悲しい知らせ
7月30日(日曜日)朝知らされたことですが、本館フロントのRossanaさんのお父さん (57歳)が亡くなられたと知らされました(ピストルによって自ら命を絶たれました)彼女のお姉さんが病気で亡くなってまだ一月も経ていません。それ前にはAgedaさんの姪が若くして病気で亡くなりました。Antoniaさんは厨房で7年間働いていた中堅ですが自らの意思で子供二人を母親に預け、ヨーロッパに出稼ぎに行くといってホテルの仕事を辞め、渡欧したのですが書類に問題があった様で入国できずパラグアイに戻らざるを得なく、ホテルのご主人のはからいにも(もう一度ホテルで働く)応ぜず姿を消されているというし、ウエイトレスのMariaさんは胃が悪くてかれこれ1週間休んでいますがこの影響で土曜日のレストランは客も多くてんてこ舞いでした。私の部屋へFlanciscaおばさんが掃除に来た時この話をしましたら、今までにない口調で彼女は「Antoniaについてもホテルのご主人がどのくらい思い留まる様に説得したことか。私はかれこれ20年お世話になっているがどのくらい面倒を見てもらっているかわからない。ご主人は面倒見の良い方でお金が緊急に必要になれば用立ててもらったし、子供の成長には折りに触れてお世話になっています。Antoniaも辛抱が足りない。結局若い彼女は忠告も聞かず辞めてしまったし、その後ご主人がもう一度働いたらという呼びかけにも姿も現さない…。私も母が92歳で寝たきりで面倒を見ているが、ホテルの仕事で早朝から起きて働かなくてはいけない。私だって時には身体を休めたいが、息子二人はちっとも手伝うこともしないし、遅く帰宅するし、今の若者は駄目だ。」という趣旨のことをひとしきりまくしあげて行かれました。皆悩みを抱えて生きています。語学も最初はめでたい言葉ばかり覚えていましたが、Mis pesame para usted.(お悔やみ申し上げます)という言葉もお伝えする必要があります。アパートに一人で住んでいればこのような話や言葉は聞くこともなければ、言うこともありませんが、二十数名が働いているホテルでお世話になっていれば様々な事象に遭遇します。(多少言葉を理解する私にみなさんそれとなく打ち明けてくれるのです)
パラグアイの踊り
パラグアイの踊り
Paloma通り、観光庁観光開発局の建物前では、週末土曜日午前中は催しが行われ観光客を楽しませています。人口570万人の国ですから、何事においても日本と比較したらそれは小規模であります。今回は大人~幼年まで踊りが披露され、ペルーからきた「INKA」(本当はINCAが正しいスペルです)というグループの演奏と歌で締めくくられました。踊りはElencos de Danza de La Municipalidad de SAN LORENZOの皆さんです。写真から寒波のため観客がしっかり着込んでいる様子がわかります。木曜日(7月20日)の日中35℃あった気温がこの日(土曜日)17℃に下がったためです。(日曜日は7℃まで更に下がり毛糸の帽子、マフラー、手袋をしている人をたくさん見かけました。(私もセーター、フリースのジヤケットをしっかり着込みました。)
写真を紹介します。
*** 大人のグループ***

*** 青年グループ(1)***

*** 青年グループ(2)***
*** 少女***

*** 少女・少年***
*** 幼年グループ***

*** バンドネオンを演奏する老人***
*** ペルーの音楽グループ***
Naylamp INKA (ニャイランプ インカ)
Grupo Internacional PERUANO
*** 観客目当てのポップコーン、飲み物露店***
EXPO最終日(エキスポ)
EXPO最終日(エキスポ)
EXPO最終日の盛上りを見てきました。若者達はカメラ付き携帯で各パビリオン(Pabellon)のお目当のコンパニオン(Promotora)と並んでは友達にシャッターを切ってもらってい楽しんでおり、コンパニオンだけを撮っている私に向って「なぜ一緒に入って撮らないの?」と質問を受け返事に困りました。EXPOは7月8日(土)~7月23日(日)の2週間開催していましたが、最終日は日曜日でしかも冬休み最後の日ということもあって会場内は大変混雑し、入場口付近ではダフ屋(Revendedor)が入場券を売り歩いていました。馬術競技、農業生産物(野菜・果実)、発電会社(ダム)、乳製品会社、牛肉輸出状況、携帯電話会社や会場夜景なども収めてきました。帰りのバスは3本目にやっと乗ることができ、道路脇で30分以上も立ちっぱなしで待っていた時は(夜9時頃)どうしようかと思いましたが、停車位置を探したのが良かったです。沢山のバスが列をなして道路脇で客を乗せていたのでそれに惑わされてしまっていました。
写真を紹介します。
*** 会場に向うバス内***

これが路線バス内部乗車口付近です。前乗り後ろ降りが原則です。この写真は運転席が写真左手ですが写っていません。右手奥に乗車口のドア(2枚の扉)が開いているのが見えます。中ほどにあるクリップを4つぶら提げたような装置が回転します。中から出ようとすると右回転はしませんので前から降りることは出来ません。後部にも同じ装置があるため降車口から乗車は出来ません。子供は左手格子状の下側(STPが見える)が多少大きめの仕切りになっていてここをくぐって中に入ることができるうちは無料ということです。物売りの青年は装置の上を軽々と越えて中に入り物を売り歩きます。業務は運転手が全て行います。このため客は運賃(定額)を必ず右手に握って乗り込み、運転手に渡し切符をもらってから回転装置を身体で押して中に入ります。大きな荷物は回転装置の上側にかざして入らないと装置は窮屈なため荷物と一緒に中には入れません。そうこうしているとバスは発車し大きく揺れますからとても危険です。セントロは坂が多くしかも傾斜があるのでバスの揺れも並ではありません。
*** EXPO会場***
マンジョウカ(芋)の茎部分です。挿し木で育ち一年で収穫するそうです。まだ収穫作業を見たことはありません。
これがマンジョウカです。長いものを切って箱に入れてあります。この芋はサツマイモと違い日保ちがしません。買う時のポイントは切り口が真っ白いものを買うこと(新鮮)。買ったら其の日のうちに皮を剥いて茹でてしまうこと。それから冷蔵庫に保存することです。買ってきて2~3日そのまま置いておくと黒ずんできて食べられません。私はこの芋をアサード(焼肉)と食べるのが好きです。(サツマイモよりは固く、甘味も強くありません)
マテ茶(ジェルバ)の苗木 Yerba Mate
パイナップルの苗木
野菜類
野菜類

かんきつ類他苗木
*** 牧畜関係***
BRANGUS

CARACU
BONSMARA
Nelore

Senepol
羊
*** 肉関係***
パラグアイが牛肉を輸出している相手国。ロシアが一番、チリが二番、三番イスラエルと書かれています。
肉の部位の名前一覧(写真の左右下側(茶色部分)が牛の首です。Pecho(胸部)と書かれたところが胸部です)Lomito, Lomo:背肉、ヒレ肉、 Bife:ビフテキ、 Vacio:脇腹
肉 LOIN:腰肉(Beef)、Kidney:腎臓、Tripe:牛の胃、Tail:尻尾、Tongue:舌、Rump:尻
*** 馬術競技会 ***
会場(スタンドは競技者の家族・親戚の皆さんで賑わっていました)
障害物を越える馬
クラス別に行なわれ、バーを落とすことなく終了した競技者にはさかんな拍手がおくられていました。
表彰式準備(手ぶれで見難いです)
*** EXPO会場の夜景とパビリオンのコンパニオン(Promotora)***

携帯会社:PersonalのPromotora
携帯会社:PersonalのPromotora
CHEVROLET(車)のPromotora
携帯会社:CTIのPromotora

携帯会社:CTIのPromotora
携帯会社:CTIのPromotora
携帯会社:CTIのPromotora
TREBOLのPromotora(乳製品)
携帯会社:VOXのPromotora
携帯会社:VOXのPromotora

CAPAPELのPromotora
Tres LeonesのPromotora(ウイスキー)

ARISTOCRATAのPromotora(ウイスキー)
ARISTOCRATAのPromotora(ウイスキー)
ITAIPU(ダム・発電等)
YACYRETA(ダム・発電他)
アルゼンチン国FORMOSAのパビリオン。アスンシオンから一番近いアルゼンチンの町です。人口25万人でアスンシオンから250km、バスで4時間かかるそうです。
アルゼンチン国FORMOSAのパビリオン : 屈託のないオバチャマ達。カルピンチョ(小動物)の皮で作った皮革製品やジャム、チーズ等を販売していました。

TREBOL(乳製品)のパビリオン
LACTOLANDA(乳製品)のパビリオン
モーターボート展示 お金持ちは車とボートを持っています。
モーターボート展示(アスンシオンは大きな川がありますので)

通りの様子
SDHセミナ終了
SDHセミナ終了しました。
チリ、コロンビア、コスタリカの三カ国の研修生と国内の研修生に対しておこなわれた研修が7月21日(金)終了しました。研修は座学、実習、設備見学の内容で行われ設備見学はアスンシオン市にあるセントラル2(Central 2)ビルを見学しました。このビルにはパラグアイと他所の国を結ぶ国際交換機やインターネットゲートウエイなどがありました。研修最終日にはウゴルイスセンタ長とアルベルト ベニテスさんから修了証が研修生一人一人に手交されました。
スナップ写真を紹介します。
*** 座学 ***

講義する Anibal Vargas氏
今回Juan Perez Trinidad、Yosuke Morohashi の2名がサポートしました。
研修生(前列右から3名が海外研修生)
講義するSr.Anibal Vargas氏

国内研修生(後列)
*** 実習 ***
測定器
測定器
測定器
光パワー、損失測定等
光ファイバ融着接続
C-Node
*** Central 2ビル設備見学 ***
アスンシオン市内のセントラル2(ドス)局を見学しました。(セントラル1~24まであるのだそうです)パラグアイ国の固定電話数は35万加入と説明されていました。職員数は3000人位だそうです。日本が6000万加入で社員数が23万人とすると社員一人あたり260加入となります。パラグアイは社員一人あたり117加入ですから効率はかなり悪いことになります。また、人口密度が小さい為インフラ設備投資額の回収は非常に困難になります。見学時説明を聞いても、語学力不足のため設備名が理解できないものもありました。理解したものはメモに書きとめ写真に注釈しました。
設備見学

説明を聞く研修生

NW監視装置、国内全てを監視

NW監視装置

NW監視パネル

機械室の二重床
ERICSSON(STM-4)

SIMENS(STM-16)、ブエノスアイレスへ
ERICSSON
壊れた天井
直ぐに修理しないのが特徴かもしれません。
壊れて落ちていた天井の断熱材
固定電話を有線で提供できないエリアは無線で提供しているそうです。自基地局エリア内(70km)のみ移動・通話可能。他基地局では使えません。
基地局の地図です。
水色は稼動中(10)、うす緑色(9)は提案中と書かれていますが口頭説明では16基地局あり、交換設備は8000加入分で7000加入が使用していると説明がありましたが・・。昨今は携帯電話の方が安いのだそうです。この設備は1989年構築で古いということで今後については現在検討中です。
ADSLサービス提供準備
まだADSLサービスは始まっていません。現在このように準備中でした。
ADSLサービス提供準備
DSLAM
ADSLサービス提供のための機械室を工事中です
インターネットゲートウェイ

国際交換機(NEC製)オペレーションルーム。
ビルの上層階にありました。

交換機(NEAX61)

伝送装置

伝送装置
アンテナ用鉄塔(Central 2)
MDF(LINE側)

故障受付台
日本では懐かしい方も多数いるのではないでしょうか。MDF室に故障受付台が設けてある方式は。お客様データは見たところまだ紙ベースのような気配でした。これも懐かしいです。
故障受付台(現場修理者用)
お客様からの故障受付センタはデータベース化されて別の場所にあります。
お客様カード
ここで使っているようです。お客様受付センタではデータベース化されているそうです。
MDF(交換機側)
Copaco社の車(Compania Paraguaya de Comunicaciones)
*** 閉講式 ***
チリの研修生がお礼の挨拶
Ing.Hugo Ruizセンタ長挨拶

修了証手交
修了証手交
修了証手交

修了証

研修生とセンタ関係者一同
La Colmenaに行ってきました。
La Colmenaに行ってきました。
7月22日(土)~7月23日(日)にかけて、日本人が初めてパラグアイに入植した地「La Colmena(蜜蜂の巣箱という意味)」に行って来ました。アスンシオンから130km、バス会社名はCARDOZO.S.R.Lです。バス会社Tel:021-555-728、ホテルはFUJIMI Hotel Tel:0537-223-238.です。行きは8:30発⇒12:30着、帰りは8:30発⇒12:00着でした。La Colmenaに日本人が入植したのは太平洋戦争が始まる以前の1936年です。現在は79戸310人、3500Haの規模です。これらはバスターミナルから更に奥地に入った場所にあるようで訪ねることはできませんでした。 今年は移住70周年の節目で9月7日に記念式典が予定されており、その募金活動も実施され私も協力させて頂きました。 ホテルの奥様に「なぜFUJIMIホテルというのですか」「庭にセメントで作った富士山があるからですか」と伺いましたら「私達のおじいさんが長野県の富士見町の出身です」ということでした。私も茅野市に3年、諏訪市に2年勤務した経験があり、現在も茅野市にある「稜雲山の会」メンバに寄せていただいております。会の山岸様や小松原様、硫黄石室山荘の浦野様皆様に随分お世話になりました。ですから八ヶ岳登山を通じて富士見町も良く知っております。「アスンシオン市にお住まいの三井雄一さんという方に以前お世話になりましたが、同じ三井さんで何かご関係は」と伺いましたら「私どもの叔父です」ということでした。「同じ長野県出身ということでこれからも機会を見つけていらして下さい」と奥様に語りかけられました。
写真を紹介します。
*** アスンシオンバスターミナル***

アスンシオンバスターミナル切符売り場。たくさんの会社の窓口があります。
ターミナル切符売り場。中ほどにブエノスアイレスと書かれています。
冬休み最後の日曜日ということもあり待合室は混雑しています。
ターミナル内スタンド
*** La Colmena ***
乗ってきたバス
La Colmenaのバスターミナル
ターミナルで昼食(料理:Tallarinとマンジョウカ)牛肉を煮たものとパスタを味付けしたもの&茹でた芋。肉は多いので半分にしていただきました。
FUJIMI Hotel入り口

Hotel 建物(レストラン)
レストラン内部
ホテルの部屋

シャワー装置 パラグアイの一般的なシャワーです。中に電熱コイルがあり水が通過する際に温められるのです。
ホテルの子犬「シロ」 まだ子犬のため何を見ても興味を示します。
FUJIMIホテルの駐車場の木:Estrella Federal 日本ではポインセチア)
FUJIMIホテルの中庭につるされた蘭
町の通りに出て草を食む牛たち
PLAZA 15 DE MAYO(プラサ キンセ デ マジョ) 。木の名前は「Palo Borracho」といいます。ビヤ樽のような形をしていることからこのように呼ばれています。Borrachoとは「酔っ払い」という意味です。
「14 de Mayo」(カトールセ デ マージョ) La Colmenaのメインストリートです。

La Colmena市庁舎
慰霊碑(KUNITO公園)
KUNITO公園
70周年記念碑(KUNITO公園)
慰霊碑、70周年記念碑等(KUNITO公園)
La Colmena 日本語学校
公民館
「NEGISI」商店 「14 de Mayo」(カトールセデ マージョ)に面しています。遠くにPLAZA 15 DE MAYO(プラサ キンセ デ マジョ)が見えます。
通りのお店の前で一休みさせていただきました。おじさんは「日本人の公民館で30年以上働き、今はリタイヤし店を開いて生活しているのじゃ。現在日本人移住地で働いているのはお年寄りばかりで、若者は日本に行って稼いで沢山お金を持ち返り、車を買ったり、商売を始める者もいる。日本に外国人が働きに行くのは非常に難しいそうじゃないか」「何でパラグアイに来ているのかな。商売かい、何かい」ということで暫くおじさんと話をしました。パラグアイの風習としてはこのように家の前に椅子を置き、テレレをしながら通りを眺め、話をして過ごすことが日常です。このような光景は非常に多く見ることができます。
*** 帰途のバスの車窓から***
小さな丘を見ることができました。
牧場の入り口と家が見えます。
牧場には牛や馬に水を飲ませる水場が必要です。これは人為的に作られた水場です。ルータ沿いにはこのような人為的水場を多く見ることができます。
SDHセミナ開催
SDHセミナ開催
7月17日(月)~7月21日(金)の1週間開催します。米州機構(OEA)がスポンサーでCITEC-FIUNAが実施するものです。
OEA:Organizacion de los Estados Americanos.
CITEL:Comision Interamericana de Telecomunicaciones.(OEA内にあるセクション)
CITEC:Centro Innovacion Tecnologica.(Paraguay)
FIUNA:Facultad de Ingenieria,Universidad Nacional de Asuncion. (Paraguay)
CONATEL:Comision Nacional de Telecomunicaciones. (Paraguay)
COPACO:Compania Paraguaya de Comunicaciones. (Paraguay)
JICA:Agencia de Cooperacion Internacional del Japon.
以上が今回のスポンサー及び後援等です。予算の制約のため外国研修生受け入れは当初4名でしたがパナマ国の方が急遽前日に参加できないと連絡があり結局3名になりました。(コクタリカ、コロンビア、チリ)パラグアイ国内参加者は、携帯会社、電信電話国家委員会の社員、職員などで研修生の総数は12名です。7月17日(月)に開講式が講堂でおこなわれその様子を収めました。センタ長の挨拶、工学部長の挨拶、講師の紹介、ボランティアの紹介と各研修生の自己紹介が行われました。
写真を紹介します。
開講式

挨拶するセンタ長 Ing.Hugo Ruiz氏

挨拶する工学部長 Ing.Alejandro Blanco氏
研修生の皆さんです。
最近の話題7/16
センタのニュース
雨漏り対策工事、センタに咲く木の花、荷馬車、SDHセミナ準備
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雨漏り対策工事
講堂の中に入ってみないと雨漏りの実態は把握できませんでした。講堂の天井には数カ所雨漏りの跡があります。このため1ケ月程前から大学側で予算をとって補修工事を開始しました。開始当初、若いハビエル氏は工事のアドバイスを求めてきましたが、細い銅線で瓦を結ぶことくらいしか知りませんのでアドバイスにもなりません。センタでメンテナンスを担当する年配経験者をリーダに工事を進めています。当初なかなか思うように進捗しませんでしたが、最近体つきの良い、力仕事も頼れる人を1人雇用したのでコンスタントに進むようになりました。屋根工事のために鳩の金網設置は悪天候の日に行うことになり1ケ月8箇所の当初目標は崩れそうです。大掛かりな屋根の補修工事は過去行われていなかったので、瓦の下に敷かれた黒いビニルシートはかなり傷んでいます。それを全面的に取り替える工事も併せて行っていますから大変です。汚れた瓦は洗い、破損は交換、接着用モルタルを敷いたり、針金で留めたりと新しい方法を取り入れて工事していると年配作業員が説明して下さいました。安全を確保する為に、麻の細い紐を数本撚り合わせた「安全ロープ」を屋根のぐしに固定し使用していました。こちらの屋根瓦の質は日本の屋根瓦ほど硬くないようにみえます。
雪は降りませんから雪による被害は受けませんが「トルメンタ」という暴風雨があります。年に数回見舞われます。この暴風雨で瓦が巻き上げられたり、飛来物によって損傷を受けたり、ズレが生じて雨漏りの原因になっています。工事の写真を紹介します。

屋根の補修作業中
屋根最上部から作業中の二人
屋根上から正門を撮りました
屋根から主塔方向を撮りました

センタのグラウンドが見えます。使用頻繁が少ないため草が茂っています。またここルケ市には大きな建物はありませんが緑豊かで辺りの住宅は平屋が殆どです。やや右手遠くにサッカー場の夜間照明灯が小さく見えます。
作業用足場です。重い板を運んで組み建てたものです。
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センタに咲く花
これはセンタ前の道路側に沿って植えられた並木に花が咲いていたものを撮りました。
名前はまだ確認できていません。
駐車場の並木につけた花(赤色)
駐車場の並木につけた花(紫色)
正門前道路を走る荷馬車。
センタのまわりは閑静な田舎です。このため荷馬車が多く走っています。牛乳を販売したり、拡声器をつけて連呼しながら果物を販売したり、材木を運んだり、家庭ゴミの回収などに荷馬車は使われています。またこの付近では子供が操っているのを良く見かけます。馬車はアスンシオンの中心街でもたまに見ることができます。これだけ多くの車が走る道路を馬はちゃんと指示通りに動いているので感心します。
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SDHセミナ準備
来週7月17日(月)~21日(金)まで1週間SDHセミナが行われます。これは米州機構(OEA)の援助を受けて当センタが実施する研修です。後援はJICA、COPACO、CONARELです。17日月曜日は朝から講堂で工学部長や関係者及び研修生が集まって開講式が行なわれます。研修生はコロンビア、コスタリカ、チリ、パナマからと国内からの計13名が参加します。セミナの準備はセンタ長の他にIng.Alberto Benitez, Sr.Juan Perez, Sr. Anibal Vargas, Sr.Yosuke Morohashiの4名が主に準備に関わってきました。
Ing.Alberto Benitez氏は30代半ばの若さで穏やかな性格のかたです。今回はOEAとの対応を含め研修生受け入れの総括的な準備をされています。昨年日本で3ケ月間の研修を受けています。Sr.Juan Perez氏は23歳でIT系も得意とし、最近ブエノスアイレスに2週間研修に行ってきました。今回は教科書の準備やIng.Alberto Benitez氏のもとで指示を受けて動きました。
Sr. Anibal Vargassh氏は50歳で伝送の技術者です。彼の話によりますと、15歳から世に出て働き出し、若い頃はブラジルでの生活経験もあるそうです。非常な努力家のようで、近年IT系技術も習得されたようです。日本での研修の経験もお持ちです。今回は講師を務めます。
Sr.Yosuke Morohashi氏は27歳で今回は補助講師の立場です。昨年の経験を生かして臨まれます。彼の話によると、研修生からは時折厳しい質問を受けることがあるそうです。
準備した光ファイバ用機器

準備した測定機類
パラグアイのEXPO
EXPO(エキスポ)について
パラグアイで毎年今時分に開催されるEXPOについて紹介します。今年は7月8日(土)~7月23日(日)の2週間開催しています。丁度この期間は学校が冬休みです。しかし13日(木)までは毎日暑くて日中の気温は34度を越え、とても冬休みの気候ではありませんでした。13日の夜に低気圧がきて気温が16度位に下がり14日(金)は珍しく一日曇った天気で時折霧雨が降りました。週末の天候も良くないようでしたので遠出はやめて、EXPOに行って写真をいっぱい撮ってきました。(とりとめもなくという気もしないでもないですが紹介します)
EXPOはアスンシオン郊外で毎年二週間程度の期間で同じ場所で開催されています。農業立国のため、農業(特に牧畜)関係の展示スペースが広く確保され、牧場で手塩にかけて飼育した牛や羊が展示・品評されています。またこのような牧畜に必要なトラクターや自動車の展示、パラナ川にかかる「イタイプ」「ヤシュレタ」の各発電会社の展示や、メルコスール経済圏国の展示及び近年増加している台湾・中国、韓国等貿易国のパビリオン(いずれも小規模)もありました。手工芸品も展示販売され、羊毛手工芸品や地方特産の手工芸品が目を引きました。メイングラウンドでは午前中牧童たちの乗馬技術、ロディオ等のショウが行われていたようです。(見逃し)
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会場前の道路
開催場所はこの広い道路に隣接しています。(写真左手にあります)右手は駐車場です。
入り口ゲートは幾つかあります。その中の一つです。写真の白い看板に書かれた「BIENVENIDO」は英語の「WELCOM」と同じ意味です。
SUBARU自動車の展示…ラリーに参戦しているのでマニアに人気があるようです。
TOYOTOSHIさんの会社ブースです。実業家として成功を収められた方でTOYOTA車の販売と大きな修理工場を経営されていて、パラグアイでは知らない人はいないと思っています。「BOX」というモバイルの会社も経営されておられるようです。確か約7~8年程前に5番目の後発でDDI(当時)㈱と共同出資して立ち上げ(当時の会社名:オラ パラグアイ(Hola Paraguay))今では日本のモバイル会社と国際ローミング時の契約会社となっているようです。立ち上げ当時はDDIの稲盛社長が来られて政府関係者と会われたり講演をされたりされ、ビッグニュースとして新聞に掲載されました。(いまだに切り抜きを持っております)
三菱自動車ブースです。(会社名はわかりません)パラグアイではTOYOTA、NISSAN、MITSUBISHI、HONDA、ISUZU、DAIHATSU、SUBARU、SUZUKI、MATSUDA全てのメーカの車が走っています。
メルセデスベンツ車の展示
農業用トラクタ関連機械です。広大なところでの作業ですから機械化が求められます。
フォルクスワーゲン車です。ドイツの車も数多く走っています。
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牧畜関係
先ずチャンピオンから紹介します。
BRAHMAN(ブラマン)という種類です。重さ1082kg、36ケ月(3歳)です。
Nelorという種類

こぶのあるのが特徴


乳牛でチャンピオンです。一番乳が出るそうです。

沢山の牛
牧童と牛
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牧童を紹介します。
牛の展示場内にはこのように各ブースにその牧場関係者が腰をおろすところがそれぞれ準備されています。そこで皆さん休んでいたところをお願いして快く撮らせてもらいました。中国人か韓国人かそれとも日本人か?年配のおじさんが写真を撮り終えると質問してきました。なぜかこの手の質問では日本が常に一番最後になるのが気になります。(どこでもそうなんです)何の為にパラグアイに来たのか?商売か旅行かと訊かれるのは常に同じです。牧場は私がまだ行ったことのないルータ3号沿いにあると伺いました。牧場の面積は800Haだそうですから真四角にすると2840m×2840m相当です。
会場内の通路で立ち話をしていた二人に出くわし写真をお願いしました。牧童の伝統的スタイルのようです。(アルゼンチンではガウチョといいます)ウノ、ドス、トレス(一、二、三)の掛け声をかけて撮りました。
馬や牛の柵です。柵の上に通路が設けられ上から見ることができます。(夜間ここに入れられます)
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手工芸品店を紹介します。これが全てではありません。

San Miguel村で生産されている手編み品です。日本では羊毛の原型をとどめていませんが、ここの製品は一目で羊毛とわかります。ソフトタッチで暖かそうです。欲しい方はメールください買ってきますので…・但し23日までの開催ですから早めにお願いします。(帰国時に持ちかえります)
San Miguel村で生産されているArtesania(手工芸品)
木彫り等の工芸品です。
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乗馬について
会場内のあるスペースで牧場の家族が馬に乗って楽しんでいました。子供が馬を上手く操っているので人垣ができて、子供は楽しくなって馬を降りることはなかったです。おじいさんが手綱さばきを披露したり、息子さんが裸馬にのって披露したり、その奥様が乗ってみせたりで思わず皆さんの写真を収めました。(女の子は9歳)このような光景を見ていますと大自然の中で生きる豊かさのようなものを感じてしまいます。
お父さんと娘さんです。

私の前に来て止る様お願いしました。彼女は私の求めに応じて馬を私の近くで止めてくれました。
裸馬に乗る少女。左手を良く見てください。たてがみを左手で掴んで馬に指示をしています。手元のたてがみは短く切らず少し伸ばしてあり、それを握って馬に指示しています。手綱だけではなくたてがみも重要なことを知りました。

馬に乗る母親(少女の)。
馬に乗る親戚の方。

少女のおじいさん(一番上手い)。
親戚の方のようです。
牧場の子供達
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パビリオンとダンサー
アルゼンチンのパビリオンです。帽子をかぶった右側の女性にお願いしたら快く応じてくれました。貴方は何所の国の方ですか?英語は話せますか?中国人、韓国人それとも日本人?と矢継ぎ早に質問を受けました。私も一緒にと勧められましたが、二人だけの方が絶対に良い写真になることはわかっていましたら固く辞退しました。ウノ、ドス、トレス(一、二、三)の掛け声をかけて撮りました。写真を私に送って下さいと頼まれアドレスを交換しました。とても明るい社交的な方でアルゼンチン国から来ていて名前はGeorgina Ines Julioさんです。(アルゼンチン人はイタリア系のためパラグアイ人のスペイン系とはまた違った美しさがあるような気がします。)

写真をとっていると奥から昼食に行く為に出てきた人たちです。彼女たちとは話ができずアルゼンチンの女性かどうかは不明です。(多分そうだと思いますが・・)やはりウノ、ドス、トレス(一、二、三)の掛け声をかけて撮りました。

会場内の通路で腰を掛けて近くのレストランのショー出番を待っていた皆さんです。写真をお願いし快諾してくださり早速ポーズも取ってくださいました。ウノ、ドス、トレス(一、二、三)の掛け声をかけて撮りました。彼女たちはパラグアイ人で通常はホテルなどのショーでパラグアイの伝統的な踊りを踊っているそうです。
私も一緒にどうぞということで、1人が抜けて写してくださいました。周りで皆さんが笑いながら見ている中で撮っていただきました。
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花の紹介
カトレアはメキシコからブラジルにかけての中南米が原産で、海抜10~1500mにわたる地域の樹木の幹や枝に着生していて、風通しが良く、乾期もあり湿潤な環境で生育しています。これらは人為的に栽培したものを販売しています。(台湾系の方が栽培しているようです)
この花はお世話になっているホテル「内山田」のおばあさんのものです。おばあさんは沢山の鉢をもっておられるようで、常に花の咲いたものをフロントや食堂に飾ってくださいます。
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EXPO内レストランの焼肉料理
牛肉を串に刺して炭火でじっくり油を落とすように焼きます。(粗塩をすり込み焼きますから、食べる時にタレなどありません。)ナイフで切り分けて客の皿に盛ります。
たぶん羊肉だと思います。やはり炭火でじっくりと時間をかけて焼き上げます。ナイフで切り分けて客の皿に盛ります。
「Sun Juan Nepomuceno」に行ってきました
「Sun Juan Nepomuceno」に行ってきました。アスンシオンから250kmあります。バス会社:La Yutena(ラ ジュテーニャ)(Tel:021-558-774)、Hotel:SAN LUIS(Tel:0544-20371)、往路:8:00発⇒14:00着、復路6:00発⇒11:15着
場所は先週出掛けた「Colonia Independencia」よりも先にある村です。なぜ此方に行くのかといいますと200m位の丘が連なっていて、Parque Nachional(パルケ ナショナル)と地図に表示されているのでそこに行ってみたいのです。アスンシオン午前8時発、「Sun Juan Nepomuceno」に午後2時に着きました。途中今まで見たことの無い田舎の様子をバスの中から見ることができました。家の周りにニワトリが必ずいます。牛も豚も馬もいて、小さな池のある家にはアヒルもいます。木造平屋建てが多くガラス窓は無く、戸や窓は木戸でできていました。(アルミサッシがまだ普及していません)。ペンキで板壁が塗られており、其の色は水色が多かったです。そして特徴である赤土のほこりによって家全体が赤茶けていました。雨が降ったら家の周りを歩くことすらも大変になるような光景でした。私はアスンシオンセントロにある政府観光局で頂いた、ホテルのリストをコピーして持って行きました。リストには5軒が記入されていますが田舎なのでホテルの予約もしていませんでした。とにかくこの村は田舎でした。でもターミナルと呼ばれるコンクリート製建物がありました。リストのなかで一番近いところの場所を教えてもらい、明日のアスンシオン行きの時刻表を聞いてから暫く切符を売るおじさんと話をしました。
泊まったホテル「Sun Luis」

若夫婦が営んでいて、主人は暑いため上半身裸でいました。奥さんは少し待ってくれと言い残し車で消えました。私の為にベットカバーを新しくする為に出掛けたことが後でわかりました。案内された部屋には蚊が沢山いてビックリしました。タオルを振回して殺そうと頑張りましたが、とても無理です。トイレ・シャワーにも沢山いて手の施しようがありません。雑貨屋で殺虫用スプレーを買い求めましたが、お店の説明では蚊用は香りは良いが効き目がない、ということでゴキブリ用を勧められました。臭いがキツイからスプレーしたら一旦部屋を出ることと説明を受けましたが、結局蚊は死なないし、私の頭はくらくらするし、朝まで「ブーン」と蚊の音で悩まされ、このホテルにはヘキヘキでした。(穴明きブロックが一つ壁の上部に設けてあったので蚊は侵入できる構造でした。)起きるとはなしに、蚊に起こされました。蚊に刺されない様に顔まで覆って寝ようとしますがそうすると今度は暑くて眠れないし、散々な目に遭いました。これから田舎に旅をする場合、蚊取り線香は必需品のようです。山に行く時の持ち物と同じで、非常食パン(早朝出発時の朝食等に)、飲料水、フルーツ、ナイフ、ヘッドライト(山用を持ってきています…停電用に)を必ず携行する必要があることがわかりました。4時に蚊に起こされてからは、今度はニワトリが一斉に鳴く現象を初めて聞きました。コケコッコウーと鳴くと次に一斉にコケコッコウーと辺り一面から聞こえてきます。まだ暗いターミナルで一人バスを待つ間(6時発)にもこの鳴き声が何時までも村から聞こえてきます。これでは安眠妨害です。まだ暗いうちから毎朝この大きい鳴き声が聞こえるのでは参ってしまいます。
ホテルと道路
画面左手方向に約100m歩くとターミナルの建物です。夕方ホテルにビールを飲みに来た若者(女性2名、男性1名)とホテルの前で少し話をしました。此方のビールの飲み方は(正式なテーブルではなく街角での飲み方)ビールビン1本にグラスは1個です。必ず注ぎ役がいて1人づつグラスを回します。一揆のみはしていません。グラスのビールを少し飲んで次にまわし、次の人がまた飲んで次に回します。私も若い女性にグラスを差し出されビールを頂きました。男性と女性(注ぎ役で無い方)は仲がよくて私達の前で何の躊躇もなく、抱き合ったりキスしたりしていました。注ぎ役の女性も気にしている様子も無く私や彼等と淡々と話をしているのです。3本位飲んだところで二人の若い女性はバイクに乗って去って行きました。何がどうなっているのかわかりません。男性はホテルの若主人とTVを見ながらまたビールを飲んでいます。
ホテル前の道路
ホテル前の道路です。特有の赤土道路です。この道を先に行って雑貨屋とレストラン(食堂)に行きました。出かけた時刻は既に午後7時30分をまわっていましたので辺りは暗く、犬が吠えながら一目散に走って来ましたが無視して歩き続けました。この国ではどこに行っても野良犬や繋がれていない飼い犬が沢山います。吠えるのを無視してマイペースで歩くしかありません。そうすると暫くすればあきらめて立ち去ってゆきます。結局行った先のレストランは私が泊まるホテルの奥さんの実家でホテルに併設されていました。奥さんの妹が積極的に私に話し掛けてきて、「セニョールの息子さんと結婚したい。セニョールの息子さんはまだ独身でしょう」というのです。彼女はまだ17歳だそうでガラニー語を教えてあげるといって二つほど教えてくれました。
彼女のお母さんも私が日本人と判るといろいろ話かけてきてデザートをサービスしてくれました。お父さんとお兄さんは土曜日ということもあり奥で友達とビールを飲んで話し込んでいました。夕食は牛肉(炭火で焼いたもの…塩味…ゴワゴワとしていて素直に食べれません。半分以上残しました)、マンジョウカ(芋:茹でたもの)とサラダです。
ホテルの子供

「私を撮って」とせがまれました。何歳か尋ねても教えてくれなかったです。パラグアイではこのように小さな子供でもピアスをつけています。
帰りのルータ沿い(国道)の様子
ルータ2号には直線道路30km区間があります。この区間で写真を撮りました。今回のバスはローカル会社のため、バスの車両の質もかなり落ちて、運転席と客席を仕切るドアが無いのです。このため私は車掌に(男性)頼んで運転席の横から何枚か写真を撮らせてもらいました。(これは復路です)長距離バスも田舎路線のバスは空調が全く利きません。都市間を結ぶ路線でノンストップ(ハイクラスのみ)タイプの高額切符のみが空調にあやかれるのです。今回の往路は強風が吹く中を、窓を開けたままで6時間走りましたから、埃で衣服は汚れました。日本から初めて来た人は必ずこれで喉をやられるようです。田舎に向うバス路線を運行する会社は田舎に本社が置かれていて、会社の名前に町の名前を使っているケースが多いことが最近やっとわかってきました。資金的余裕がないためか、使用するバスも大手のおさがりのようです。このため座席の肘掛は必ず破れています。シートは汚れていて、窓は開いたり開かなかったりです。運転席の表示板が全てまともな状態のものは見たことがありません。どこかしら壊れているのが当たり前で、そんなもの無くてもかまわないのです。エンジン音だけでコンディションはわかるようです。兎に角走れば良いのです。この国では。故障の恐れがあれば、エンジン整備員も乗せて走っています。写真にはフロントガラスの汚れも一緒に写っていますので見難いものもあります。
バスの中から見たルータ2号
シウダ デル エステやエンカルナシオンに延びるルータはこのような景色が数百キロ続くと思ってください。変化に乏しくてドライブの楽しみはあまりないように思います。また道中で車にトラブルが発生したら修理が大変です。(日本のように家が連なっていませんから連絡して現場に来てもらうにも大変です)
バスの中から見たルータ2号
右手に牛が見えます。対向車は昼間点燈しています。電力会社の電柱も対価の支払いをするとしたら大変です。利用者の密度が薄くても電柱は必要ですから。
バスの中から見たルータ2号
右手は牛の群れです。太っているとは言い難いです。
バスの中から見たルータ2号
車は昼間点燈して走っています。
バスの中から見た牧場の様子
進行方向左手の窓から見た牧場の様子です。牛が僅かに見えます。牧場の広さが理解できます。
ルータ2号から分岐している道路
黄色い車は「タクシー」です。ルータは舗装されていますが、分岐道路は写真のような道路です。乾燥が続き強風が吹き荒れると、赤土の細かい埃が家の中まで入りこみます。
インデペンデンシアに行ってきました。Colonia Independencia
「Colonia Independencia」に行ってきました。アスンシオンから200kmあります。バス会社:Guairena(グアイレーニャ)(Tel:021-551-727)、Hotel:Pension GAST RANCH(Tel:0548-265-365)、往路:8:30発⇒12:30着、復路:9:30発⇒13:00着(VILLARICAまで)
「Colonia Independencia」行きのバス会社をフロントのアゲダさんに調べてもらい、ターミナルの切符売り場に電話して時刻表を聞きました。マイカーを持たない私はどこに出掛けるにもバスで行くしかありません。ここでは行く先の町によってバス会社が異なるからやっかいです。宿泊予約のためリストの「Pencion」と書かれたところにまず電話すると、私の話を「わからない」と何回か言いながらも理解してくれました。私は何となくパラグアイ人ではないと感じました。最終的には予約はでき、ビジャリカのバスターミナルまで来れば迎えに行ってあげるということで了解し電話を切りました。しかしバスターミナルで見知らぬ人と待ち合わせも難しいので再度電話して私の携帯番号、ペンションの車の車種、色を聞いておきました。結局「Colonia Independencia」へ直接行くバスは止めました。(理由は現地に行って判りましたがバスターミナルなどありませんでした)Villarrica(ビジャリカ)にバスが着いてからペンシオンに電話すると主人らしき人が応対してきました。12時30分頃でした。「私は日本人です。昨日予約したYokotaといいます。奥さんはバスターミナルまで迎えに行きますといってくれた。私は今ビジャリカのバスターミナルに着いたので迎えに来て欲しい」と告げました。最初は要領を得なかったようでしたが、傍にいた奥さんに促されたのか「30分待ってくれ迎えに行くから、30kmあるけど30分で着く」というので電話を切って待つことになりました。昼時なのでターミナルの軽食堂で紅茶とサンドイッチを頼み、更に「マンジュウカ」(蒸した芋)が私は好きだと言ったらおばさんがニコニコしながらサービスしてくれました。そうこうしているうちにペンシオンの奥さんから電話で「私の主人が今ターミナルニ着いて貴方を探しています。どこにいますか」道路を見るとドイツ人らしき男性が車の傍らに立っているので携帯を切らずにそのままそこに走ってゆき携帯で話をしてもらいました。道中ご主人と会話しましたが、ドイツ語なまりの言葉で奥さんよりもスペイン語が話せない為に理解出来ませんでした。Independenciaはドイツ人移住地の一つで、5千人の移住者が暮らしているという説明でした。ペンシオンでは奥さんに出迎えてもらい、ご主人と部屋を案内してもらいました。今夜の食事、明日の朝食についてと牧場のことについて説明がありましたが、牧場はとても小さく、目の前の手の届くような範囲(8ヘクタール)のところに牛が15頭程草を食んでいました。建物は母屋と、別棟の客用建物しか見当たりません。場所は舗装道路から分岐した未舗装の赤土の道を約1km程奥に入ったところでした。道はまだ先に延びています。貴方の部屋はここです。今夜私達家族はビジャリカの友人宅まで出掛けて帰りは夜7時過ぎになります。途中レストランも見なかったので「どこで私は夕食をすればいいの」「ここには何もありません、あるとすれば舗装道路に出てから更に先に1km程進むとガソリンスタンドがあります。そこはお店と食堂が併設しているからそこで夕食を食べれます」「どうやっていくの」「歩いて行くのです」「自転車はどう」と笑いながら奥さんと主人が答えていました。そうこうしているとおばあさんと孫(15歳男)も出かける準備が整ったようで皆さん揃って出掛けてしまいました。あっさりしたものです。このあたりは夜間安全なのかどうか、舗装道路に出るまで家は無いし、出ても其の先は登りで道路はカーブしていて何も見ることはできなかった。先には何があるのかも私は知らないし…。今の時間は午後3時30分です。まだ夕食には早いけど足元の明るいいうちにガソリンスタンドまで辿り着いて状況を把握しておかないと。兎に角出かけよう。カメラはポケットにしまい、現金もポケットに分散、天気も今朝から怪しいので(雨)寒さ避けジャケットを持ってトボトボ一人で歩き始めました。土は特徴のある赤土でどこかの野球場のマウンドのようです。途中に家は1軒もありません。あるのは両脇に牛が逃げない為の牧場の柵が続いているだけです。ガソリンスタンドは確かにありました。人間の歩く足も結構速いものだと感心してしまいました。途中から舗装道路に出ましたが、大型トラックが「サソウキビ」を満載して何台か町に向って走り去って行きました。先には広大な「サトウキビ」の畑があるようです。ガスリンスタンドには数人がいて、テレビのブラジル・フランスの試合中継を観戦していました。私も6時過ぎまで待つしかありません。地元産のワインがあるかと尋ねると「ある」というので2本を購入しスタンドのご主人や奥さん、従業員と時々会話しながらひたすら待つしかありませんでした。料理する人も客もいるというのに開店は夕方6時からだというのです。こういうことには結構こだわりがあるようです。日本だと気を使ってくれて、「まだ早いけど作ってあげるから、食べて帰った方がいいよ」となりそうなものです。私が日本からきていることを理解したご主人は私に店オリジナルの帽子をプレゼントしてくれました。日も落ちて暗くなると、あちらこちらから若者数グループがバイクに乗り合い連れ添ってビールやジュースを飲みに来ました。
肉料理(結構いけました)、サラダ、紅茶を頼み、夕食を済ませ夜8時を過ぎた頃、皆さんと握手をして別れ、街灯も民家もない車の通りも無くなった真っ暗な道を戻り始めました。星明かりだけで2km歩かなければなりません。スタンドのご主人に尋ねると「この辺りは安全だよ」ということで私が歩いて帰ることに何の心配もしていない様子でした。何回も星空を眺め、明かりがないとこんなにも星が良く見えるものなのか、「牧場の牛はもう寝ているだろうか」、「さっきこちらに来る時は私の後を小牛がつけたような音がしたが」、「牧場の牛に追いかけられたらどうしよう」「このあたりの人達はどんな気持ちでここで暮らしているのだろう」「迎えに来てくれた車はトヨタハイラックスといっていたが、随所が壊れていて内部が剥き出しになっていて、走ることができるだけという状況だったが、この大陸の中で確たる収入も無く暮らしていくには、車の体裁など気にしていられないし、生きて行くためにはもっと先にやることがあるという感じだった」とか、「同化できないと近親結婚になってしまわないか」とか、いろいろなことが脳裏をかすめました。無事ペンシオンに着くと皆さんは帰宅している様子で母屋に明かりが燈っていました。私は部屋が涼しいと感じたのでシャワーは止めて寝ましたが、毛布も無かったので朝方まで寒さを感じて寝ていました。ここらが日本の至れり尽くせりとは違います。朝食は7時30分と約束しておいたので部屋をでると傍らのスペースのテーブルに一式セットして置かれていてさすがドイツ人と思いました。パンは熱く、バター、蜂蜜、ジャム、ゆで卵、レモン、チーズ(2種)、サラミ、ウインナー、生ハム、紅茶と量はそんなに多くありませんが、嬉しい朝食を用意していただきました。(おばあさんが用意して下さったようです)暫くすると物音を聞いたご主人が「朝食はいかがですか」といいながら来てくれました。「グラシアス」(ありがとう)と答えるとニコニコして戻って行かれました。支払いを済ませ町まで送ってもらうために車に乗り込みました。おばあさんと孫も一緒でしたが、奥さんの姿が見えないので尋ねると「今朝方5時に帰ってきてまだベットの中だ」というのです。ビジャリカのターミナルで3人と握手をして別れました。町外れでは3日間ラリーが開催されているため多くの関係者が集いカラフルな車がバリバリと特有のエンジン音を発して、赤土砂塵を舞い上げ走っていました。
いくつかの写真を紹介します。

PENCIONの牛達
このペンシオンの牧場は8ヘクタール(約8町分:8万平方メートル)と規模は非常に小さいです。
赤土道路
これが南米特有の土の色です。ここに野菜が育つのですから。道路の下は固い粘土質ですので一旦雨が降ると雪が積もったのと同じ状況(すべる)になります。場合によると四輪駆動車でも走行不能になったりすることがあると聞きました。私はこの道を歩いて往復しました。
道路から見た牧場
一般的な牧場はこのような状況です。日本の北海道の牧場を私は見たことはありませんが、美味しい牧草が生い茂っていて、その牧草を食べている牛の姿を連想しがちですが、パラグアイの牧場は殆どこのような状況です。ルータを走るバスの車窓からみてもどこに牛がいるのかという感じです。面積が広い割合に牛が少ないし、青々とした丈の長い牧草を見たこともありません。雨量もそんなに多くないので草の生育も時間がかかるのだと思います。このために牛の数も必然的に少なくなるのでしょうか。お金があればトラクタで耕して肥料を撒いてと考えるのでしょうが、何せこの広さですから、牧場の柵を維持するだけでも大変な作業だと思います。ここを馬に乗って牛を追わなければならない仕事もあります。其の方々には失礼ですが微分・積分など全く必要がありません。むしろ馬を上手く扱って安全に作業できることがここでは求められるのです。
ガソリンスタンドで見た夕焼け
林と雨雲が邪魔をして広大な夕焼け空とはいえませんが、夕焼けの赤色がとてもきれいでした。
ペンシオンの朝の景色
部屋の窓から霧がかかった状況を写しました。すでに牛が起きて草を食んでいました。
ペンシオンの建物
部屋数は4部屋程度の小規模です。TVもなし、ベットとトイレ、シャワーがついているだけでした。
ペンシオンの母屋
ここで家族4人が暮らしています。庭にはレモン、グレープフルーツ等の柑橘類が数本植えられていて熟れた実が沢山まわりに落ちていました。