
教会裏手にあった小学校の入り口

コロニアルな家の店:見た瞬間これは絵になると思い、カメラを取り出していたら、セニョーラが中から出てきました。写真をお願いし快諾していただきましたが、セニョーラは店の中へ、かわって男の子が時々顔をのぞかせました。

フォード社のクラシックなトラックが道路に停まっていました。

街角の電話屋・コピー屋(電話のない人はここに来て電話を掛け料金を払います。:経営者は電話会社から来る請求書との差額を収益とします)

作業員がトラックからレンガを手作業で降ろしているところです。

街角の薬屋「SAN MIGUEL」

ITAIPU(イタイプー:国営会社・・・・ブラジルとの国境の川に作られた発電所の管理運営会社だと思います):この中学校を建てたようです。イタイプーはこのように国内に多くの住宅や建物などを建てているようです。(こんなにきれいな中学校校舎を見たのは初めてのような気がします)

幾つかある門の一つ。門扉が設置されていました。

男子生徒のグループが庭の木蔭で談笑中:私が身振りで写真撮るよ!と伝えると一斉にこちらを向いてくれました。

町外れを走る主要道路
チャコ地方Filadelfia(1)ターミナル
Filadelfia 2007.4.5(木)~4.7(土) セマナサンタ祝日を利用して行ってきました。
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Filadelfiaはドイツ人(メノニータ)移住地として知られる場所です。現在はメノニータの皆さんと、ドイツから移住してきた皆さんが共に暮らす町となっています。
時代は1900年代初頭なのでしょうか。ロシア地方に暮していた、メノニータの人々はロシアから迫害を受け故郷のドイツに帰ろうとしましたが、時あたかも第2次世界大戦勃発の様相が高まり、戦争を嫌う彼らは船に乗って、この南米奥地のチャコ地方に移住してきたのだそうです。ラプラタ川を遡り、パラグアイ川を更に遡り、ピリコマージョ川を遡ってこの地に辿りつき、原始林を切り開き、獣と戦い、家を作り、作物を育て、連れてきた家畜を飼育し自給自足の生活を築いて長い間この奥地で生活を営んできてやっと最近アスンシオンからのルータも舗装され、電気も通電されたのだそうです。それまでは、村内の発電所(薪を燃やして)で発電した電気を利用した生活をしていたそうです。15年前はTVも見てはいけない、インターネットも使用してはいけないという規制もあったそうです。現在はこれらの規制も解かれましたが、まだ区域内の道路は舗装されず硬い粘土質の道路です。このため車は信頼のあるメーカ・車種に限られていたそうで、トヨタ、日産、三菱が主流だったそうです。最近は価格が安い韓国メーカーも入ってきていますが、平原や遠方に出るときなどは、信頼性のある車を使うようにしているそうです。ここにきてみると車の故障は絶対ないほうが良いということは強く感じます。ラリーなどに参戦して車の耐久性能を常に追求することが必要だと感じました。
距離はアスンシオンから466km
往路(5日): 6:00 Asuncion発 (ターミナル) ⇒Tacuara 9:00休憩 9:20発⇒Pozo Colorado 11:45 着休憩 11:50発 ⇒ Loma Plata 着15:00 ⇒Filadelfia着15:30
復路(7日): 12:00 Filadelfia発 ⇒ 14:40 Pozo Colorado 着⇒ Asuncion着 18:30
FiladelfiaにはCOOP、Loma PlataにはTREBOLという有名な乳製品の加工場があり、これらは共同組合として(Cooperativa)ずっと運営されていてその昔はアスンシオンまでの道は舗装もされていませんでしたから、消費はこの地域内のみでおこなわれていたそうです。近年ルータの開通と共に約470km離れたグランアスンシオン圏まで陸送され販売されるようになったそうです。
いまやパラグアイ国の牛乳シェアでは、COOPは50%、TREBOLは20%で、ロングラン牛乳(常温保存可能パッケージ:6ケ月)も製造しているのだそうです。私が常温保存の箱の中に、薬を混ぜて長期保存を可能にしているのではと尋ねると、「そんなことはない」「120℃で滅菌し、特殊冷却を数回繰り返すことによって可能にしているのであって、決して防腐剤などは使用していない。」という説明でした。(TAXI運転手の説明によります)乳製品としては他にヨーグルト、チーズ、肉製品は、牛肉、ハム、ソーセージなどが挙げられるそうです。
4月5日(木)朝5時30分ですがターミナルは、旅行客・帰省客で混雑していました。

改札付近

プラットホームでバスを待つ人達

1回目の休憩ポイント(運転手と、助手は朝食を摂りました)今回のバスにトイレはありません。

ボートを牽引しています。連休を利用して家族でどこかに行く様です。

裏庭に飼われていた豚。「足の踏み場もない」状況でした。

ルータ9号
チャコ地方Filadelfia(2)ルータ9号

変化に乏しい景色の中を100km、200km、300kmと進みます。

このような景色です。(ルータ9号)

二回目の小休止ポイント

中継アンテナでしょうか

途中にあった警察の建物

木蔭に警察官が腰を掛けていました。

ルータ9号から分岐している道路。このような場所でバスを降りる人がいますがその後どうやって家まで帰るのか、いつも気にかかります。携帯電話はこういう時には本当に便利だと思います。

ルータの状況。バスはひたすら走ります。

住宅:左の丸太で囲われたところが多分トイレだと思われます。
チャコ地方Filadelfia(3)到着

ルータ沿いの住宅:どの家も庭に洗濯物が沢山乾してありました。

バスのフロントガラスにはひびが入っていました。小荷物の朝刊が積まれていました。

大型タンクローリ車

ローマ プラタまで23kmの標識

ローマ プラタの道路:未舗装のため埃が舞いあがっています。

ローマプラタ~フィラデルフィア間の道路。轍が出来ていたのでハンドルさばきが大変そうでした。(結構硬そうですが、雨が降ると大変です)

フィラデルフィアの道路:とても広く確保されています。真中に緑地帯があって道の両端は歩道でコンクリート舗装してありました。

日産、ヤマハの文字などもあります。

道路の構造は中央部が低く両サイドは高く、排水のサイホン暗渠も設けてあります。
チャコ地方Filadelfia(4)Hotel Safari

ホテルSafariの入り口

HOTEL Safariのフロント

Hotel Safariの部屋 結構疲れて夕食まで暫らく寝ました。

夕食を食べに行く途中:子供達に写真撮ってとせがまれました。

4月6日Hotel Safariの朝食:パンはここで焼いているそうで、La Paz産のゼロ4個表示の小麦粉でパン生地を練っていました。

HOTEL Safari の食堂
チャコ地方Filadelfia(5)動物
精神医学の病院「エイレネ」:メノニータの心の健康サービス

入り口の看板

入り口ゲート

駐車場とボラチョの木

サル(小型)

狐

Avesturs(ダチョウ)

Tapir(バク)
Tapir(バク)
陸亀

鹿(小型)Venado
猪

この猪は上の写真とは種類が異なるそうです。毛が長く太いのが特徴のようです。私達を威嚇中
アヒル Pato
私を1時間ほど案内してくれたHelmut Unrau氏


私が手にしていた紙に興味を示して集まってきました。

チャコ地方Filadelfia(7)公園と周辺

博物館隣接の公園内にある碑

碑に刻まれた25周年記念碑:1930年入植

入植50周年記念

入植75周年記念・・・・・・25周年記念の植木もあったんだそうですが長い間に枯れてしまったそうです。

公園内に植えられた「ボラチョ」(酔っ払いの意味)

家具大工職人(Helmut Unrau氏と愛車)

車が無い時代、切り倒した大木を運んだ大車輪(2.5m)

沢山花が咲いています。庭はどのお宅も手入れが行き届いていました。

この町はアスンシオンと違って道路にゴミは捨てられていません。路上で何か飲むことは禁止されているそうです。
電柱の装柱や電線、電話ケーブルの架設等も同じパラグアイ国内とは思えない程首都アスンシオンと比較するときちんと施工されています。

Helmut Unrau氏が働いている家具製造工場の社屋

雨水は中央に集まるよう傾斜がつけてあります。手前のサイホン暗渠で道路下をくぐり流れてゆきます。どこに流れて行くかわかりませんが、レベル測量がきちんと行われ施工されているため、金曜の夜大雨が降りましたがきれいに排水されていました。
チャコ地方Filadelfia(6)町周辺

養豚場区画:豚舎が幾つもあり、広い庭の水溜りで水浴びをしている豚もいました。休日の為中には入れませんでした。

サイロ:主に家畜の飼料ようだそうです。

インディオの住宅。このあたりは多くのインディオが暮していて、住宅団地に作られた住宅に住んでいます。

パラグアイの50%の牛乳を生産している「Coop」(共同組合経営)

大型の保冷車で466km離れたグランアスンシオンやパラグアイ国内に牛乳、チーズ、ヨーグルトなどを陸送しています。

Coopの乳製品製造工場。見学可能ですが今日はセマナサンタで休業です。

鉄鋼所

移住75周年記念モニュメント

大型トレーラ:グランアスンシオンへ陸送する牛が荷台に積み込まれていました。

道路:乾燥するとアスファルトに近い路面状況になります。遠くのアンテナは電話会社のアンテナ(高さ110m)
チャコ地方Filadelfia(8)町周辺

本屋

教会

教会建物

沢山の花が咲いていた「ボラチョ」の木(民家の庭)

入植記念モニュメントと後方は電話会社のアンテナ(110m)

病院と薬屋

民家

民家

レストラン:今日は祝日のため閉店

レストラン:今日は祝日のため閉店
チャコ地方LOMA PLATA

LOMA PLATAに向う道:ここは住宅がないので道路両側に雨水排水路が設けられています。チャコ地方は7月~9月(冬季)にかけては乾季でひと月雨が全く降らないこともあり、2ヶ月降らないこともまれにあるようです。

LOMA PLATA飛行場:丁度セスナ機が着陸してきました。滑走路は未舗装です。南米のなかでもここは平均個人所得額が高いエリアでLOMA PLATAには百万長者がおられるそうです。

飛行場

タクシー運転手と車両:彼は日産(写真)とトヨタ(8人くらい乗れるワゴン車)の2台の車を保有しているそうです。仕事柄外国からの客を案内する機会も多いそうです。(名前:Jairo Arnold氏) 「我々は日本のことを別世界の国と言っています。日本から運ばれた中古車を私達はここで10年~20年も使うのです」「日本人は車をに2~3年で乗り換えるんですか」と笑っていました。

LOMA PLATAの看板

LOMA PLATAの発電所(アスンシオン方面からの給電が停まったときに非常用として駆動するそうです。)隣のTREBOL(乳製品工場)にとって電気は欠かせません。またアスンシオンから466kmもありますので、途中の電力供給ルート(殆どがコンクリート柱)でどのようなアクシデントが起きるやも知れませんから。ディーゼルエンジンの排気口が二つ見えます。

TREBOLの博物館

ユーグルト加工場

発電所とTREBOL間の給電線(道路を跨いでいます)。右建物が牛乳加工場

MUNICIPALIDAD DE LOMA PLATA(市役所建物)

LOMA PLATAにあるHOTEL(最近完成したとか)

LOMA PLATAの病院

老人ホーム

黄昏時のLOMA PLATAの道路

LOMA PLATAの夕焼け雲