CITEC (職場にて)

1月15日(火)

Ing. Luis Sandval 氏
彼はなかなか私のところに今まで機会がありながら来なかった人でした。
前々から工業高校の校長先生から、横田はスペイン語が少し話せるから、高校生にも教えて欲しいと頼まれていたのですが、やっと材料などの物品が揃ったので、教えることにしました。今までなかなか来なかった彼が、私にも教えて欲しいといって来たんです。どうしてなんだろう?とは思いました。
そして朝から一緒に学習していて夕方、「今日はそろそろ終わりにしよう」と言ったら、「高校生に私もいっしょに教えたい」と言い出したんです。他にも二名の先生が協力を申し出てきました。
今回のケースのように、ただ彼らに技術移転するというよりも、別の目標というか、動きを起こすと、「私も一緒にやりたい」ということを申し出てくることがあったりして、面白い反応だと思いました。
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PC の異常で二週間 何もできず。

私のパソコンが
12月25日午後から、電源を入れても動かなくなりました

参考のために事象を紹介します。
<バッテリをつけたままで、AC電源で日々使用していました>
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切り分け 1
バッテリを外して、AC電源だけで立ち上がるか試しましたが、何の反応もなし。(電源ランプも点燈せず)
テスターで電源アダプタからコードを含め故障がないか、確認・・・異常なし

切り分け 2
SONYのサイトに他のPCからはいって、電源・バッテリ関係の故障対応関係をくまなく見ました。
そして、書かれていたフローなどから、コード接続を確認しながら電源接続して、再電源入力してみましたが、何の反応もなし。
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故障点推測
マザーボードが故障している可能性が高い。故障担当に問い合わせを。という流れになってました。
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しかし私がこのVAIOを譲り受けた時に、バッテリ駆動時間が10分しかないと聞いていたので、バッテリが老朽化した。と判断して二万七千円するバッテリを、一時帰国してる方に購入を依頼しました。

職場の同僚のパラグアイ人たちは、バッテリが無くてもPCは駆動するといって、彼らのノートPCを私に見せてくれます。家に帰ってきてバッテリを外して、AC電源だけで再度試しても、何の反応もありませんでした。
25日(祝日)・・・・その日は何時もは開けたことのない窓を午前中開けて空気を入れ替え、Santa Rita のブログ投稿資料を整理していて、昼になったので、PCを正常終了しました。昼食を済ませて午後スイッチを入れてもこのときから反応がなくなったのです。
前夜の雨で入れ替える空気に多少湿気もあったような気がして、それでマザーボードが故障したのかな・・。とも考えるようになりました。

機種は VAIO PCG-671N で バッテリは PCGA-BP2V です。

1月10日に日本から新品のバッテリが到着し、早速夜10時過ぎに、バッテリを装着して電源コードを差し込んだら、充電中を示すランプが点燈しました。これで何とかなるぞ!
翌日の午後になっても充電中を示すランプが点燈中でした。 長い時間掛かるなー やっぱり故障かな?
充電時間を調べましたが、手元には何も資料がありません。SONYのサイトに入り込んで調べてもどこにもでていません。それで仕方なく、11日の夕方になって、時間も十分経過したので、電源スイッチを入れてみたら、無事駆動しました。
バッテリ充電状況も50%位でしたが、しっかり立ち上がりました。

高価なバッテリでしたが、PCが無事立ち上がって良かったです。

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ということでクリスマス休暇から新年のご挨拶まで、ブログ投稿作業が全て滞ってしまい遅れてしまいましたこと、お詫び申し上げます。

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皆様に何かとご心配いただきましたが、これからは昨年10月までのように全てが順調に運べると思いますので、今までにも増してご愛読よろしくお願い申しあげます。
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San Juan Nepomuseno

1月3日(木)~ 1月5日(土)

今回はもっともパラグアイらしい田舎風景を求めて旅をしました。
 San Juan Nepomuseno 方面に出かけてきました。2006年にも一度行ったことがありますが、その時よりもアクセス道路が改良されていたので驚きました。前回は赤土の道路が続いていたのですが、それが石畳やアスファルトに覆われ見違えるような道路になっていました。

Asuncion ⇒  262km San Juan Nepomuseno 

往路(3日)
Asuncion 10:15 発 ⇒14:10 Villarrica  ⇒ 15:15 Gral. Garay ⇒ 15:30 Jose Fassardi  ⇒ 15:40 Gral. Morinigo ⇒ 16:00 San Juan Nepomuseno

復路(5日)
Villarrica 9:30 発 ⇒ Asuncion 12:30 着

Asuncion から262kmありますが、バスで6時間を要しましたから、いかにあちこちで停車したかがうかがえます。

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Municipalidad de San Juan Nepomuseno
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メイン道路から一歩入った様子
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教会:珍しい様式の建物ですが、周りが樹木に覆われていて、どうやっても建物だけを撮ることはできませんでした。今にも雷雨になりそうな空模様のため光が不足しました。
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バスターミナル:今回はクリスマス~年末年始の帰省で、ターミナルも込んでいました。
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村外れのスタジアム:夕立の合間をぬって見に行きました。この直後また雨脚の強い雨が降りました。

Gral Morinigo

1月4日(金)

今朝は気合が入っていました。沢山の村をまわるためにはバスの運行に合わせないといけませんから、朝早くから行動するしかないと決めていました。
ホテルは朝食がないので、昨夕スーパーで買っておいたパン、ジュースで朝食を済ませ、朝早くターミナルに向かいました。
泊まったホテルとターミナル間は二町程です。昨日発車時刻を事前に聞き込んでおきました。

San Juan Nepomuseno 6:30 発 ⇒ Gral Morinigo  7:00 着  (10km)

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教会:朝7時過ぎ
村の規模にしては大きな建物でした。
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商店
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役場に続く道:この先に駅舎もありました。
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昨夜降った雨によってできた水溜りで、アヒルも水を楽しんでます。
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Municipalidad de Gral. Morinigo
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駅舎近くの民家: Pajaで屋根が葺かれています。
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古い駅舎:駅名の看板は既にありませんでした。役場を探して歩いていたら、偶然です。
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牛車: このあたりの人たちはとても親切でみなさん快く撮らせてくださいます。

Jose Fassardi

1月4日(金)

バスを待っていたら乗り合いマイクロバスがきました。いろんな商売があるものと関心しました。運転手にJose Fassardi (舗装道路からすこし入り込む)に行ってくれるか尋ねたら、行くというので乗り込みました。このマイクロバスは朝夕の二回、サンファン ネポムセノとビジャリカ間を往復してるんだそうです。タイミングが良かったです。

Jose Fassardi は石畳の道路にかわっていました。村の特徴はなく写真の枚数も少ないです。

Gral Morinigo  7:55 発 ⇒ Jose Fassardi 8:10 着 (Jose の e にアクセント)

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クリスマスツリーの飾り:夜になると灯がともります。
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高台にあった教会: シンプルな建物。
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Municipalidad de Jose Fassardi
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足に障害をもたれた方が道路の草取りに精を出しておられました:
私も両親の野良仕事を毎年手伝ってきましたが、農道や畦の草取りは自分の管理下でもありませんから一番いやな仕事です。
有難いことです。
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村の道路上にはクリスマスの飾り付けがありました。
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この店の前で 次の村 Gral. E A Garay に向かうためのバスを待ちました。

Gral. E A Garay

1月4日(金)

古い駅舎を見つけたり、民家の庭で写真を撮らせていただきました。

Jose Fassardi 8:30 発 ⇒ Gral. E A Garay 8:50 着

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バスを降りて子供達と会いました。教会や役場が何処に有るか教えてもらい、彼らは古い駅舎があることも教えてくれました。駅舎は写真の背後の大きな木立のなかにありました。
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駅の標示板
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駅舎:ある家族が住んでいて、椅子に腰掛けてテレレをしていました。私は皆さんに挨拶をして、写真を撮らせていただきました。
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問い: 鶏は何をしてるかおわかりでしょうか?良く見かける光景です。答えは一番最後に記述しました。
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教会
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Municipalidad de Gral E A Garay

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田舎の感じがする民家を見つけ、セニョーラに写真をお願いしようと、村人との会話が終わるまで近くで待っていたんですが、なかなか終わらないから、諦めて歩き始めました。そうしたら話を終えたセニョーラが手招きして声を掛けてきました。
「私は草葺の屋根や、チパを焼く窯の写真が撮りたいので是非お宅の庭に入らせて欲しいと頼みました」

庭には家族が揃って食事をするだろう、テーブルや、チパを焼く窯、鶏小屋があり、庭は綺麗に掃き清められ、子牛も繋がれていました。三家族が住んでいるようでした。
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チパを焼く窯
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Pajaで葺いた屋根:天気が良いとここで食事をするようです。
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庭に繋がれていた子牛:鍋に入っている茹でたマンジョウカをおねだりしていました。
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鶏小屋:鶏卵や鶏肉は自給自足。
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兄弟 Elizabeth さん (16歳お姉さん)と Carlitos君 (9歳 弟):お姉さんは昨年15歳のお祝いを済ませたと言ってました。
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おじさんは親切に、牛車を停めてくれました。

答え: 鶏は足で牛の糞を広げて植物の種を探して食べているようなのです。やわらかい糞が良いようです。田舎では時々見かけます。(どうしておぼえるんでしょうね!)

Gral. E A Garay 10:20 発 ⇒ 11:15 着 Villarrica

Iturbe

1月4日(金)

Villarrica で45分間も エアコンのないオンボロバスの中で発車まで待たされました。暑くて参りましたが席を確保しておくためにはこれしかありません。汗をたくさんかきました。
Iturbeの村はルータ8号から分岐した石畳の道をバスで 30km以上進んだのではないかと思います。

Gral. E A Garay 10:20 発 ⇒ 11:15着 Villarrica 12:00 発 ⇒ 13:45着 Iturbe(Villarrica から約 40km)

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教会:見事な建物です。鉄道があった頃 栄えた証でしょうか
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Municipalidad de Iturbe:
誰もいない閉まってる建物に行きトイレを借りましたが綺麗な建物でした。村の財政が豊かな証拠でしょうか。
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駅舎の看板
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駅舎
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駅前近くの家
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駅前の建物

村の中心地の写真はありません。理由はバスを待ってる若者に次の村に向かうバスの時刻を尋ねたら時間に余裕がなく、しかもこの村にはホテルもありませんので、バスに乗り遅れることはできなかったからです。

Borja

1月4日(金)

Iturbe からVillarrica 方面に徐々に近づくように、各村を見て歩くことにしました。
この村も大きな特徴は見当たりませんでした。

Iturbe 14:30 発 ⇒ 15:15 着 Borja

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Pajaで葺いた屋根:Borjaに向かう途中(バスの中から)
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道を歩く牛:Borjaに向かう途中(バスの中から)
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教会
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Municipalidad de Borja
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村内の道路:ひっそりと静まりかえっています。
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この店先でコーラを飲みながらバスを待ちました。
村を歩いてたときに次の村 San Salvador の教会の屋根が見えました。店のご主人に距離を聞いたら2kmだというのです。歩いても行けますが、日ざしが強くて元気がでません。先程店にバイクで買い物に来たおじさんが、近くの木陰にまたやってきました。ここでバスを待つよりも、バイクで次の村まで連れていってもらいそこで待ったほうが時間の節約になると考え、おじさんに頼み込み乗せてもらいました。(有料)

San Salvador

1月4日(金)

San Salvador では古い駅舎を見つけました。 広大な敷地の駅構内が残っていましたので、バイクのおじさんに頼んで駅舎まで行ってもらいました。
これらを見ると、今は陸の孤島の感じがしますが、かっては繁栄していたことでしょう。

Borja 16:00 発 ⇒ 16:10 着 San Salvador 

San Salvador 17:20 発 ⇒ 18:30 着 Villarrica

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駅舎と給水装置
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極太で特大な枕木がありました。地面にひだがみえますが、枕木の跡だと思います。
写真から 駅構内が広かったことがうかがえます。
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写真後方には古い貨車が写っています。
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駅舎
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水槽、その脇には機関車です。
左の バイクのおじさんは私を乗せてくれた人。
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Municipalidad de San Salvador
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教会:敷地は大きくなかったです。
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出遭った少年:はだしで歩いていました。
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踏み切り
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村内道路:この先に進むと Villarrica 方面に進みます。
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広い駅構内の敷地には牛が沢山いました。
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Villarrica まで乗せて頂いた小型トラック:

なんということでしょうか。バスの運転手に聞いたときには、夕方6時の最終便があると言ってたのに、村の人たちは、今日は15時15分が最終で、バスはこない というのです。
Villarricaに戻るバスが既になくなってしまったことで思案しました。

Villarricaへ戻るタクシーを待ちましたがなかなか来ません。同じくバスを待っていた、おばあさんと二人の孫は、私が村人と話をしてるスキに、車と交渉して既にいなくなっていました。何と素早い人たちなんだろうと驚きました。できれば私も一緒にと・・考えていたのに!

写真の小型トラックの運転士は一人だけで、車を停めると向かいの店に入ってゆきました。後を追うように私も店に飛び込み、何処に行くのか尋ねました。Villarricaに行くと言うので、乗せていってくださいとお願いして、了承していただいたので私は安堵しました。
一時は覚悟を決めて、泊めてもらえるところを探し始めようとしていましたから・・。
小型トラックはTOYOTA製で、運転席の両側の窓ガラスは既に無く、ダッシュボードは何もかもなくなっていました。石畳の道をガタゴト揺られながら、一時間掛かってVillarrica に着きました。

でも一時間の間、彼に気を許す訳には行かないと思って、彼の 「San Salvadorには友達がいるのかい」という質問にも 「そうです」 と嘘の答えをしたり、日本から来てもうじき帰国するなどと言うことも話さず パラグアイに住んでいるということにしてしまいました。

でも、親切な方で私をバスターミナルまで送ってくださり、お礼にと差し出したお金も受け取らず、去ってゆかれました。
(本当にありがとうございました。)

1月5日(土)

Villarrica 9:30 発 ⇒ 12:30 着 Asuncion (Super Pueblo 前)

ホテルを出てバスターミナルに行き、Itape(eにアクセント)に行くべきところを、Potyに行きたいなんていって尋ねていたから、だれも答えてくれやしません。(家に帰ってきて前回のメモを見て間違いだとわかりました)
仕方なし諦めてアスンシオンに帰ることにしました。
朝9時30分発のバスの切符が手に入り、幸いにもエアコン付でした。48番席で最後部でしたが座れました。

謹賀新年と千の風

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 謹賀新年

  新年あけましておめでとうございます。
  本年も皆様にとって良い年でありますようご祈念申し上げます。

   平成20年元旦
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パラグアイで二回目の新年を迎えました。
日本に遅れること12時間の時差のため、紅白歌合戦をこちら時間12月31日朝7時30分から見ました。
除夜の鐘の放送は昼に見るということになります。日本の新年の様子を見てからこちらで年とりですから、二回も年とりをした気分になりました。とはいっても一人暮らしなので特別な料理を作ることもなく、元旦の朝食は「お赤飯とお雑煮」をホテルから贈られ美味しくいただきました。

恒例の紅白歌合戦は前回秋川雅史さんが歌って大ヒットした曲が二回目の出場でも歌われました。でも今回のバックの背景が私は気に入りませんでした。理由は歌詞からイメージする大きな画像が楽しめなかったからです。

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「千の風になって」

Mary Frye作詞/新井満日本語詞・新井満作曲

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています

あの 大きな空を 吹きわたっています

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パラグアイの大地を見ながら旅していますとこの歌がうかんできます。