Santa Elenaの紹介(1)

Santa Elena  2007.3.17(土)
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Santa Elena
の村はItacurubiからルータ2号を右に分岐した道路を9km程入ったところにあります。Itacurubiはルータ2号に沿った町で既に一度訪ねたことがあります。Santa Elena行きのバス時刻表をまったく知らないので、AsuncionからValenzuela行きのバスに乗り途中Itacurubiで乗り換えることにしました。

距離はアスンシオンから96km

往路(17日):  9:30 Asuncion(スーパーPueblo) ⇒Itacurubi  11:45
               Itacurubi  12:00発 Taxi で移動 Santa Elena 12:15着  
復路(17日):  13:30 Santa Elena⇒ 15:40 Asuncion(スーパーPueblo)

ItacurubiSanta Elena行きのバスを待つ人達に次のバスは何時来るか尋ねたら、今から1時間後になるだろうというのです。隣にはタクシー乗り場があって運転手がどこまで行くか訊いて来ます。バスを待つ男性客が私に「タクシーで行った方がいいよ」とさかんに勧めますが、私は「タクシーに乗るほど急いでいません」と答えはしましたが、アスンシオンに帰る時刻が遅くなるのは辛いと考えてもいました。彼はタクシー運転手と交渉してきて、運賃を半額ずつ出し合って行こうよというので了承し、近くにいた父子も一緒に乗せてあげることにして乗合で発車しました。道路は最近舗装されたようで、舗装の表面はまだ赤土でそんなに汚されていませんでした。私だけが教会の近くでタクシーを降ろしてもらい、他の客3名はそのまま更に先へ行きました。目の前にあった店に飛びこみ、帰りのバスの時刻を尋ねたら、13:3015:3017:303本でした。2時間に一本の運行です。ここは大きな村でもなさそうなので先ず昼食を食てから、あちこち見て回っても13:30分のバスには十分余裕があると思いました。先ずは昼食です。食堂が何処にあるか尋ねて行ってみると「ミラネサしかない」(肉叩いてうすく伸ばしメリケン粉を付けて揚げたもの)というので他に食堂があるか尋ねたら、2町先にあると教えてもらいました。(親切です)そこに行ってみました。いつもの「タジャリン」があるか尋ねたらあるというのでそれと「マンジョウカ」をお願いしました。店内には若者が8人くらい椅子に腰掛けビールを飲んでいましたが、皆寡黙で異様な感じがして、私はテーブルに出された食事の写真を撮ることも止めました。



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村内の道路にあった標識(奥まったところ)
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Municipalidad
 de Santa Elena:メイン道路に面しています
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Municipalidad
 de Santa Elena
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メイン道路
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一町裏手の道路
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広場

Santa Elenaの紹介(2)



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教会(正面):子供達が集まってきていました。
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教会の広場:子供が集まってきています。
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教会:裏手より
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教会内部
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集まってきた子供達:教会入り口付近にいた子供達に声を掛けて撮りました。このあと子供たちに囲まれて質問攻めにあいました。インターネットを知っているか尋ね、from Asuncionを入力して検索すればこの写真が見れると伝えましたが
私の語学力ではどの程度伝わったか?子供とコミュニケーションすることが一番難しいです。(子供は情景を読むことができないので単語を発しただけでは理解してくれません)
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教会裏にある警察署
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村内の民家の庭:井戸と柑橘類の木(真中)と建物
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バスがやってきました。更に奥の村「Mocayati]に行くようです。私がItacurubiのバス停でそのまま待っているとこのバスで着いたことでしょう。
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ダンプカー
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歩道で寝ている犬:このようにどこに行っても野放しの犬がいます。でも決して人間に向ってはきません。自由に動けるので彼等の方から見知らぬ人は避けて通ります。(飼い犬でも庭の中は自由に行動できるためか吠えられることも少ないです)犬達はまともな体をしたものは少ないです。目を背けたくなるような毛が抜けた犬とか、他にもいろんな状況の犬を見ます。
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広場から家に戻るニワトリの親子。日本なら犬が先ずニワトリを追いかけまわしていると思われますがここではそういう場面は見たことがありません。小さい頃から皆仲間として大きく育った為でしょうか。
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広場の隅にあったバレーボールコート:パラグアイではバレーボールを楽しむこのような簡単なコートが至る所にあります。夕方になると若者が集まってきてプレーする姿を多く目にします。だいたい3人でチームを組んでプレーすることが多いです。

先輩による歓迎会(工業高校)

2007年3月16日(金)に行われました。
この行事は毎年行われるようです。サッカーグランド周辺で行われ、私達が行った時には既に新入生は先輩から水の入ったゴム玉をぶつけられたりして、ずぶ濡れになっていました。その後、校長先生自ら主審をつとめ、クラス別対抗サッカーゲームが10分ハーフで行われました。これらの模様を紹介します。



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グランドといっても草だらけ
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汚れを洗い落とす新入生
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新入生:かなり汚れています。寒くはないので平気ですが・・・。
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スプレーで吹き掛けられた生徒もいます。
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水で洗い流す生徒:傍で先生が世話をしていました。
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先輩は悠然としています。
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ゲーム中
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ゲーム中
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ゲーム中
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ゲーム中
工業高校の部活動は無いと思います。日本の高校だと沢山の部活動があって文化・体育それぞれ活発な練習が毎日繰りひろげられますが、ここでは全く目にしません。貧しいからでしょうか、何も活動は行われていないようです。例えばアルパやギターなどはパラグアイで製造していますが他の楽器は外国から買うしかありません。グランドの雑草の繁茂状況を見ていただくと運動サークルが行われていないことは一目瞭然でしょう。

移住地ラパス(La Paz)で「そば・うどん料理講習会」その1

La Paz  2007.3.10(土) 天候は土砂降りの雨。
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夜半から雷雨のため行くのは無理かと思わせるほどの雨。このためKさんは自宅付近の道路が冠水して履いていた靴とズボンの裾が濡れた状態でバスターミナルに到着されました。
今回乗ったバスはエアコンが効きまずますです。(バス:La Encarnacena 社)
ルータ2号をEncarnacionに向って走り Carmen del Pranaの町を過ぎると、Entrada de Framというポイント(道路の分岐点)がありそこでバスを降りました。山神さんの奥様(今回の世話役を担当された方)はそこで私達の到着を一時間も待っていてくださったのです。そこからラパスまで36kmくらいはあるでしょうか、山神様の奥様の運転する高級車で会場に向いました。

主要ポイント距離程
  ・AsuncionからCarmen del Paranaまで331km
  ・Carmen del ParanaからLa Pazまで36km

  ・AsuncionからEncarnacionまで370km

往路(10日):  8:30 Asuncion(ターミナル) ⇒Entrada de Fram  14:00⇒La  Paz 14:30 着
復路(11日):  12:00 Encarnacion⇒ 17:30 Asuncion(ターミナル)

(二日間で約740km12時間バスに乗りました。)

La Pazに着くと山田さんが営む食堂に昼食が準備されてました。あいにく途中の休憩ポイント(Villa Forida)15分間休んだ時に私達はパンやチパ、サンドイッチを食べてしまっていたので、山田さんには誠に申し訳ありませんでしたが、二人とも殆ど手をつけず残してしまいました。

山神様を通して40名~45名の方々が今回の講習会に参加予定と伺っておりましたので、全員の皆さんにうどんを作るための道具がゆきわたるのか不安でした。(山神様は3地区に回覧版で周知されたそうです)
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地区とは、富士地区、La Paz地区、Santa Rosa地区です。銀行、警察署、農協、教会などがあるのはLa Paz地区です。でも日本の集落形成とは異なり、どこを見ても集落は見当たりませんでした。

なお、手もとの資料によるとLa Paz移住地は(1956年~)144戸、667名となっています。でも広大な土地のどこに144戸があるのか全くわからない状況です。(単純に戸数で耕作面積を割ると 110Ha110町歩になります  実際は400500Ha(町歩)の方もおいでになるようです。400Ha(町歩)は2km四方の広さです。とても日本では想像がつきません。(1軒の畑の面積ですよ!)
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11日日曜日:エンカルナシオンまで送ってもらう時の景色です。(山神様のご主人に送って頂きました)


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富士地区からエンカルナシオンに行く途中の景色(ルータ6号合流前)(車中にて)
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大豆畑:富士地区過ぎて(車中にて)
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大豆畑:富士地区過ぎて(車中にて)
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ラパス日本人会婦人会主催 「そば・うどん料理講習会」に参加の皆様。土曜日(10日)午後と日曜日(11日)午前の2回講習会が行われました。写真前列真中の男性が山神様のご主人様(香川県出身)。後列左から2番目が奥様(高知県出身)。前列左(帽子)そば講師(Kさん)、その隣の白いTシャツの右隣が、婦人会部長様です。(11日午前撮影)
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日午前撮影:うどん生地を練っているところ。うどんは全員がチャレンジしました。こちらでは日本のようにメーカが食品を作って販売するなんてことありませんから、全てのものが手作りになるそうです。ということで殆どの方は自宅でうどんを作っておられました。また作るときは一度にたくさん作って(1kg)、生のまま冷凍しておきます。量が多いためイタリヤ製かアルゼンチン製の機械で生地の伸ばしと切りの作業をおこなっていて、機械は好みで選択されているようですがアルゼンチン製の方が多いようです。イタリヤ製は日本でも売られています。
わかったことは、打ち粉に片栗粉を始めて使ったとか(生地と同じ小麦粉を使う人が殆ど)、粉の種類は「Tipo Cuatro Cero」(強力粉:紙袋に0数字4個印字)を使っている方が殆どで、「Tipo Tres Cero」(中力粉:紙袋に0数字3個印字)は始めて使ったという方が多かったです。またラパス産の粉と、アルゼンチン産の粉の違いの話しがでましたが、私にはわかりません。
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そば講習会のテーブル(手前右の大きなこね鉢を見ると、普段いかに大きな生地を作っておられるか想像がつきます。)
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左側:うどん、右側:そば   各グループ
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うどん生地作り(日曜日)。皆さん手馴れたものでした。
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うどん生地作り(日曜日) 結構楽しんでおられたかな?うどんの汁がないので日曜日は試食なし。全てお持ち帰りしていただき、家族の皆さんと食べていただくことになりました。結果はいかがだったのでしょうか。ブログを見られた方はコメント下さい!
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お土産に頂いた新米(10kg)と味噌(2kg
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味噌は「ラパス農協婦人部会」の皆さんの手によるものです。(日系人の食材店でも販売してます)
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帰りに頂いた柚子
「お弁当(昼食)、新米、味噌を頂き婦人会の皆様ありがとうございました。」
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皆さんはインターネットを使って日本の情報なども直接入手されているそうです。会場で私のブログアドレスを何人かの方から問合せをうけました。
山神様のご主人の話ですと、ゴルフはパラグアイ側のエンカルナシオン近郊にはゴルフ場が無い為、国境を越えてアルゼンチンのポサーダスでプレーするのだそうです。グリーンフィーも会員だと安く、日本の練習場で100球打つ程度の金額でプレーできるそうです。ゴルフ好きにはたまらないでしょう!!。勿論一人だけでプレーできます。

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??なぜ私がこの講習会に参加することになったのか??

・シニア海外ボランティアの同僚Kさんは「そば打ち」を仙台で教えておられました。(退職後)
・Kさんはアスンシオンでも昨年12月から3ヶ月間、そば教室を開催されました。(ハマナスセンタにて)
・そば教室で生徒さんはなかなか長いそばが打てなくて、Kさんは思案され生徒さん達に長い「うどん」を作れる同僚(私)がいるので紹介することを約束されました。
・Kさんはうどんも打つのだそうですが、私のうどんを今までに二回程食されその評価は「ご自身の打つうどんよりしっかりしている」のだそうです。(私はKさんがうどんを打つところを拝見したこともありませんし食べたこともありませんから評論はできませんが)
・このようなことからKさんから、昨年12月下旬「うどん打ちを是非ハマナスセンタで教えて欲しい」と要請されました。
・要請をうけ、2月上旬にハマナスセンタで4名の方に「うどん打ち」を教えました。(ブログ掲載)
講習終了間際に今ラパスから蕎麦打ちを是非教えて欲しいと要請がきているので、是非横田さんも一緒に行って欲しい、もし良ければこの話しを進めさせていただきたい 旨の話しがあり私は了承してしまったのです。
公の場で教えるのは2回目です。
ということで約350km離れた日本人移住地「ラパス」にハカリ、ボール、計量カップ、のし棒をリュックに詰め込んで、一泊二日の講習会に参加してきた次第です。

移住地ラパス(La Paz)で「そば・うどん料理講習会」その2

写真は311日朝730分過ぎのものです。朝食は宿泊先(ラパス日本人会文化会館)近くの食堂「山田さん」で頂きました。朝食を済ませ、あちこち歩きまわって撮った写真です。


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鉄塔は固定電話会社のもの(営業所あり)道路突き当たりが警察署、左に曲がると農協、銀行、教会、ラパス日本人会文化会館等があります。突き当たり手前右角が食堂「山田さん」。このあたり一帯がラパス中心街です。
通りの両側に民家があり、皆さんから「おはようございます」と挨拶をしていただきました。
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サンタ ロサ地区に続く道。(このあたりの道路は日本の建設会社が建設)山神さんの奥様の話しですと、入植当時は原始林で空が見えなかったそうです。(11歳で入植)小学校にゆくとき近道すると林の木の上で大きなヘビが木の枝を移動する時の音が聞こえ、ヘビも落ちない位、原始林が生い茂っていたそうです。それを大人が切り倒して開墾し続けて今日の畑が誕生したんだそうです。また機械化する前は人手作業のため労働も非常に大変だったそうです。
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朝霧に包まれる大地
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富士地区の方向を望む:約10km先に富士地区があります。
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ラパス農協の大豆サイロ。大豆を作るようになってから農家の経営も安定したそうです。作物を作るには土地を耕しますが、ここでは不耕起栽培が適しているのだそうです。畑を起こすと雨によって良質な表土が肥料ともに流されてしまうのだそうです。
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ラパス農協の大豆サイロ。大豆の取引価格はシカゴ相場だそうです。
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朝霧に包まれるラパス地区:道路左に警察署、右のお宅が食堂「山田」さん宅
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食堂「山田さん」入り口:山田さんは徳島県のご出身
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左が山田さんの奥様。私は写真は・・・と遠慮されました。
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店内
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作っていただいた朝食。左上の食べ物は餃子ではありません。パラグアイのポピュラーな食べ物「エンパナーダ」です。肉を包んで揚げたものです。

移住地ラパス(La Paz)で「そば・うどん料理講習会」その3

310日土曜日午後の様子


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できたそばを試食中。真中の男性がKさん
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皆さんそばを少しずつ分けて舌鼓中。山神さんの出身が高知県なのでカツオを使ったダシです。美味しかったです。
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前原さん宅の庭の植木。(土曜日夕方会館近くを山神さんに車で案内していただきました)
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前原さん宅の植木の数々。毎日丹精込めて手入れをされているそうです。

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前原さんと一緒に。左からK氏、前原さん、私。前原さんは柔道をされていたことから、整体師の技術をお持ちで脱臼した時などお世話になり住民は助かっているそうです。
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山神様の奥様と:今回の世話役を引きうけられ、そば粉をロシア人の移住地に買い求め、のし板を買い求め、婦人部会員皆さんに講習会開催の案内・調整といろいろ奔走されました。
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前原さん宅の大型トラクター。大豆刈り取り用
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前原さん宅の大型トラクター。耕作面積が一定規模以上ないと機械化できないそうです。
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ラパス日本人会文化会館:二階宿泊施設(私のベット)、もう一部屋にKさんのベット。シャワーもありました。
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日朝撮影:ラパス農協
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日朝撮影:TUKAMOTO商店、右隣が銀行

アスンシオン市のバスの乗客カウンタ取り外し

アスンシオン市の女性市長エバニーさん(前パラグアイ国観光大臣)は昨年の選挙で勝利し現職に就いた方です。早速アスンシオン市のバスの安全対策に着手し、モリネッテ乗客カウンタ(昇降口に取りつけられた羽根車)(利用客数を数える装置)取り外しを法律で規定し、先日点検が行われました。また、割れたガラスの取り替え修理や安全に関する条件が整っていないバスは運行を禁止するなどの措置を始めました。(バスの利用客を数える装置がなぜ必要か・・・・・・・運賃は運転手が客から直接もらうため、不正なく会社に納入されるよう、利用者数をチェックするためのものです)
これが無くなると我々にとってはバスの乗り降りがかなり楽になります。でもまだ運転手のお客様に対する安全意識は日本と比べ格段に差があります。

パラグアイは夏時間終了

311日夜0時をもって夏時間が終了し時計の針を一時間遅らせました。よって日本との時差は13時間です。日本時間が313日昼12時の場合はパラグアイ時間は前日12日の深夜11時です。このところ朝7時が日の出時間でしたが、6時が日の出時間となり目を覚ました時あたりは暗かったものが、変更によって明るくなりました。

Villa Hayes(ビジャ アジェス)紹介(1)

Villa Hayes はチャコ地方に入って最初の町です。この町にはPRESIDENTE HAYES県の県庁舎があり、パラグアイ川の辺に面した町でもあります。また本によるとHAYES県は川、沼、湖水などの水源が多くあり、ワニ、カルピンチョ(カピバラ)、鹿、アリクイなどを多く観察することができると紹介されていますが、平原に行かないとこれらを見ることは無理のようです。
アスンシオンからのびるルータ3号を走るとルータ9号が分岐します。パラグアイ川を跨ぐレマンソ橋を渡って右に折れ、盛り土の道路を走ると馬に乗った将軍の銅像が見えてきます。その交差点を右に折れて進むと町の中心地です。特に大きな町並みも見られませんでした。平地のせいか道路も広く確保され、各家の敷地もゆったりしていたと思います。特徴というと「ロバ」が目につきました。どのような働きをして人間に貢献しているのかわかりませんが、いたるところで草を食んでいる「ロバ」を見ました。今日は日曜日ということもあって各家々の木蔭では椅子に腰掛けた皆さんが家族でテレレをする姿を多く見ました。

アスンシオンからルータ9号で36km

往路(4日):  9:40 Asuncion(ブラジル通り) ⇒Villa Hayes 10:50
復路(4日):  13:25  Villa Hayes⇒ 14:20 Asuncion(エスパーニャ通り)



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Villa Hayesの教会正面:整った建物でした。敷地内にサッカー場はありませんでした。
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建物左手より
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Parroquia
:<カトリック>(小)教区教会
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電線に付着した植物
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パラグアイではこのように電線に植物が付着し成長します。最近はメンテナンスが良くなって少なくなっていますが場所によってこのような状況です。
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焼肉屋の煙がたちこめる道路
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私の目には火加減が強すぎるようなきがしました。(煙が立ち過ぎ)
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煙に誘われて客が買い求めていました。「写真を撮らせてください」とお願いしました。
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電話会社:COPACOの営業所
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営業所入り口の公衆電話。

Villa Hayes紹介(2)



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テコンドウの大会が行われていました。空手、テコンドウは人気があります。どちらかというとテコンドウを子供に習わせる親が多いような気がします。
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防具を身につけて蹴りあっていました。低学年
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こちらは学年が上のクラス
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試合のゆくえを見守る父兄
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テコンドウ競技大会の貸切バスや車が駐車
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Municipalidad
 de Villa Hayes
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Villa
 Hayesとアスンシオン間の循環バス。(運転手によると日曜日は30分毎に運行)後方のアンテナはCOPACO(電話会社)。
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サーカスのテント。筋骨隆々とした若者二人がテレレを飲んでいて先方からこんにちはと挨拶されました。
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「ロバ」
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のんびりと草を食んでいます。(自由に歩きまわっていました)