7月29日(日)
テレビ画面で気温7.4℃。寒い風が吹いていましたが、良い写真が撮れる・撮りたい と急いでシャワーを浴び(寒いのなんのといったら・・)身支度して出掛けました。昨日夕方に見当をつけておいたので、日の出に間に合うよう一目散に橋に向かいました。
Pilarの町の入り口にある橋
川
橋
川には最近築堤された堤防がありました。
日の出:朝焼けの空と橋
Iglesia 朝日を浴びる教会
林の中の教会
朝日を浴びる教会
朝のミサに向かう夫婦
早朝、教会のミサに向かう人達
教会の内部(ミサが始まっていました)
教会の鐘
作成者: yokota
Pilar 5
PLAZA 近くの学校
校舎建物正面
校舎側面
民家(古い様式)
民家(古い様式)
校舎
博物館
GOBERNACION DEL NEENBUCU(ニェエンブク県庁舎)
GOBERNACION DEL NEENBUCU(ニェエンブク県庁舎)
県庁の通り
Pilar 6
野菜売り:建物を撮っていたら「写真をとってくれ」といって近づいてきました。
町角の建物
町角の建物
町角の建物
町角の建物
CENTRO REGIONAL DE EDUCACION
CENTRO REGIONAL DE EDUCACION
町角の建物
町角の建物
Pilar 7
県庁舎建物前の道路に作られたモニュメント
県庁舎建物前の道路に作られたモニュメント
県庁舎建物前の道路に作られたモニュメント
Gallina y Gallo(雌鳥と雄鶏)
犬
Banco Nacional de FOMENTO
Banco Nacional de FOMENTO
井戸
朽ちている古い家
BINGO を販売する子供達。
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Restaurant JASY :バスターミナルから近いためバスを利用する客3人が昼食を食べていました。
Restaurant JASY 店内
食堂のみなさん。Teresa Servin de Acuna(nはエニェです)と Elizabeth Rodan Rodas
Chupin de pezcado(Surubi) 昼食はなまず料理を食べました。塩味が強かったです。
Pilarの町から更に南下するとパラナ川とパラグアイ川が合流しているところがありますが、私はまだ行った事がありません。(道路は舗装されていないようです) そのあたりは水量も多く、魚が沢山獲れるようです。
PC400台のうち10台がLUQUE市の学校に
7月26日(木)
スイス国から贈られたPC400台のうち10台がLUQUE市の学校に据付られました。私と同じ部屋の、Cesar Bogadoさん, Enrique Caballeroさんや電気技術者Guidoさんら若者が作業を行いました。
学校入り口
手前がEnrique Caballeroさん
このスペースが日本でいうところの講堂に相当する場所かも知れません。(右側ステージ)
学校の先生方も作業を見に来て喜びの笑顔です。(後方はCesar Bogadoさん)
(インターネットには接続しないそうです。)
日本の高等学校に相当。小学校や中学校の校舎も隣接していましたから共用で使うことは十分考えられます。
Ing.Pistilli(ピスティリィ)さんと打ち合わせ
7月24日(火)
セラジャさんが職場を去ったことや中断中の作業の継続等について、Ing.Pistilli(ピスティリィ)さんと打ち合わせを行いました。打ち合わせが成功するように、私は事前に資料10枚程作成し、打ち合わせに備えました。Ing.Pistilliさんは工学部の各種管理業務を行う部署の責任者です。
今回は調整員の方にも入ってもらい、セラジャさんが職場を去ったことも彼が拒否してのことなので、言葉の壁を取り除けるよう準備段階から協力をお願いしました。打合せに至るには、Ing.Pistilli さんの前任者であるDra.Ursurina Reine さんがキーでした。突然姿が見えなくなったので職場を辞めたと思っていたんですが、国会へ働きに行ってたとかで、センタに9ヶ月振りに戻ってきて、私に突然電話をくれたんです。「久しぶりです」なんて。電話を切ってからこの人に相談すれば進展すると思って直ぐに部屋に飛んで行って挨拶がてら相談しました。これが良かったです。
お陰様で私達が考えていた仕事はIng.Pistilliさんの理解と協力を得られ人手確保の目処がたちましたが、セラジャさんの再雇用について彼はOKしませんでした。その理由も私達に説明されました。
調整員の方と。
Ing.Pistilliさんは1998年7月から3ヶ月日本に行かれたり、ヨーロッパや中米の各国に行かれ経験をお持ちでした。
Ing.Pistilliさんと
(この日も寒くて私は襟巻きを外せません)
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翌日、工学部キャンパスからIng.Pistilliさんの命を受けて派遣されて来た皆さんと調整員の方です。
右側二人の方が作業を担当する方々です。私達と入念な打合せを行いました。
(気温が低く、風が冷たい日でした)
寒い寒い寒~いパラグアイです
今週は毎日がパラグアイ晴れの天気ですが、寒~~いのなんのといったらそれはもう・・・・・・。
夜間の放射冷却で7月26日(木)の最低気温は2.6℃でした。風が吹くと体感温度はもっと下がります。でも空を見上げると雲ひとつない晴天なので、視覚からは夏の暑さをついイメージしてしまいがちなのです。何処からこの寒さがやってくるんだろうと、しみじみと考えてしまいます。
昨年は寒波にやられて寝込みましたが、今冬は寒いとすぐ帽子を被り、厚着して風邪を引かないようにしています。朝食もパンでなく、あったかいご飯を食べ、職場にはポットにいれた紅茶を持って行き、体を中から温めるようにしています。幾つかの防寒対策が今のところ功を奏しているようですが、まだまだ油断はできません。こうして夜遅くまでブロク投稿作業をしている時も、要注意なのです。
Cnel. Oviedo 1
7月22日(日)
距離:Asuncion~Cnel.Oviedo 132km(ルータ2号)
往路(22日): 9:20Asuncion(Super Pueblo)発 ⇒ 11:30 Cnel.Oviedo 着
復路(22日): 12:45 Cnel.Oviedo 発 ⇒ 15:00着 Asuncion(Super Pueblo)
今朝の気温は20度を越えていましたが、天気予報は雷雨という予報でしたから、出掛けようか迷っていました。日の出後の空模様は次の写真です。
でもその後次第に雲がなくなり日が差しはじめ、夕方まで天気が持ちそうな空模様にかわりました。
何回か空模様を眺めて思案した挙句、でかけることにしました。
金曜日に私のカウンターパートのミゲルから、もし日曜日天気がよければカアクペの近くの丘に登ろうと誘われていました。でもそれは昨夜のうちに断りました。理由は天気予報では雷雨がきて気温も下がる予報でしたから。
丘に登るのは次週以降のお楽しみとなりました。
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Cnel.Oviedo
(思案した挙句に来たコロネル オビエドですが、滞在した時間はわずか1時間15分でした。砂埃が強風で舞い上がり、埃がひどく、雷雨が来ないうちに帰ることにしました)
教会正面(La Iglesia):バスターミナルから町の中心地までは3km位はあると思いました。バスターミナルでセントロ行きのバス乗り場を尋ねていると、バイクタクシーもあるからといってその乗り場(運転手達のたまり場)に連れて行ってくれました。天気がどうかわるか心配だったので゙待つことのない、バイクタクシーで移動しました。丁度風が強くなって、町外れの赤土を空に舞い上げ、強い風に乗って舞って来ました。このためバイクの後ろに乗っていた私の目のなかに沢山砂埃が入りました。
教会右側より:建物は特に印象強く残るものではありませんでした。
教会左り側面
道路向かいから
Municipalidad de Cnel.Oviedo:建物は大きいです。
今まで見た役場の建物では一番役所らしい雰囲気がありまました。
庭の噴水
この町では役場建物前にいたおじさんと会話しただけです。おじさんは多分役場の建物を監視してたんだと思います。
このような町では、道行く人とすれ違っても挨拶もしません。そのため田舎の村に行った時のほうが、挨拶するし親しくなるのも早いですが、このような町では挨拶も交わさず、何かつまらなさを感じます。
電話会社(左)、携帯会社のアンテナ鉄塔です。
ITAIPUによる寄付:学校建物
Cnel. Oviedo 2
小さな店の集まったギャラリー
セントロの通り
バスターミナル近くからセントロに向かう道路:
目を引いた建物
セントロの通り
セントロの通り
セントロの通り
アスンシオン方面
カアサパ方向
シウダ デル エステ方向
写真真ん中の屋根の建物がバスターミナルです。
エンパナーダ:バスターミナルの店にて
一日だけうどん教室
7月21日(土)
シニアボランティアのKさんが二回目のそば教室を「はまなすセンタ」で開いていますが、そこでうどんの作り方を教えて下さいという依頼で行ってきました。
今回の生徒さんは日系人(3名)と日本人(5名)の皆様でした。
皆さん既にそば教室を2ヶ月経ているので粉を扱うことは手馴れたものでした。
生徒さんはそれぞれの生活があるので、集合時間はマチマチでしたが、1時間でほぼうちあげ、残りの1時間は明日日曜日に行われるバザーでそばを打って販売するので、皆で500gのそばを打ちできたそばを試食しました。明日は皆さん自信をもって臨めそうでした。