけ作業中の3名

CAAZAPAに行ってきました

812日(土)~813日(日)はCAAZAPAに行ってきました

☆ Asuncionからの距離:233km
バス会社: La Yutena(ラ ジュテーニャ)

往路(12日): 7:20 Asuncion  ⇒ 10:45 コロネドオビエド  ⇒  11:30 ビジャリカ   ⇒ 12:45 Caazapa
復路(13日):  8:00 Caazapa8:45 Cnel.Oviedo  9:15  ⇒  9:55 Villarrica  10:05  12:35 Asuncion
CAAZAPA
は小さな町で5区画(1区画100m)も歩くと町外れに出てしまうような気がしました。5区画四方の中にお店、教会、市役所、警察、病院、ホテル、電話会社、私立大学、小中高校があります。ここに暮らす人は良い人なので事件はまったく起きないそうです。また、この町で活動中のシニアボランティアの話をある方から伺いましたら、日本人が来るとどこで何を食べ、何を買って、何をして帰ったというようなことがたちどころに人々に知れ渡ってしまう程コミュニティは狭いようです。高い建物は教会の他には見当たりませんでした。ここでかってJICA地域医療プロジェクトが実施されたこともあってJICAの存在は良くご存知のようです。(ホテルで国籍を質問され「日本人」と答えましたら即座に「JICA」かと尋ねられました)町はゴミが少なく、通りに植えられた「Duranta」(タイワンレンギョウ)の植木が綺麗に刈り込まれ、整っているというのが印象でした。町の皆さんはこの植木を大切に育てているようです。深みのある緑の葉に新緑の若芽が陽の光を浴びて映え何とも言えない安らぎを感じます。この植木はアスンシオンンの住宅地にも数多く見られます。(今回の写真は陽の光が弱かったです)ホテルは4軒ありましたが何れも歩いて僅かな範囲にありました。土曜日の夜はビジャリカの町の様子と同じように、若者達がバイクや車で町内をグルグル回っていました。車からはボリューム一杯の音楽が流れていますが数は少なかったです。ホテルのオーナーの話では今夜はfiestaがあり、そのためにアスンシオンから踊り手や関係者が来るので部屋も一杯と話していました。貴方もまだ40代の歳のようだから踊りに行って来たらどうかとオーナに勧められ、私はもう老人だから踊りは無理と答えたのですが、そんなことはない若い若いといわれ、お世辞なのか本当にそのように見えてしまうのか暫く考えてしまいました。Fiestaが始まるのは夜11時からだというのです。日本ではおしまいの時間です。ホテルのオーナー(女将)は私に夕食をご馳走すると言っていながら、アスンシオンから到着した若者には従業員にこまかな指示をしていましたが、1030分を過ぎてもその動きがないので、部屋に入って持参してきた非常食用のパンを食べ寝てしまいました。このように田舎に泊まるときには非常食、水、蚊取り線香、キンカンは必需品です。

写真を紹介します。
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バス内部前方(このバスは運転席との仕切りがありません。地方路線はこのように仕切りがないのです。)マットのようなものが写っていますが、ここに助手が座って「テレレ」を運転手に注いで渡します。運転手は一人で長距離を運転しなければならず居眠り運転は許されません。でも助手(車掌)と「テレレ」を飲み話をしながら、バスを進めますので常に状態が良く保たれていると思います。
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アスンシオンバスターミナルの近くにある荷物預かり・発送会社です。長距離バスはここで目的地に送るべき荷物を預かり運んでいます。このため時々道端で荷物を受け取る人や、預ける人を見ることが出来ます。
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アスンシオンバスターミナル近くの建設工事現場:木製足場がまだ主流です。型枠を打ち付けコンクリートを充填し養生して取り外しという一連作業の繰り返しです。柱の細さ・鉄筋の少ない状況に注目してください。日本の建築は地震による荷重に対抗する為に鉄筋やコンクリート等のボリュームも半端ではありませんが、パラグアイは地震が無いのでこのように柱が細くても良いようです。どのビルを見ても、これで大丈夫と思うほど柱は細いです。
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バス路線沿いの売店: 客もこのような場所でバスを待ちます。立っているおじさんはバスの中に乗りこみ販売をする人です。(商品はちょうど蔭になってしまいました)
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ショッピングモール「MultiPlaza : ムルティ プラザ」: アスンシオンバスターミナルからサンロレンソに向って少し走るとこのショッピングモールがあります。品揃えは庶民向けのため家族連れや若者達で溢れています。
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CAAZAPA
のバスターミナル: 見たところ一台しか停まるスペースがありません。終着で客が全員降りるのかと思っていたらそうでもないので、「まだ何所かに行くのですか」と尋ねたら「Yuty」(ジュティ)に行く」というのです。距離を聞きましたら約100km先と聞いて驚きました。(地図を見ましたら89km)かなり内陸部にありますが、機会があったら是非行ってみたいです。多分ホテルも無いでしょうからここを拠点にして日帰りで行く方法しかないでしょう。
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CAAZAPA
のバスターミナルに隣接した公園
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の市役所
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CAAZAPA
文化会館
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電話会社(COPACO
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教会 「San Pablo
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教会に集まる子供達に 「写真をみんなで撮ろう」といっても殆どが逃げる様に立ち去りました。
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教会に集まる子供達: こちらのグループにも「写真を撮ろう」と声を掛けましたが、同じように皆逃げるようにしていました。
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左から水道用タンク、教会、電話会社のパラボラアンテナです。町にはこの他に携帯会社の高いアンテナが複数ありました。
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小学校の校舎の脇に咲いていた花
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高校の生徒が走り幅跳びの記録をとっていました。(土曜日の午後3時頃)
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教会に集まった子供達 :グループに分かれてお姉さんやお兄さんから歌や踊りを教えてもらっていました。
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お姉さんからダンスを教えてもらっています。このようなことがお互いの絆を強くしているかも知れません。
 
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植木「Duranta」写真集 ***

町の皆さんが植木を大切にしている様子が伺える写真をいくつか紹介します。
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コロニアル調の家と通りに植えられた「Duranta
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BIENBENIDOS A LA CALLE Gnel.BOGADO」と書いた看板がありました。「ボガード通りにようこそおいでくださいました。」と書かれています。
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CAAZAPA
と刈り込まれています
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写真は日の出後
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土曜日の夕方、黄昏時の町の様子***
 
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黄昏時:町を歩く家族
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黄昏時:町外れの民家の家畜 無事一日を終えようとしています。
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黄昏時:近くで行われているサッカーの試合を見に行く子供達
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CAAZAPA
の通り
 
*** CAAZAPA
の早朝の様子***
 
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民家です。早朝のためまだ灯りがついています。真中に井戸がみえます。このような竹のフェンスも田舎では良く見られます。
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石畳の道路:右手に篭のようなものが二つ見えますがゴミを捨てる篭です。犬や猫が荒らさないように高く作られています。
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Hotel
 JUNIORHotel BRASILのある通り 早朝なので看板は灯りがともされています。
 
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コロネドオビエドのバスターミナル ***

以前も紹介したかもれませんが、イタイプという会社が寄付した建物です。ここにはアスンシオンを出て3時間で着きました。ここはハブ的役割のターミナルの為、利用客も多いと思います。私はここでいつも運転手にトイレに行ってきますと言ってバスを降ります。乗務員からアナウンスはありませんので此方からアピールをしないといけません。トイレは有料で日本円で約20円で国内共通です。私は必ず請求されています。まだ新しく綺麗で洗面所も気持ちが良いです。
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左側のおばさんの肩に担がれたものはお客に売るものです。中ほどには動物のマスコット人形を沢山もっている売子さんもいます。

環境開発・保護セミナ開催される

環境開発・保護セミナがセンタで開催されました。
環境をテーマにしたセミナが7月31日(月)~8月2日(水)の3日間センタで開催され、私達も要請により初日出席しました。6カ国(アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル、イスラエル、チリ、パラグアイ)から関係者が集まり研究成果を発表したり分科会に分かれて討論がおこなわれたようです。慌しい準備の様子も収めましたので紹介します。

*** セミナ準備作業***
 
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現在屋根瓦補修工事中ですが、急遽講堂天井の雨漏り模様を消すためのペンキ塗りが部分的に施されました。
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伐木作業:センタ内に木の葉が毎朝舞い込み通路に散乱していましたので急遽伐木実施です。こちらのノコギリは押し切りタイプです。
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金物屋(FerreteriaTOYOTA小型トラックが駐車しています。
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         金物屋店内(Ferreteria
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ナタはこのように剣形をしていて多少厚みもあります。これを大きく振りかざして枝を払ったりします。
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           すっかり丸裸の木
季節は冬なので木を切ってもよい時期とのことで、あの枝も、この枝もと相談しながら切り落としているうちに、丸裸になってしまいました。食堂や図書館の屋根に覆い被さる様に伸びていた他の木の枝も切り落とされました。(トルメンタ(暴風雨)で屋根が損傷しないように)

*** 縁石のペンキ塗り***
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国中の道路縁石がこの白いペンキによって塗り込められています。(日本の路側帯のラインの役割みないなもの?)センタも急遽化粧直しが施されました。(何でも大統領に招待状を出し、大統領は無理でも副大統領が来るかも知れない・ということで金曜日(7月28日)は皆さん朝からバタバタでした。結局大臣が出席されましたが。)
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          乾いた状態

*** 環境セミナ***
 
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           講堂での模様
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この日は寒く講堂もかなり冷えていました。中にはかなり着込んでいる方もおられますが薄着の方もみえます。写真を撮っていたら前列の方に呼びとめられ「部屋が寒いのでもっと暖かくして頂きたい」と小さな声で頼まれてしまいました。

アスンシオン大学工学部キャンパス

アスンシオン大学工学部キャンパスの一部を紹介します。
アスンシオン大学キャンパスはサン ロレンソにあります。私の住んでいるところから14~15km位あるかも知れません。敷地が広大であることにまず驚かされます。農学部がかなりの面積を占有していることも広い理由かもしれません。建物は全て平屋のため大きな木に隠れてしまい、キャンパス全体を一望することはできません。大学の制度では学生は5年でIng.(インヘニエロ)の資格がもらえるそうです。(従来は年間2学期×6年=12学期で卒業でしたが、今は年間2学期×5年=10学期で卒業だそうです。)工学部電子工学科は3学期までの一般教養課程はキャンパスで修学し、4学期目からは私達のいるCITEC-FIUNAで専門課程を修学します。日本ですと例えば大学を卒業しても国家試験に合格しなくては弁護士になれませんが、こちらは法学部を卒業すれば弁護士の資格を得るそうです。またアスンシオン大学に入学定員はなく、合格点をクリアした生徒は全て入学できます。大学新卒の初任給は日本でも会社によってまちまですが、こちらでは250ドル位です。(パラグアイの最低賃金はこの70%位……いろいろな数値がでてきてどれが正しいか分かりません。日本とておなじ事がいえます。)このため自分の家に住んでいる人は余裕があるかも知れませんが、アパートを借りている人は家賃や食費で生活が大変だそうです。公務員は教師の仕事もしても良い(職業2つ)決まりだそうですが、教師は聖職という扱いはされず、給与は民間より低いために敬遠されがちな職業だそうです。ということは優秀な人材が集まり難いということでしょうか。このような話を聞くと日本の先人はいかに日本のシステムを上手く作り上げて来たかということがわかります。
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           工学部の看板
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           学内道路
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        ユーカリの大木の並木
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           ユーカリの大木
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           校舎と中庭
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         草刈トラクター
広大なキャンパスの芝刈(草刈)も大変な作業です。このような大きなトラクタを使って行います。私達のセンタもこのトラクタや草刈ビーバーでいつもきれいに整えられています。

SHOPPING DEL SOL(ショッピングモール)

SHOPPING DEL SOLを紹介します。
アスンシオン市内には幾つかのショッピングモールがあります。いずれもここ10年位にオープンしたようでモダンで高級品を扱っています。このうちの一つ「ショッピングデル ソル(太陽)」を紹介します。位置はアスンシオン空港から首都に向って入って来ると真っ先にあります。シェラトンホテル(2年前に開業)の近くです。セントロからはかなり離れます。Casa Ricaというドイツ系スーパーも近くにあります。ということはドイツ人が近くに多く住んでいるということにもなります。既に10年位経ていますが、建物裏側にある駐車場は広くて大きな木があるため、夏は木陰となり、駐車場にはもってこいです。
写真を紹介します。
 

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             建物全景
ご近所のアパート屋上から。スーパーマーケットが左側に位置し、ブティック、化粧品店(資生堂もあります)、映画館、食事処エリア(小さな店が連なっています)、両替店、手工芸店、カジノなどがあり、高級感あふれ客層も富裕層が多いようです。勿論ウインドウショッピングを楽しむ人も多く訪れます。
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              建物内部
四角に作れば建設費も安く、作業も効率的であると日本人は考えかちですが、そこは違うようです。暑い気候がこのような空間をもつ建物を可能にしていると思います。(日本だとさしずめ、暖房費用が掛かり過ぎて敬遠されてしまいます。)写真は日曜日でしかもまだ時間が早いので殆どの店はしまっていてこれから開けるところです。
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            建物内部

パラグアイ日本人移住70周年記念祭典

パラグアイ日本人移住70周年記念祭典
既に70周年の記念式典が行われることは紹介しましたが、其の為の寄付金のお願いが私どもにあり記念事業にお役に立てればと思い些少ですが寄付させていただきました。記念事業の招待状をいただきましたので謹んでご紹介させていただきます。
 

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             案内の封筒
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パラグアイ日本人移住70周年記念祭典のご案内(招待状)
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   パラグアイ日本人移住70周年記念祭典趣意書

フロント社員(内山田ホテル)ご家族の悲しい知らせ

悲しい知らせ
7月30(日曜日)朝知らされたことですが、本館フロントのRossanaさんのお父さん (57)が亡くなられたと知らされました(ピストルによって自ら命を絶たれました)彼女のお姉さんが病気で亡くなってまだ一月も経ていません。それ前にはAgedaさんの姪が若くして病気で亡くなりました。Antoniaさんは厨房で7年間働いていた中堅ですが自らの意思で子供二人を母親に預け、ヨーロッパに出稼ぎに行くといってホテルの仕事を辞め、渡欧したのですが書類に問題があった様で入国できずパラグアイに戻らざるを得なく、ホテルのご主人のはからいにも(もう一度ホテルで働く)応ぜず姿を消されているというし、ウエイトレスのMariaさんは胃が悪くてかれこれ1週間休んでいますがこの影響で土曜日のレストランは客も多くてんてこ舞いでした。私の部屋へFlanciscaおばさんが掃除に来た時この話をしましたら、今までにない口調で彼女は「Antoniaについてもホテルのご主人がどのくらい思い留まる様に説得したことか。私はかれこれ20年お世話になっているがどのくらい面倒を見てもらっているかわからない。ご主人は面倒見の良い方でお金が緊急に必要になれば用立ててもらったし、子供の成長には折りに触れてお世話になっています。Antoniaも辛抱が足りない。結局若い彼女は忠告も聞かず辞めてしまったし、その後ご主人がもう一度働いたらという呼びかけにも姿も現さない。私も母が92歳で寝たきりで面倒を見ているが、ホテルの仕事で早朝から起きて働かなくてはいけない。私だって時には身体を休めたいが、息子二人はちっとも手伝うこともしないし、遅く帰宅するし、今の若者は駄目だ。」という趣旨のことをひとしきりまくしあげて行かれました。皆悩みを抱えて生きています。語学も最初はめでたい言葉ばかり覚えていましたが、Mis pesame para usted.(お悔やみ申し上げます)という言葉もお伝えする必要があります。アパートに一人で住んでいればこのような話や言葉は聞くこともなければ、言うこともありませんが、二十数名が働いているホテルでお世話になっていれば様々な事象に遭遇します。(多少言葉を理解する私にみなさんそれとなく打ち明けてくれるのです)